Vo.4「触覚②」ー『カラダという書物』より | アントロポゾフィーに沿った言語芸術からの贈り物

アントロポゾフィーに沿った言語芸術からの贈り物

「ことば」とは、降りてくるもの。
「ことば」とは、「こころの顕れ」。
「ことば」を深く体験する言語造形する者による、言葉と教育についてのあれこれ。

だれが何と言おうとも、

私は、この人が好きだ!

 

と言える人がいるのは、幸せだ。

 

一人は、自分の夫。

自分が夫の窮地を救った!と自負していたら、

夫が私を引き上げていた、というこのどんでん返し。

 

人生は捨てたものではない、と思う。

 

もう一人が、笠井叡氏75歳(おそらく)。

大石凝真素美の真訓古事記を読み解き、

古事記とことばとカラダを結び付けた、巨人。

 

ワークショップは、朝3時間、昼3時間、夜3時間ぶっ続けの上に

夜23時を超える大宴会。

「ことばは、まことにエネルギーである!」

を体験させる数々の和歌に詩の連続・・・

 

・・・ということで、私も何とか、書物における弟子のひとりとして

読み解いておきたいのが、まずは『カラダという書物』でございます。

 

昨日の続きで、「触覚」について。

 

 触覚という原感覚が土台にあり

視覚、聴覚、味覚、嗅覚などがあるわけですが、

この「触覚」によって

私たちは自己と他とを分けています。


そして、人間と他の動物の触覚の働き方は、

驚くほど異なります。


魚にとっては、触覚と聴覚は一体。

水圧、水量、水温や海流などは、

魚にとっては、触覚的な音楽体験であり、

魚は、海の生命的な動きと一つになって

生きています。


そして、

言うならば、

「魚が海を感じている」のではなく、

「海が魚を通して、海自身を感じている」のです。

魚が「海という生命」の感覚器官であるかのように。