ハタハタ思う。
教育で一番大切なことは、”できる”子供を育てることではなく、”生きる喜び”を持った人間を育てることだと。
”できる”ことは”生きる喜び”の十分要件であって必要条件ではありません。
できなくても”生きる喜び”を持つ教育・子育てをすることが私の目的です。
”できる”にこしたことはない、と言っても社会的尺度を用いて”できる”のではあまり意味がありません。
親は子供が他の子に比べてできないと心配します。様々な発達の目安や評価基準が存在します。
その時点で子供の”生きる喜び”を他人に依存してしまいます。
”できる”ことは子供が将来自立して行く上で大切です。
しかしそこにフォーカスしすぎて、本来の”生きる喜び”を見失ってはいけません。
”できる”は”できない”という存在を意識させます。
ただ社会性と情動のスキルが身につくことは大切です。それは”生きる喜び”に直結しているスキルだからだと考えます。
挨拶ができる、謝れる、感謝できる、思いやれる、我慢できる、気持ちを表現できる、感情をコントロールできる、無理しない、自分自身でいられる、などです。
お勉強は塾に通えばできるようになるかもしれません。点数や偏差値で簡単に数値化できるので、できるできないを見極めるのに楽です。しかし上のようなスキルは実際に人と会って時間を共にしないとわかりませんし、身につけられるのは個性や環境によって歴然の差があるのが現状ではないでしょうか。
そして子供が”させられている”と感じるのではなく、内面から”できる”という喜びを持たないと意味がないのです。
その喜びは生きる自信となるでしょう。
人はもともと一人では生きられない存在です。
全て自分で何でもできてしまう人は稀です。
それぞれの人に、”できる”こととできないことがあります。
そして社会の中には”できる”人からできない人までピンからキリまでです。
”できる”人だけが”生きる喜び”を持つ社会であってはなりません。
助け合いの中に人々の居場所があり、人や環境との調和や共感、感謝し感謝されることの中に”生きる喜び”を見出すことができると信じています。