遅ればせながら 数日前「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を観て来ました.

 

クリスマスから三が日にかけては行けず、上映終了日まで一週間弱ということを聞いて、慌てて就業後に観ました.

 

その前に まず謝らなければならないことがあります.

それは映画の中でKiina の歌声は聴けなかったこと … テーマ曲の歌唱は Kiina というのは 私の勘違いのようでした.

まず謝ります.

 

映画は 前評判から 期待して臨みましたが、就業後ですので居眠りを覚悟で.

 

……下記ネタバレ含みます……

 

舞台となる、因習深い村の存在は 横溝正史の「犬神家の一族」や「八つ墓村」に似ています.

「祟りじゃ」と村人が叫んだか、叫ばなかったか … 叫んでもおかしくないシチュエーションの数々….

よく似てる … と、横溝作品を彷彿とさせることが、実はこの映画の手法だったのだ、と思います.

 

いくら昭和30年前後とはいえ、こんな村はないよ、こんな一族はいないよ、こんな会社は存在することはないよ … と、通常なら思うところが、過去の横溝作品の一連として 大きな疑問も感じずにこの世界に入っていけます … 観客をすんなり映画の中に誘導するのに、こんな手法があるんだな、と思いました.

 

主人公の「水木」は先の戦争で、南方の前線で死と向き合う経験をしており、人間の心と身体の腐敗をくぐり抜けて帰還した身 … しかし、生還したものの、戦後の日本でも、戦中同様に「コマ」としての扱いを受けており、自身の打算から「入村」します。

 

そこで出会う「ゲゲロウ」は異界の存在、しかし、同じ異界の身でありながら人間と敵対せず、共存しようとする妻の姿に、考えを変えます.

 

このように、水木も、ゲゲロウも、正義感に溢れた … という従来のヒーロー像で描かれているのではなく、打算や弱味などの「陰」の部分を持ち合わせて、人間味を感じさせます.

この点が、観客がこの映画にすんなり入り込める、もうひとつの理由です.

…「アニメ映画」「鬼太郎」「因習の村」「妖術」ということで、我々は最初から この映画を現実には絶対あり得ない、「フィクション」として観ています.が、登場人物たち、つまり「水木」や「ゲゲロウ」が大変人間味があるため、その苦悩に共感するうちに、映画が非常に現実味を帯びてくるのです.

そして二人の友情は確固たるものでありながら「ゆるく」描かれるため、肩肘張らずに観ることができるのでしょう.

 

中盤から終盤に向けての戦闘シーンは、日本のアニメ技巧の素晴らしさをふんだんに味わえ、幻想的な光景と疾走感に瞬きを忘れました.… 幻想的な光景というのは、近未来的なものではなく、映画の随所に散りばめられた、原作者 水木しげるの出身地で、また横溝作品の舞台となることが多かった中国地方の光景、たとえばJR伯備線からみえる中国山地の風景、たとえば宍道湖と中海をつなぐ大橋川に浮かぶ手間天神社、たとえば日本海に映える元乃隅神社の赤い鳥居 … を彷彿とさせ、 日本の風景絵巻のように楽しめる一面もありました.

そして 桜の木 … まったくあり得ない植物でありながら、しかし、今の人間社会を皮肉る風刺画のようでもあり、鮮やかであるが故に、その姿には胸がかきむしられるような痛ましさを覚えました.

 

… それらの、惨く 残酷な状況を一新させた あの泣き声 … それが響いた時、目に涙が溢れました … 生命が誕生する瞬間の感動を描く映画はたくさんありますが、私自身がここまで感動的にそれを受け止めた映画はなかったような気がします.

 

新しい生命の誕生 … その輝きは どんなに惨い世の中であったとしても、それらすべてを葬り去り、世界を一新させるほどの力強さを持つものであることを知り、そのようにして世代を繋いできた我々とこの世であることに気付かされるのです.

 

泣くつもりはなかったのに、終盤は大泣きで、気が付けば周囲からもすすり泣きの声が … 終演後、大慌てでマスクをつけ、泣き顔を隠すようにして 映画館を後にしました.観覧前に案じた居眠りなど無縁のことでした.

 

それにしても、あれだけの話題を2時間以内によく納められたな、と思います.

アニメーションの最新技術を見せながらも、レトロな部分も盛り合わせる出来上がりでした.最後に流れたのは「カランコロンの歌」 … これも私の世代には懐かしく、うれしいものでした.

 

妻のおなかに生命が宿っていることを知った ゲゲロウ が、「この子の未来のために」と身を挺する姿にも教えられるものがあり、上映終了まで間もない今、もう一度「入村」するべきか 迷っているところです.