皆さん、こんにちは。大津です。



近い人間関係のこじれがもっともシビア。

きっと皆さんもそれは見知っていること、
あるいは体験されていることではないかと
存じます。

世田谷で昨日起きた痛ましい事件も
それを示すような事件であると思います。

80代半ばを過ぎた、元警視という重職に
あった方がなぜあのようなことをせねばならなかったのか。



「逃げられない」関係の中でのこじれは
とてもつらいものだと思います。


職場でしたら辞めるという選択肢もある
でしょうが、なかなか住まいの場合は
引っ越しも難しいものです。

相手の振る舞いが腹に据えかねる時、
一番は「逃げる」ことなのですが、
近隣問題は簡単にそうもいきません。


地域でも国でも、近いからこそ軋轢が
生じます。難しいものです。


さて何気なくニュースを聞いていると
終末期医療に携わる医療者としてつい反応
してしまう言葉が耳に入って来ました。

容疑者の元警視は、ある時被害者に倒され
馬乗りになられ(注:被害者は自分で倒れたと
言っていたとのこと)、

「(被害者に)体当たりされて倒された」
「人間の尊厳を傷つけられた」

と語っていたというのです。



「人間の尊厳を傷つけられた」

その言葉が耳に残りました。


誰にも自尊心はあります。

誰にも侵されたくないものがあります。

それが侵害された時、人は尊厳が傷つくのを
感じます。


「人として尊重されたい」

人は誰しもそう思っています。

けれども、例えば医療現場でも
認知症の方やご高齢の方に
粗雑な応対がなされたり、半人前扱いしたり、
赤ちゃん言葉で接するなどという事例が
散見され、もちろん「尊厳」という言葉を
使用されてそれに遺憾の意を示される方も
いらっしゃいますが、多くは物言わず耐え、
あるいはそれらの対応の影響からせん妄に
つながってしまったり・・ということが
しばしばあるのです。

尊厳が揺らぎがちな方たちだからこそ、
より敬意を払って接するべきだと思うのです。


私は世田谷の事件のニュースを聞きながら、
「尊厳を傷つけることは、人を亡き者に
するようなもの」だとも感じました。
だからどうしても許せなかったのでしょう。

もちろん人殺しは一切正当化できません。

けれども死ぬに等しい苦痛もあり、それは
生きながらにして尊厳を踏みにじられて
その汚辱の中で生きることなのかもしれません。


どんな人間でも大切にされたいと願っています。
そして私はどんな人間でも大切にされるべきと
考えます。

医療現場で生活する私たちも、あるいは人と
接する仕事をされている皆さんも、もちろん
そうではない皆さんも、「自分にとっての
尊厳」と同時に「この方にとっての尊厳」に
意識的でないといけないと感じます。


シビアな近隣問題はなかなか解決を見出し得ない
と思いますが、なんとか折り合え、痛ましい
事件や犠牲がなくなることを祈りたいです。
職場でも、家庭でも、お隣さんでも、その他でも
仲良くやってほしいと願います。


それでは皆さん、また。
失礼します。