ホワイトパノラマ
リニューアルされた平和資料館を歩くと、「実物」をしっかり見てもらいたいという思いはよく伝わってくる。
東館から入るのだが、そのとき東館で目に入るものはただ一つ、ホワイトパノラマだけである。(貴重な写真が周りを囲んでいるのだが)
リニューアルの前は、廃墟となった広島のパノラマ模型が置かれていた。じっくり見ようとすればいくらでもそこにいることもできたのだが、今度真白なパノラマに投影されるコンピュータグラフィックスの映像は1分半(2回見てもわずか3分)。来館者は(なんとなく)すぐに「実物」のおかれている本館に向かうことになる 。
パノラマの前でじっくり説明を聞くことはかなわないが、これがわるいとは思わない。パノラマ模型に限らず、以前は東館に嫌というほど情報が盛り込まれていた。生徒を連れた私は、少々申し訳なく思いながらもほとんど素通りした。本館内のめざす被爆遺品に一直線なのだ。
初めて来られた方なら、東館の被爆前や被爆後の資料を一つ一つ丁寧に見られたことだろう。そうすると、本館入り口にたどり着くころには精神的にくたびれてしまうのだ。本館入り口の人形を見たらもう「満腹」で、あとは「駆け足」ともなりかねない。
だから、最初に本館の「実物」をじっくり見てもらい、余力があれば、引き続き東館の豊富な資料を見てもらうというのは、「なるほどな」と思った。
だけど、欲張りは承知ながら、「何とかならないかな」と思うところがある。
それは、ホワイトパノラマを見ることが、広島を高い空の上から見下ろすことになってしまうことだ。知らず知らずのうちに「爆撃手」の視点になっているかもしれないということだ。
いやいや、歴史を勉強してきた私にとって地図は必需品であり、地図は普通上から見下ろすものだ。
1945年8月6日、600mの上空から投下された一発の原爆により広島は一瞬にして壊滅した。そのことを目で見て感じるために、あのパノラマはあっていい。(本当は一瞬ではないのだが、CGは大火災が省略されている)
となると、私たちは「爆撃手」の視点から逃れて、すぐに地上の被爆者の傍に降りて行かなければならない。被爆者の視点に移動することを私たちは意識しなければならない。
雲一つないまっ青な空に、銀色の宝物のように美しい飛行機はかすかな爆音を響かせて、ゆっくり東から西へ飛んで行く。私はしばらくの間顔に手をかざして見とれていた。
どこかで「あッ、落下傘だよ。落下傘が落ちて来る」という声がした。(北山二葉「あッ、落下傘だ」広島市原爆体験記刊行会『原爆体験記』朝日選書1975)
ホワイトパノラマから次へ進むと、閃光をあびる「原爆の絵」がある。その前に、私は思わず空を見上げてみたいのだ。