いつも文字ばかりのかたいブログなのにも
関わらず、多数のペタ等、大変ありがとう
ございます、大津秀一です。

昨日は「法令遵守」が日本を滅ぼす(郷原信郎著)を
読みました。非常に興味深い内容でした。

僕の印象に残ったのは、そのP164

組織で問題が発生する背景には、必ず何らかの構造的な要因が
あります。それにもかかわらず、担当者や直接の関係者だけを
処分・処罰して一件落着ということにしてしまったのでは、
問題は何一つ解決しません。発生した問題の根本的な原因や
背景を明らかにして是正措置を講じること、つまり「治療的
コンプライアンス」こそが重要なのです。

という部分です。

僕の直感的理解なのですが、
日本人は何かマニュアルや決まりごと、仕組みを設定すると、
ずっとそれでやろうとする傾向があるのではないかと思います。
もしそれが現実と即しないものとなってしまっても、
かたくなにそれを変えようとしません。

例えば卑近な例を一つ挙げるとすれば、
道路の制限速度(笑)
観察していても、誰も速度を守っていないようにしか
見えません。明らかに道路の大きさや交通状況に即して
いない非現実的な制限速度が設定されている場合もあります。
しかし、それはいつまでも改善されることはないのです。

そして日本中で山ほど、そのような交通状況と
制限速度の乖離が認められるにも関わらず、
それを取り上げて変革しようとする人が出てきません。
いや、いるのかも知れませんが、潮流にはなりません。

あるいはこの例なども。素人考えかもしれませんが、
お役所が予算を使い切る、という制度を続けている限り、
支出が減らないのもむべなるかなという気がします。
こんなことは考えれば簡単に予測出来るはずのことなのに、
いつまでも同じようなシステムで運用されています。
それで国の財政は赤字だ、赤字だと言っているのです。

問題の根本的な原因は、実はシンプルだったりします。
例えば医療に関して述べてみると、
人体においても、少数の問題から、実に多様な問題が
導き出されることはよく経験されるものです。
その多様な問題を解決しようとするのではなく、
その大本となっているいくつかのシンプルな問題を
解決するだけで、一挙に問題が解決することも
少なくありません。

しかし、根本を探ろうとする姿勢や、その努力が
なければ、往々にして枝葉末節の問題に囚われ、
時間と労力だけが無駄にかかって、問題の解決は
遅々として進みません。

本来、一人一人がこのような視点で、日々仕事に
従事すれば、社会はどれだけ変わるでしょうか。

ただ残念なのは、その視点と行動が処世には
結びつかないことでしょう。
組織は自浄作用を保つのが難しく、多くの人間が
関わることで綱引きが始まって、改革の芽を
そいでしまうことも稀ではないと思われます。
下手に声を上げるより、付和雷同していた方が
出世には有効なこともあるでしょう。

しかし、その結果として今の社会があるのならば、
それは人間の「賢さ」を示すものとして、極めて
遺憾な事実であると思われます。