三国志(195) 美女丈夫 |  今中基のブログ

 底知れぬ悪党とは、 嬀覧のごときをいうのだろう、彼は疾(と)くから徐氏の美貌をうかがって毒牙を磨いていたのである。
 徐氏は、悲嘆のうちに、良人(おっと)の葬儀を終って、後、ひそかに亡夫の郎党で、孫高、傅嬰(ふえい)という二人の武士を呼んだ。
 そして、哭(な)いていうには、

 「わが夫(つま)を殺した者は、辺洪ということになっているが、妾(わらわ)は信じません。真の下手人は、都督 嬀覧です。卜(うらない)のうえでいうのではない、証拠のあることです、そなた達へ向って、口にするも恥かしいが、嬀覧は妾に道ならぬ不義をいどみかけている。妻になれと迫るのです。……で、虫をころして、晦日の夜に来るように約束したから、そのときは、妾の声を合図に、躍りかかって、良人の仇を刺して賜も。どうかこの身に力をかして賜もれ」
 忠義な郎党と、彼女が見抜いて打明けた者だけに、二人は悲涙をたたえて、亡君の恨み、誓って晴らさんものと、その夜を待っていた。

 嬀覧は、やって来た。――徐氏は化粧して酒盞(しゅさん)を清めていた。
 すこし酔うと、
 「妻になれ、否か応か」
嬀覧は、本性をあらわして、徐氏の胸へ、剣を擬して強迫した。
徐氏は、ほほ笑んで、
 「あなたのでしょう」と、いった。
 「もちろん、俺の妻になれというのにきまっている」
 「いいえ、良人(おっと)の孫翊を殺させた張本人は」
 「げっ? な、なんだ」
 徐氏は、ふいに、彼の剣の手元をつかんで、死物狂いに絶叫した。
 「良人の仇っ。――傅嬰よ! 孫高よ! この賊を、斬り伏せておくれっ」
 「――応っ」
 と、躍りでた二人の忠僕は、 嬀覧のうしろから一太刀ずつあびせかけた。徐氏も奪い取った剣で敵の脾腹を突きとおした。そして初めて、朱(あけ)の中にうっ伏しながら哭(な)けるだけ哭いていた。
 孫高、傅嬰の二人は、その夜すぐ兵五十人をつれて、戴員(たいいん)の邸を襲い、
 「仇の片割れ」と、その首を取って主君の夫人徐氏へ献じた。
 徐氏はすぐ喪服をかぶって、亡夫の霊を祭り、嬀覧、戴員二つの首を供えて、
 「お怨みをはらしました。わたくしは生涯他家へは嫁ぎません」と、誓った。
 この騒動はすぐ呉主孫権の耳へ聞えた。孫権は驚いて、すぐ兵を率いて、丹陽に馳せつけ、
 「わが弟を討った者は、われに弓を引いたも同然である」
 と、一類の者、ことごとく誅罰した後、あらためて、孫高、傅嬰のふたりを登用し、牙門督兵(がもんとくへい)に任じた。
 また、弟の妻たる徐氏には、
 「あなたの好きなように、生涯を楽しんでください」と、禄地を添えて、郷里の家へ帰した。
 江東の人々は、徐氏の貞烈をたたえて、
 「呉の名花だ」と、語りつたえ、史冊にまで名を書きとどめた。それから三、四年間の呉は、至極平和だったが建安十二年の冬十月、孫権の母たる呉夫人が大病にかかって、
 「こんどは、どうも?」と、憂えられた。
 呉夫人自身も、それを自覚したものとみえる。危篤の室へ、張昭や周瑜などの重臣を招いて遺言した。  
 「わが子の孫権は、呉の基業をうけてからまだ歳月も浅く年齢も若い。張昭と周瑜のふたりは、どうか師傅(しふ)の心をもって、孫権を教えてください。そのほかの諸臣も、心をあわせて、呉主を扶け、かならず国を失わぬように励まして賜(た)もれ。江夏の黄祖は、むかしわが夫(つま)の孫堅を滅ぼした家の敵ですから、きっと冤(あだ)を報じなければなりませぬ……」

 また、孫権にむかっては、
 「そなたには、そなただけの長所もあるが、短所もある。お父上の孫堅、兄君の孫策、いずれも寡兵をひっさげて、戦乱の中に起ち、千辛万苦の浮沈をつぶさにおなめ遊ばして、はじめて、呉の基業をおひらきなされたものじゃが、そなたのみは、まったく呉城の楽園に生れて楽園に育ち、今、三代の世を受けついで君臨しておられる。……ゆめ、驕慢に走り、父兄のご苦労をわすれてはなりませんぞ」
 「ご安心ください」
  孫権は、老母の手を、かろく握って、その細さにおどろいた。
「――それから張昭や、周瑜などは、良い臣ですから、呉の宝ぞと思い、平常、教えを聞くがよい。……また、わたくしの妹も、後堂にいる。いまから後は、そなたの母として、仕えなければいけません」
 「……はい」
 「わたくしは、幼少のとき、父母に早くわかれ、弟の呉景と、銭塘へ移って暮しているうち、亡き夫(つま)の孫堅に嫁したのでした。そして四人の子を生んだ。……けれど、長男の孫策も若死してしまい、三男の孫翊も先頃横死してしもうた。……残っているのは、そなたと、末の妹のふたりだけじゃ、……権よ。あのひとりの妹も、よく可愛がってやっておくれ。……よい婿をえらんで嫁がせてくださいよ。……もし、母のことばを違(たが)えたら、九泉(きゅうせん)の下で、親子の対面はかないませんぞ」

 云い終ると、忽然、息をひきとった。 枕頭をめぐる人々の嗚咽の声が外まで流れた。
 高陵の地、父の墓のかたわらに、棺槨衣衾(かんかくいきん)の美を供えて、孫権はあつく葬った。歌舞音曲の停まること月余、ただ祭祠(まつり)の鈴音と鳥の啼く音ばかりであった。(195話)

                        ―次週へ続く―