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お弁当の猫きのこkairuです🐾

 

これは娘っこのお話です。

 

高齢になり、それぞれ持病を持った3にゃんを連れて、予防の為の検診も含めて動物病院に通っていて、なんのかんのと常連化して、向こうでお知り合いになった方と待ち時間にお話しするまでになった娘っ子。

 

 

病院から帰って来たキャリーバックにまんぷぅの臭いがついているのが

 
気に入らないティラさん
 

 

そんな中に関根麻里のアクを抜いて鼻をしゅっとさせて、儚げにしたような綺麗な人がいるらしい。(関根麻里を基準に考えても相当美人やわ!びっくり

 

その人は個人で野良猫などを保護して飼い、病院に連れて来ているらしい。

 

「猫の為に働いているのと同じよ。」と言う話を聞いて、なんだかほっこりしましたよちゅー

 

 

私の感覚ではうちの猫は家族で、野良猫はヨソの子。

 

 

 

うちの猫の頭数は、人が子供を生んでしっかりと教育を受けさせて、出来ることをすべてやって育てる場合、何人までなら産めるかと考えるのに似ています(私の場合の子は不妊治療でやっと授かり、結局ひとり授かるのが精一杯でしたが)

 

仲の悪い父母猫を冷たく見守るミルさんあせる

 

ヨソの子は可哀想と思うことがあってもそこは現在いる子達を守る為にも、圧倒的なボーダーラインがあるのです。

 

 

何かを夢中で応援している人を見ると、ひねくれている私は、この人は誰かを応援することによって、自分の承認欲求を満たす代償行為をしているのではないか?

 

じゃ、Win-Winだね。

 

で、何がこの人をそんな風に駆り立てるのだろう?と穿った見方をしてしまうことが多いです。

 

 

しかし、稀に承認欲求の坩堝のようにしか見えない政治家でも自身の給与を削ってまで、本気でこの国をなんとかしようと思っていると感じさせてくれる人達もいます。

 

そして、同じように、可哀想で我慢出来ず、何とかしなければとつい手を出してしまい、結局、私財を投げ打って無力感と戦いながらも動物を保護している方々もおられます。

 

団体に属する人もいれば個人でやっている人もいるけれど、その方々には承認欲求では説明できない純粋な、何か熱いものを感じて、人としてリスペクトしています。

 

自分に出来ないことを実行している人達は掛け値なしに尊敬する価値があると思います。

 

そんな無償の愛を注いでいる人のお話を聞くと、存在証明や承認欲求の塊のように見える人間も、まだまだ捨てたもんじゃ無いなとほっこりするのです愛飛び出すハート

 

 

 

ティラさんがひとりサンルームにいる時に入って来たお邪魔虫のまんぷぅ。

 

 

まんぷぅを蛇蝎のように嫌っているティラさんは

 

 

ホントに嫌そうに

 
 
顔を背けて
 
 
嫌で嫌で仕方ないって顔をします。
 
 

人でもにゃんこでも決して分かり合えない間柄ってあるもんですね・・・笑い泣きごめんね~タイプじゃない夫連れて来てごめんね~まんぷぅもごめんね~