私たち日本人が国外の人間の思想を知るためにはその背景にある宗教を知らなければならない。

主要なものとしてはユダヤ教の聖典である旧約聖書、キリスト教の新約聖書、そしてイスラム教のコーランなどである。

キリスト教の新約聖書もイスラム教のコーランもいずれもユダヤの旧約聖書がそのベースとなっているため彼らには「聖書」という共通するものがあるように思うが、ことはそう単純ではない。


キリスト教における聖書の続きとして見逃してはならないものにダンテの『神曲』がある。

ダンテはイタリアのフィレンツェ出身の詩人であり哲学者でもあり、また政治家でもあったが、作者ダンテが自分の物語として一人称で語るこの『神曲』は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3部で構成されている。

神曲は彼によって書かれたイタリア文学最大の古典といわれる長編叙事詩であり聖書に続き読まれるものである。

『神曲』の第1部の地獄篇には「欺瞞の罪」で地獄の第8圏に落とされたイスラムの預言者ムハンマドとダンテの架空の出会いが描かれている。物語の中でムハンマドは悪魔によって見るに耐えない残虐な仕打ちを受け続ける。

ダンテはムハンマドを「生前に不和と分裂の種を撒いた者たち」と形容している。

ダンテの時代にはイスラム教はキリスト教から分かれた異端の宗教とみられていたわけだがイスラム教徒からすればムハンマドのそのような仕打ちを描いたダンテを許さないとする者もいる。


キリストのカトリック教会にとってはダンテは偉大な芸術家であるが、現代においてもISIS(イスラム過激派組織)によりそのダンテの墓の破壊が計画されているとされ、イタリア北部の都市ラヴェンナのサンフランチェスコ教会近くにあるダンテの墓はテロの重要警戒区域となっている。


旧約聖書、新約聖書、コーランを読むだけでなく、彼らのその憎しみによる争いはダンテの「神曲」まで読まなければ理解することはできない。


話は旧約聖書の内容に移るが「出エジプト記」第20章にはヘブライ人を率いてエジプトを出る途上にあったモーセがシナイ半島のシナイ山にてヤハウェ神から授けられた戒律「十戒」を授けられたとされている。いわゆるあの有名なモーセの十戒である。

その十戒の一番目には下記の内容が記されている。


「汝は私の他に何者をも神としてはならない」


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私たち日本人は無宗教の民族と言われるが、世の中に存在するすべての物に神が宿ると考え、そうした無数の神々を「八百万の神」として崇める信仰がある。

日本の神道を唯一神の存在のない信仰とし、仏教においても教祖は存在するものの「人はいかに生きるべきか」を説かれる宗教とするなら私たち日本人が彼ら唯一神の宗教的思想を知らず他国の民族の思考や行動を理解するのは難しい。

21世紀の現代における民族の争いににおいてそれを理解するためには「聖書の次にダンテの神曲が続く」というその背景を知る必要があるのだということを思い知らされる。

昨今においてもロシアや中東諸国を背景としたイスラエルとパレスチナの紛争が再勃発し戦闘が続いている。


なぜ世界では争いが絶えないのか。その理由ついて日本人の私たちはあまりにも無知であるということを改めて認識したい。





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