72年目の終戦の日に思うこと(1)~戦争は終わっていない。 | せとけん公式ブログ『 #ピースメーカーズ 』from 瀬戸健一郎 Powered by Ameba

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※2017年8月12日『北のアッツか、南のビアクか』と呼ばれた激戦地~ビアク島を夫婦で慰霊のため訪問してきました。

 

■南方に散った日本兵の慰霊と彼らのご遺骨の帰還について

 

2017年8月15日(火)の今日、私たちは72年目の終戦記念日を迎えました。20年ほど前に、妻・百合子が単身訪れたインドネシアのビアク島を訪問してきました。家内が訪問した際にはまだ、そこここに日本兵のものと思われるご遺骨が散乱した状態で、その凄惨な光景に絶句し、これを今日まで家内は心の奥底に封印していました。

 

もともと人道支援活動でインドネシアの西パプア州ソロンに駐在し、通算で2年間も現地の人々と生活を共にた経験のある百合子でしたが、「武力によらない平和をつくる」という彼女の政治信条の原点は、ビアク島で心の内に密かに立てた不戦の決意だったことを知り、私もどうしてもその地を訪れたいと思い、夫婦で慰霊の旅にでかけることにしました。

 

※小さな小屋が日本兵のご遺骨の安置所になっていました。

※簡易な台が祭壇。4つの頭蓋骨と小さなお飾りが左右に2基、タバコが手向けられていました。

※この簡易な祭壇の下にはご遺骨が土嚢袋に入れられて、安置されていました。

 

南の国のこんな小さな島で約12,500名もの日本人が戦死され、そのご遺骨がまだ、このような安置所に袋詰めにされて安置されている様子をあらためて見た時に、家内は遺骨に手を合わせ、私はこのことを多くの日本人の皆様に知らせなくてはならないという使命感からカメラのシャッターをきりました。


どうしてこのように収取されたご遺骨が日本に帰還できないのでしょう。このように日本に帰還していない日本兵のご遺骨は約100万柱になると思われます。(115万人の日本兵が帰還しておらず、その内30万人は海に沈んだという統計もあるようです)

 

今回、ビアクで目撃した日本兵の遺留品の中に、兵士が身に着けているアルミ製の認識票が含まれていましたが、よく見るとそれらはすべてオーストラリア軍やアメリカ軍のものでした。日本兵は認識票さえ身に着けていなかったのでしょうか。

 

洞窟の中で折り重なるようにして亡くなられた日本兵のご遺骨は、どのご遺骨がどの日本兵のものであるのか、認識票が無くては見分けがつきません。爆死されれば、遺体もばらばらでしょう。しかし多くの日本兵は戦闘行為ではなく、飢餓亡くなったとも言われています。

 

一日も早く、戦地に散った同胞のご遺骨を日本に帰還させて上げなければならない。私たち夫婦もそのことを痛切に感じています。

 

太平洋戦争に散った日本兵のご遺骨が日本に戻るまで、戦争は終わってなどいないのだ。

 

そのように強く感じます。

 

(関連年表)

1944年06月21日(火) マリアナ沖海戦「あ号作戦」を中止し撤退(大敗)

1944年08月20日(日) アメリカ軍がビアク作戦の終結を宣言(玉砕)

1944年10月25日(金) レイテ沖海戦から日本軍撤退(撤退)

1945年03月21日(月) 大本営が硫黄島守備隊の玉砕を発表(玉砕)

1945年06月25日(月) 大本営が沖縄戦の終了を発表(同24日に歩兵第22・第89連隊玉砕)

1945年08月06日(月) 原爆投下(広島)

1945年08月09日(木) 原爆投下(長崎)

1945年08月14日(火) ポツダム宣言受諾を連合国各国に通知

1945年08月15日(水) 玉音放送(降伏が日本国民に公表された)

1945年09月02日(日) ポツダム宣言の履行を定めた降伏文書(休戦協定)に調印

1945年09月09日(日) 皇太子に宛てた『天皇の手紙』が記された

 

瀬戸健一郎(せとけん)

Kenichiro Seto (Setoken)