宮地厳夫先生は高弟の星野輝興翁に


自分こそが平田学の正系で、唯一人の継承者と自認している。汝亦吾意を体せよ。


という言葉を残されたといいます。


私は、長く平田篤胤先生の玄学部門の第一人者を目指してきました。最近、目の調子がよくなく断念せざるを得なくなりましたが…。😞


平田篤胤先生は宮地神仙道の師仙で、神集岳の高官でもあり、私は心からお慕いしていますが、私が最も崇拝する市杵島姫命、太真西王母須勢理姫大神の御関係について一つだけ納得がたいかないことを書き残しておられます。


しかし、師仙の見解に意を唱えることを書きたくなくずっと封印してきましたが、今回の流れからやはり書くべきと思いますので、そのことに触れたいと思います。師仙への私の気持ちはこれからも変わりませんし、平田先生も分かって下さると信じます。


「続 古伝が語る古代史」宇佐公康著

 

第五章 古代菟狭国の自足経済と発展

 

6 三女神の考証


には



三女神は、三という聖数によって整理されているわけで、もともと、一体であるとみなければならない。

 

これを一体として、人格神とみるときは、三女神はイツキシマヒメノミコトをもって代表され、象徴される


と書かれています。


竈門神社の由緒には

 

按ずるに玉依姫命を中央主祭の神とし、神功皇后八幡大神を左右に配祀せしは、宇佐神宮三座の神と御同神にして玉依姫命は同神宮の比売大神と御同体に座すなり。


近江国蒲生郡武佐八幡宮の社伝に、田心姫伊命瀛津島姫命市杵島姫命此三神号玉依姫命とあるなどを通観すれば、此三神は一体分身の神にして一体の時は須勢理毘売と称し(大同本記に見ゆ)宇佐神宮男山八幡宮にては単に比売大神と称し、又当社及筥崎八幡宮にては玉依姫命と申して一座の神なることを知るべし。


と書かれています。


平田篤胤先生も 古史成文 六十四に

 

今在海北道中。號日道主貴。此水沼君等之所神也。此三柱神。亦謂須勢理毘賣命。

 

と書いておられ、古史微の中で大同本記を紹介した後


事實を深く考へて、須勢理毘賣命と云は、やがて三女神の一柱と坐ます時の御名


と書かれています。つまり神社神道でも、古神道でも宗像三女神と須勢理姫命は御同神とされています。しかし、この大同本記の内容が問題です。


次回は平田篤胤先生の古史微に紹介されている大同本記を紹介します。


女仙様の御心のまにまに。