次々と自分とは正反対の人間が目の前に現れてくる。

 

「類は友を呼ぶ」「波長の法則」という言葉があるが、「これでもか」と言わんばかりに自分とは正反対の人間が目の前に現れてくる。

 

 

そんな人たちに囲まれている。

 

 

取引先を見渡すと少数だがまともな人間はいるようだ。だが彼らはこちらの組織のおかしさを見抜き距離をおいて離れていくのが分かる。

 

近づいてはいけないと察知するのだろう。

 

 

取引先などはウチよりもっと酷そうなところも散見される。

 

もしかしたらウチはまだマシな方なのかもしれない。

 

 

心あるまともな人は些細なことにも我がこととして心を痛め過ごす。

 

同じことでもなんとも思わず知らん顔で過ごしている者もいる。彼らはそしらぬ顔で他人事で平気でいる。

 

 

言葉が通じない。

 

健常者とされる同じ日本人なのに。

 

18歳まで公の教育を受けてきているのに日本語が正しく話せない。

 

会話に「誰が」「何が」という主語がない。

 

「何を」「どこへ」という目的語がない。

 

何を言っているのか理解出来ない。

 

こちらが話すことも通じない。

 

何度も何度も噛み砕いて話さなければならない。

 

角が立たないように遠回しな言い方などをしようものならその真意など通じるはずもない。

 

 

人として間違っていることを指摘するとある者は逆恨みしてくる。

 

またある者はそれに耐えられず精神不安定に陥り潰れる。

 

嘘をついていることを証拠を突きつけて指摘してもそれでもごまかして認めない。

 

 

どうしようもない。

 

かといって何も言わずにいると当人は更に悪化し周りに悪影響を及ぼしていく。

 

まともな心ある者たちが追い込まれていく。

 

 

このような場を見るのも学びなのは分かるがこれだけ比較対象がいないと感覚が麻痺してくる。

 

これが人間の普通の姿なのかと。

 

 

朝起きて「おはよう」の挨拶をしても返事すらしない。

 

二度、三度、「おはよう」と言っても一言も発しずただ不機嫌な顔をしている。

 

 

これはいったい何なのだろう。

 

 

では学生時代から30歳頃まで接してきた多数であったあの人たちは何だったのだろう。

 

あの人たちはかなり優秀な人達だったのだろうか。

 

そんなはずはないはずなのだか。

 

 

レベルが高いとか低いとかではない。

 

「まとも」か「まともではない」かのように思える。

 

「正常」か「壊れている」かどちらかのように思える。

 

 

最近は周りの環境が変わりつつあるが種類は変わったものの、更に酷い。。

 

 

学びであることは分かる。

 

知らなければならないことも分かる。

 

 

しかし本当に酷い。

 

 

では周りの人間の良い面は何か。

 

人間の良い面、可能性とはどのようなものか。

 

その点にも目を向ける必要性があるのも分かる。

 

それがかすかにあるのも分かる。

 

 

しかし「これでもか」というくらい「〇〇な人間」が目の前に現れてくると、時には普通の人間と接しなければ比較ができず感覚が麻痺してくる。

 

少し普通の面が見えただけで「よく出来る」と錯覚してしまう。

 

当たり前の普通のことなのに「よく出来る」と思えてしまう。

 

感覚が麻痺してしまう。

 

 

これは頭の良し悪しだけではないように思う。

 

個々の「我」というものが大きく関係していることも分かる。

 

 

レベルが高いとか低いとかではない。

 

未熟とか成熟とかそういうレベルの話でもないように思う。

 

「まとも」か「まともではない」かのように思える。

 

「正常」か「壊れている」かどちらかのように思える。

 

 

普通とは何なのか。

 

普通の人間とはいったいどのような人間なのか。

 

 

贅沢は言わない。

 

甘えたことを言うつもりもない。

 

優秀な人間とまでは言わないが時には普通の人間と話をしてみたい。

 

 

しかしながらそれは叶わないようなのでまた週末に書物の中の方々と対話して過ごそうと思う。

 

 

 

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