皆さん、こんにちは。大津です。



頂いたメッセージから紹介します。



(以下引用)


大津先生


Bです。お忙しいので覚えてくださっているかわかりませんが、先生にステージⅣの友人への対応の相談をした者です。その節は、すぐにコラム上で取り上げてくださって本当にありがとうございました。結局、彼女は数日前に49才でなくなりました。がんが発覚して1年弱です。冬休みに会う連絡をしていた矢先でした。

彼女は当初、抗がん剤も拒否していたこともあり、結果として小学2年生の子供さんを残し、あっけなく命が終わってしまいました。彼女の場合、自身が医者でありながら現代科学・医療を否定する過激な「自然回帰運動」で命まで奪われたことになり、何とも皮肉な運命でした。

先生も先日お書きになっているように、いまだに近藤理論がもてはやされており、彼女の死はそれが残酷な結果を生む教訓の一つになりました。私も近藤理論に一時期、騙されそうになりました。書店の立ち読みで納得するような簡単な話は、まず疑った方がいいということが本当によくわかりました。

読売の連載でも先生のほかにも、中村祐輔先生が近藤理論の怪しさを科学的に論破されていますね。

私も科学教育を担う者の端くれとして、「医学リテラシー」「科学リテラシー」ということをやることを、考え始めていますが、昨今は大学教育でも「わかりやすさ」を求められるので、微妙なところはどう教えたらいいのか、とても難しいところです。せめて先生のコラムの一つぐらいは最初から最後まで読むだけの「我慢」はできないと、自分の身体を守れないと学生に伝えていこうと思います。

これからもコラムは読み続けます。先生の今後のご活躍を期待しております。


(以上引用)


Bさん、メッセージありがとうございました。お友達のこと、本当に残念です…。深く哀悼の意を表します。



”「簡単にはわからないこと」をわかる”ということがとても大切なのですが、わかりやすさ至上主義とでも言うような、あるいは説得力にプライオリティが来るような、そんな風潮がどこかあるような気がしています。


世の中は複雑怪奇であり、それぞれの立場の人間が、それぞれの願望や思惑によって動く中で、社会の変化が生じていきます。


ヨミドクターの連載『近藤誠さんが流行る深層』で掘り下げたかったのはそこです。


それをひと言で、「政府が悪い」「医者が悪い」「薬が悪い」等と切って捨てる言説に与しないだけの冷静さや、本当に現場で活きる知恵の力を、この情報氾濫社会に生きる私たちは求められていると思います。そうでなくては、誰かの意見に踊らされ、人生が望まぬ転帰を迎えぬとも限りません。


わかりやすさは真偽を検証し、しっかりと情報を収集し、誰かの一つの意見で(たとえそれが「まさに聞きたかった!」と膝を打つ意見であったとしても)すぐに固定観念を形成せずに、柔軟な姿勢で本当の経験者の話も複数聴き、すぐに答えを出すことをせずに、じっくりと自らの頭で考えることだと思います。


そのような「大人」の姿勢や思考の力が求められている中、大学教育も「わかりやすさ」重視とはなかなか難しい状況です。また本当に、長めの文章を読むことが「我慢」にならないように、小さい頃から慣れることができれば良いですよね。



医者でも、専門外のことは良くわからない、ということは普通のことです。


昔、末期がんで腹水が溜まった患者さんのお子さんが小児科の先生だったのですが、患者さんであるお母様はあまりお腹の苦しさを訴えなかったにも関わらず、繰り返し私たちに腹水穿刺実行を求められ、また大金を払って免疫クリニックに通わせていらっしゃったことがあります。


末期のがんで非常に状態が悪い患者さんに必要以上に腹水穿刺を行うことは、一般にあまり良いことではありません。


また身の置き所がない状態(推測予後日単位)で免疫クリニックに通うことは、消耗を早めてしまうかもしれません。


それを何度も伝えたのですが、先生は「自分はこうしたほうが良くなると思う」という信念がお強くあって、それを貫かれました。同じようなことが、末期がんの患者さんのご家族が看護師さんである場合も経験したことがあり、医療者だから必ずしも家族の患者さんに最良の選択を取れるわけではない、というところも難しいことです。


病気になって、あるいは病者の家族になって、冷静であるということはとても難しいことです。


不安から不信の気持ちが生じるのも、当たり前のことではあると思います。


またそれぞれにそれぞれの行動の源泉があります。それを他人はたやすくわかるものではありません。


小児科の先生にも、家族にしかわからぬ苦悩があったのだと思います。そのようなことに無自覚であることが、容易に人を断罪する危うさを持つのだと思います。


ヨミドクターの『近藤誠さんが流行る深層』の最後にもこう記させて頂きました。



これからの医療は、患者さんやご家族、医師や医療者が、それぞれの立場がゆえになかなか理解しがたい点もあるところを、「理解し合える」との気持ちのもとに、忍耐深く相互理解を深めてゆく必要があります。そして現実問題、患者さんやご家族の動きやご助力もなければ、とりわけがん医療や終末期医療においては「望むような医療」「満足する医療」など難しい状況にあります。

 不信をあおっても、多くの人は幸せになれません。負の感情にとらわれず、「人は他者を理解することは真に大変なことだ」との認識のもと、これからの医療が忍耐深い各立場の努力のもとに育まれていくことを願いながら本稿の筆を置きたいと思います。




耳目を引く意見は往々にして、わかりやすく善悪をつける意見です。


私が連載で「単純化」「善悪論」「陰謀論」と表現したそれで、日常の様々なところで用いられています。演説でも多用されます。うけを狙うのならば手っ取り早い方法です。


それに比べると、私の意見は訴求力では劣っています。その中において、「現実に近いと思う」「確かに、それぞれの立場で考えることがある」という感想をいくつか頂戴したことに、連載した甲斐があったと安堵しております。


年々、人を巧く動かす技術はパワーアップしていますから、私たちはそれを防御するだけの思考の力もまた身につけねば、「自分の望む人生」を得るのは困難となってしまうかもしれません。気をつけなければいけないですね。




いつもお読みくださりありがとうございます。


それでは皆さん、また。
失礼します。