最終話、「闘病記録3」は
2021年11月〜2022年2月
亡くなる3ヶ月間の記録になります。
ありのまま、
実際にあった状況をお伝えしたいので、
キツイ画像もあるかもしれません。
ご了承くださいませ。
副鼻腔リンパ腫疑いの診断から4ヶ月、
腫瘍による圧迫のために
呼吸困難で命を落とすのでは?と
心配していましたが、
呼吸音は少し静かになっていった。
変形している左目はあまり見えてない様子。
鼻血も毎日出ていた。
横から見ると腫れて大きなコブのように。
だんだん痩せていくオレヲですが
食欲はあったので
そこだけは希望になっていましたが・・・
11月14日
奇跡が起こったのです。
なんと5ヶ月近く
ペーストの療養食しか食べなかったのに、
大好きなお刺身を食べたのです!
パパが釣ってきた魚をさばいていると、
以前のように足元で
欲しがる素振りをするので
鼻先に持っていってあげたら
パクパク食べた!
夫婦で大騒ぎです。
もっと食べたいと鳴きますが
いきなりたくさんあげられないので
恐々少しずつお刺身を食べさせていると、
次の日には猫缶も食べたのです!
下痢してないか様子を見ながら
療養食、猫缶のようなウェット系固形物、
お刺身など食べられるようになった。
ジュレやスープ仕立てのものは
あまり好まず。(上手く舐められないからかな)
11月21日
左目から結構な量の鮮血が出てびっくり。
食欲は戻ったけど
病気は進んでいるんだなと
悲しすぎる現実を突きつけられた。
この頃から
食事の要求鳴きが酷くなってきた。
トイレも2日に一度ははみ出していて
掃除が大変だったけど、
3匹のうちだれか分からず、
オレヲではない、と思っていた。
(オレヲが亡くなってからトイレは一度も
汚れていないから、実はオレヲだった!)
12月26日↓
腫れがだいぶ引いて
目が大きく開くようになってきている。
もしや快方に向かっているかも、と
思わせる状態と食欲。
この状態はそう長くは続きませんでした。
一日中大きな声で「ごはんくれー」と
ギャーギャー、ギャーギャー鳴くのです。
食べて数分もしないうちから、ずっと鳴いてる。
あまりのうるささに
精神やられそうになりました😢
尋常じゃない様子に
腫瘍の影響による認知症の疑いを持った。
以前のように
事あるごとに抱っこして攻撃もなくなってる。
だんだん本来のオレヲじゃなくなっていくのは
辛かった。
2月になると再び顔が腫れてきた。
そうね、
亡くなる10日前に
廊下や絨毯でおしっこをし始めちゃった。
ちなみに
歴代の犬たちはみんな、
老衰で亡くなる時は
最後までほとんど粗相なしでしたが
4ヶ月前に亡くなった
イングリッシュセッターのモルで
オムツ介護に慣れていたから
速攻でペットショップに走った。
オムツの種類とサイズに悩み、
お試し4枚入りのオムツ
SとSSSの2種類を買ってきた。
計8枚使い切る前に
結局SSが良いだろうとわかって38枚入りを購入。↓
猫用のマナーウェアもあるけど
💩のこともあるし、
犬の女の子用を使っていました。
オムツもたまに横から漏れるので
防水のクッションシートを敷いてあげた。
亡くなる6日前のこと
高さ76cmのダイニングテーブルに
飛び乗るのに失敗した。
以来、ごはんは床に置いてあげた。
それでもまぁまぁ動けたし
友人夫婦が遊びにきた時
お皿の「数の子わさび」
を盗んで食べてしまったり、と
猫の認知症の凄まじさを目の当たりにした。
オレヲはお刺身と猫用のフード以外は食べず、
盗み食いをすることもない子だったから。
でもね
逆に認知症入っててくれたから
最後まで鳴いて動けていたのかもしれない。
食べ物への執着心のみ、が
他の辛さを感じさせなかったのかも。
その翌日から
とうとう要求鳴きも減って
ほとんどの時間をコタツの中で過ごすようになった。
ごはんもペーストのみしか食べなくなった。
人間ならとっくに寝たきりだけど
亡くなる2日前
朝私を起こしに2階まで上がってきて
びっくりした。
すごいなぁって、泣きそうになった。
その日の午後からは
ほとんど起き上がることもなく
ストーブの前で寝ていたけれど
亡くなった当日の朝3時に
ふらふらと立ち上がって水を飲みに行った。
その日は15:00に歯医者があって
キャンセルできないし朝から思い悩んでいた。
その時間まで容体は安定していたし、
夫も帰ってくる頃だから、
「待っててね」と声をかけて出かけた。
コロナ禍で療養中の私は
この2年ほぼ24時間
動物たちのそばにいた。
万が一があったとしても
運命と思って受け入れられるし、
やれるだけのことはしたから、と思って
意外とどうしよう?とは思わなかった。
甘えん坊のベタベタニャンコのオレヲが
1人で逝っちゃうわけない、と感じていた。
ちょうどのタイミングで
仕事帰りの夫が迎えにきてくれて
一緒に帰宅。
オレヲ待っててくれました!
それから2時間半後の19:00に
天国に帰って行きました。
最後の1時間は夫婦でずっと見守っていられた。
最後まで
なんて親孝行の息子なんだろう。
たくさん
たくさん
ありがとうを言った。
ちょっと
早かったかも
この記事書くの。
すみません
まだ書き足りないことあるかも、
文章もひどいけど、
今はこれが精一杯。











