王59年オフ
ロイヤルズは昨シーズン最下位だったので、ドラフト1巡目第1位指名権を持っていました。
再建の足がかりとしたいところですが…
【どうも上手くいきません】
この年のドラフトの目玉はウィルト・チェンバレン。
1位で指名したいところなんですが、これをウォリアーズがテリトリアル・ピックで取ってしまいます。
そこで、ロイヤルズはカンザス州立大のボブ・ブーザーを指名しました。
ところがそのブーザーは、アマチュアのペオリア・キャタピラーズというチームに行ってしまいます。
来年(60年)の夏にはローマ・オリンピックがあり、それに出たいブーザーはプロ入りを遅らせる決断をしたのでした(この当時、プロはオリンピックに出られません)。
ちなみに、ドラフト当日には2巡目指名権&アーチー・ディーズをピストンズに出して、フィル・ジョードンを獲得。
ジョードンは6フィート10インチのC。
56年のドラフトでNBA入りし、3年目の昨シーズン、成長を見せた選手です。
【その後のストークスとトワイマン】
モーリス・ストークスはゆっくりと上半身の回復を見せ、歩行や会話のリハビリを始めていました。
また、タイプライターを使えるようになっており、最初に打った言葉はジャック・トワイマンへの感謝だったそうです(すべて打つのに一週間かかったとのこと)。
“Dear Jack, How can I ever thank you for all you've done?Maurie”
この当時、トワイマンは年俸1万5000ドル~2万ドルを稼ぐチーム1の高給取りでしたが、ストークスの医療費は年間10万ドルほど。
オフは保険会社で働いていたようなんですが、それらの収入を合わせても足りません。
そこでお金を稼ぐため、奥さんと一緒に基金を立ち上げたり、チャリティ・ゲームを企画したり、大物コラムニストを病室に招いたり…と様々なアイデアを実行に移しました。
コラムが世に出たときにはストークスの元には読者から封筒に入ったたくさんのお金が届いたそうで、ホテル経営者のミルトン・カッシャーと企画したチャリティ・ゲームは大規模なものとなります(59年8月に実現)。
のちにトワイマンの息子は、「もしあなたが本当に賢くて、物事をよく考えていたなら、モーリスの病院代を払うために年間10万ドル集めるのは不可能だと言うでしょう。彼らの選手としての年俸は1万5000ドルだったんだから」と話しています。
【補強ではなく再建ですかね】
①ジョニー・マッカーシーをホークスに出して、ウィン・ウィルフォング&ホワイティー・ベルを獲得。
②58年のドラフト7巡目で指名したウェイン・スティーブンスが合流。
ウィルフォングはキャリア2年のPG(6フィート2インチ)。
57年ドラフトの1巡目第4位指名ですが、ホークスでは出番が限られていました。
ベルはロイヤルズでプレイしません。
スティーブンスは地元シンシナティ大の出身。
カレッジ時代はFとしてプレイし、2年次と3年次に得点とリバウンドでダブルダブルのアベレージを残していましたが、6フィート3インチ・185ポンドという体格はこの当時としても小さいかなと。
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このオフ、ケンタッキー大の名将アドルフ・ラップがロイヤルズのHCになるという話がありました。
ロイヤルズのオーナーであるトーマス E・ウッドはラップと長年の知り合いで、ウッドは高額報酬&共同オーナーの座をオファーしますが、実現には至りませんでした。
ラップは72年までケンタッキー大のHCを務めたのち、ABAのチームに少しだけ携わります。