こんにちは!
花贈り「SERAM」の永田洋子です。

 

前回は、「今ここ」を大切にしたら、未来が動いた

というお話をしました。

 

今日は、そんな私がどうやって

「花の道」に入ったのか


“向いてないかも…”と思っていた私が、

どうして今、花贈りの仕事を34年も続けているのか。
そのお話を、少しさせてください。

 

OL時代、私は「何もない自分」
だと思っていました。
 

OLとして働いていた頃の私は、
自分に何ができるのかも、

何がしたいのかも分かりませんでした。

 

引っ込み思案で、人と話すのが苦手。
気の利いたことも言えず、

いつも一歩下がってしまう性格でした。

そんな自分が嫌で仕方なかったけれど、
「これも私の個性」と少しずつ受け入れることで、
少しずつ、心の中に灯りがともり始めたのです。

 

「これかも!」と感じた、TV番組での出会い

 

そんなとき、あるドキュメンタリー番組を見ました。
インテリアコーディネーターとして活躍する女性の姿に、

なぜか心が大きく動いたのです。

 

「これだ!私、インテリア好きだし、本もたくさん読んでるし!」

 

はじめて「やってみたい!」という気持ちが、

自分の中から湧いてきました。
それは、OLをしていた私にとって、大きな第一歩でした。

 

インテリアからの転機・・そして、花との出会い
 

勢いで会社を辞め、独学で猛勉強し、
やっとの思いで店舗プランナーとして入社。

 

だけど……


実際に働き出すと、すぐに気づいてしまいました。

「あれ……もしかして、私、この仕事向いてないかも」

不安でいっぱいの中、
図面を描きながら毎日をなんとかやり過ごす日々。

 

そんなある日、プランニングの仕事に必要だったことがきっかけで、
「花の学校」に通うことになったのです。

 

花に触れた瞬間、身体に電気が走った

それまで特別、花に興味があったわけではありません。
むしろ「自分には縁がない世界」だと思っていました。

 

でも、教室で初めて花を手にした瞬間、
全身に電気が走ったような衝撃がありました。

 

「あれ……私、こっちかもしれない」

 

ワクワクが止まらず、なぜだか涙が出そうになって
直感で、「この道を歩いてみたい」と、心の底から感じたのです。

 

花の力に動かされて、気づけば“花屋”になっていた
 

こうして、人生の思いがけないところで出会った“花”に導かれ、
私は1991年、花のサロン「SERAM」をオープン。

「まさか自分が花屋になるなんて」
本人が一番驚いていました。

 

 

感覚で動いた私に、最初に立ちはだかった“現実”
 

とはいえ、現実は甘くありませんでした。

当時はまだ携帯も普及していない時代。
連絡手段はポケベルと留守電のみ。

営業の仕方も分からず、
朝から晩まで花のチラシを持って飛び込み営業する日々。

 

「そのやり方じゃ無理だよ!」と
昔の自分に声をかけてあげたくなるほど、無鉄砲でした(笑)

失敗の連続。
でも、そこで得た経験と学びは、
私の心に深く根を張ることになったのです。

 

苦労が教えてくれた「地に足のついた起業」の大切さ
 

勢いと感覚だけで動いた私は、たくさんの壁にぶつかりました。
でも、その壁こそが、“ほんとうに必要なこと”を教えてくれたのです。

だから今、こうしてブログを読んでくれているあなたには伝えたい。

 

「感覚だけで進まないでね」
「でも、感動や直感は大事にしてね」

 

その両方があってこそ、自分らしい道が見つかるのだと、私は思います。

 

次回は、こうした経験を経て、
どうやって自分だけの花の仕事を“カタチ”にしていったか


オーダーメイドの花贈りや、レッスンの展開など
実際の事業づくりについてお話ししたいと思います

読んでくださって、本当にありがとうございます。
あなたの中にも、まだ眠っている“芽”があるはずです。
その芽が、花ひらく日を、私も心から応援しています。