sense of beingness

sense of beingness

自分が自分の主になる 自分を識る事で人生を創造する法則

鍼灸マッサージ治療院SESHENの星谷徳梨です。

怒りの感情に振り回されて、自分で制御ができなくなると、
人はついつい力でコントロールしようとします。
これは相手を力でコントロールできると知っているから。
そして自分も同じように力でコントロールされてきた経験を持っているからだと思うのです。


力と言ってもいくつかあって物理的な暴力であったり、支配的な抑制力だったりします。

それでは、なぜ人は相手を自分の都合のいいようにコントロールしようとするのでしょうか?

多くの場合、自分の主張を通すためにこの方法を使うと思うのです。


しかし、よくよく考えてみると、自分の主張を通すために人をコントロールする必要はあるのでしょうか?

本来、自分の主張を通す時に相手をコントロールする必要はないと思うのです。
これはいいとか悪いとか言うことではありません。

集団を動かそうとする時には
集団をコントロールして動かすことに用いる時には、
とても有効な方法だと思うのです。
しかし、これは集団に限った場合です。

個人間の時には相手を支配する方法ではなく
お互いの主張を尊重しあって、
より良い方向に進むために議論することが大事だ
と思うのです。

ここで重要なのが、
自分の感情をコントロールして感情に振り回されないことだと思うのです。

イライラした時に手を出してしまう時は
多くの場合
感情をコントロールできずに暴力を振るってしまうのだと思うのです。

では、この時何が起こっているのでしょうか?
前提として、すごく我慢をしている場合
もしくは怒りの感情を悪としている場合
すると、
怒ることは悪いことだと認識しているので怒りという感情を我慢します。


我慢するということは
自分を抑圧していたり、封じ込めていることになるので
行動としては結果的に自分を蔑ろにしていることになると思うのです。

自分自身をないがしろにすることは
自分にとって見たらすごく嫌なことだと思うのです。
人は嫌なことをし続けると
どんどん苦しくなってきます
ですから、この苦しさから逃げるために
なんとしてでも解決しようとしてしまいます。

手段を選ばないので
このような仕組みを顧みず
このきっかけを作った、目の前の人に攻撃をしてしまうのです。

こんな時、
自分が何かを我慢しているということに気付けていたら
目の前の人はきっかけに過ぎず
我慢しているという行為をやめることができると思うのです。
そうすれば目の前の人に暴力を振るわず、
自分の主張通すことができるかもしれません。
 

 

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