人は抑圧した感情に支配されます。

私たちの過ごすこの社会では肉体的に成長していても心理的には幼児と変わらない人が大勢います。

例えば妻を束縛し支配する夫は多いです。

妻に母の姿を重ね、ママがいなくては生きて行けず目に見える範囲から妻が離れれば母の姿が視界から消え泣き叫ぶ子供と同じような夫


我が子を束縛し支配しようとする母

我が子に依存し自分は子守りをしているつもりがその実は自分が子守りされている母親


妻に母の姿を重ね依存する幼児性願望が抜けない夫

我が子に我が身の子守りを求め依存する母親


これら依存的欲求は時に激しい怒りを生み出します。

幼児的欲求が満たされない人間は相手を束縛し、縛りつけ、妻や子供など相手を支配し、自身の幼児的欲求を満たそうとします。


依存的欲求は怒りとなり、それはやがて社会に対する敵意となります。


感情を抑圧し意識から遠ざけてもそれは無くなったわけではありません。

それどころかその抑圧した感情を相手に付与し、なすりつけ、相手を責め立てることで自己の良心を満たそうとさえします。


自己の依存心を抑圧しそれを他者に付与し、なすりつけ、相手を責め立てる。

夫が妻に自己の依存心を転嫁し妻を責めることで自己の良心を満たす

親が自己の依存心を我が子に転嫁し我が子を責めることで自己の良心を満たす



人は抑圧した自身の感情によって支配されます。

「自分はなぜ他者を批判せずにはいられないのだろう」

「なぜ自分はこのような感情を持つのだろう」

それを考えることが成長のきっかけとなり、そして自分の認めたくないものを認めることで人は初めて成長します。

 

 

話は変わりますが、今朝、レムリア時代の記憶がある女の子の話をネットで聞いていました。

 

人魚だのピンクイルカだのテレパシーだの他の星からの協力だのと、大変興味深い話ではあるのですが、現代に生きる私たちはこの種の話を取り違えてはならないと考えています。

 

今私たちがすべきことはレムリアのその良き時代に想いを寄せることではなく、今の理不尽な社会の現実と自分自身から目をそらさず、すべてを受け入れ、この俗世を日々の地味な努力の積み重ねと行動によって乗り越え、変え、生き抜くことこそ成長に向けて意義のあることだと認識することだと思っています。

 

今日という一日に感謝し、目の前の現実を受け入れ、そして困難を乗り越えた先の小さな成功と自己実現と達成感、それら学びから得る喜びによって私たちがこれからも成長の道を歩めますことを願わずにはいられません。







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