だれが何と言おうとも、
私は、この人が好きだ!
と言える人がいるのは、幸せだ。
一人は、自分の夫。
自分が夫の窮地を救った!と自負していたら、
夫が私を引き上げていた、というこのどんでん返し。
人生は捨てたものではない、と思う。
もう一人が、笠井叡氏75歳(おそらく)。
大石凝真素美の真訓古事記を読み解き、
古事記とことばとカラダを結び付けた、巨人。
ワークショップは、朝3時間、昼3時間、夜3時間ぶっ続けの上に
夜23時を超える大宴会。
「ことばは、まことにエネルギーである!」
を体験させる数々の和歌に詩の連続・・・
・・・ということで、私も何とか、書物における弟子のひとりとして
読み解いておきたいのが、まずは『カラダという書物』でございます。
昨日の続きで、「触覚」について。
触覚という原感覚が土台にあり
視覚、聴覚、味覚、嗅覚などがあるわけですが、
この「触覚」によって
私たちは自己と他とを分けています。
そして、人間と他の動物の触覚の働き方は、
驚くほど異なります。
魚にとっては、触覚と聴覚は一体。
水圧、水量、水温や海流などは、
魚にとっては、触覚的な音楽体験であり、
魚は、海の生命的な動きと一つになって
生きています。
そして、
言うならば、
「魚が海を感じている」のではなく、
「海が魚を通して、海自身を感じている」のです。
魚が「海という生命」の感覚器官であるかのように。