最近は「信頼関係」という言葉をラポールという表現やハイパーラポール(他者とのより濃密な信頼関係)という表現を用い語られるようになりました。
教師と生徒、
上司と部下、
親と子、
信頼関係の中でも更に上下の関係や「権威」が存在し成り立つ関係も多くあります。
しかしながら、
生徒が先生をからかったり先生に反抗したり、
部下が上司にタメ口で話したり、
時に子が親を見下したり。
最近言われるハイパーラポール(他者とのより濃密な信頼関係)というものには尊敬の念があり、信頼関係もあり、お互いの関係は決して対等ではなく、教師と生徒、上司と部下、親と子でなければならないと言われます。
しかしどうでしょう、
入学したての頃、生徒は先生に対し礼儀正しく接していたにも関わらず、卒業する時には「先公(センコウ)!」と呼び生徒が教師を殴ったり。
また優しく甘く怒らない(恐くない)先生の授業では生徒がうるさく騒ぎ立て言うことを聞かなかったり。
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「教師や上司は決して生徒や部下と友だちになってはならない」
そのように言われます。
それは威厳を失うことであり、権威を失うことであり、集団の場合は統制が効かなくなりコントロールを失うことに繋がります。
教師や上司、親は、時に生徒や部下、子の気持ちを理解し彼らに寄り添う必要がありますが、決して近づきすぎず、特に「対等になってはいけない」と言われます。
近づきすぎず離れすぎず、
決して権威を失うことなく
そこを私たちは勘違いし、近づきすぎ、寄り添いすぎ、共感しすぎ、そしてハイパーラポール(他者とのより濃密な信頼)の関係を崩してしまいます。
私がまだ教育現場にいた平成の時代は、まさにそれに陥り、クラスの統制が取れなくなり学級崩壊に至るケースも散見されました。
いわゆる「教師が生徒にナメられる」ということですが。
それも生徒だけが悪いのではなくどちらかと言えば指導側、教師の力量の無さに問題があったと思います。
近づきすぎず離れすぎず、威厳を失わず。
寄り添うことと仲良しの友だちになることとは違うことを知り、上と下の関係は決して横の関係と同じであってはならず。ましてや上下が逆になることはあってはならず。
そしてそれは教師と生徒の関係のみならず、上司部下、親子の関係なども同じく。
嫌われるのを恐れてそれが出来ない人が多いように思います。
上下の信頼関係は尊敬の念において成り立つものではないでしょうか。
その尊敬につながるものとは学識や知識、能力のみならず、立ちふるまい、人間性など多岐にわたり行動と経験に基づき身につけたものであるようにも思います。
寄り添い理解し共感することと対等になることとは違うように思います。
上下の関係を保つとは、決して上が下に対し威厳を持って偉そうにするということではなく、正しい「縦の信頼関係」を築くということではないでしょうか。
上下縦の関係が曖昧で調和の取れていない組織は機能せず。
そしてそれは教育現場のみならず、
組織とは、縦「 l 」と横「-」の双方向の信頼関係が成り立ち「+」プラスとなりそこで初めて組織が機能し、そしてそれが大きな力と成すのだと私は考えています。
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