「人生会議」の厚労省の啓発ポスターが公表された途端、患者や遺族を傷つける、死を連想させて不適切、怖がらせてどうするなど、SNS等で批判が寄せられました。患者団体の抗議なども受けて、厚労省も地方自治体等への発送を取りやめたようです。

 

「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです。この取組自体はとても大事なことと思います。

 

医療や介護といったサービスを、どのように生活者が使ってよりよい生き方をしていくかというのは、大変重要な課題であり、私が担当していた「上手な医療のかかり方」も含めて最近この手の広報も重要性も高まっています。

 

このポスターの是非については、既に色々な方が論じておられるので、僕は役所の広報の在り方について今日はお話したいと思います。

 

 

1. 元々、役所に広報とマーケティングは存在しなかった

 

乱暴な言い方になりますが、小泉政権くらいまでの政策決定過程を顧みると、役所に広報とマーケティングという仕事は存在しなかったと言ってよいと思います

 

1990年くらいまでは、まだ多くの有権者は組織化されていましたので、関係する団体の代表の意見を役所がちゃんと聞いて政策を作っていれば、それほど国民から強い不満は出なかったのではないかと思います。このコミュニケーションを形にしたのが、審議会に有識者や関係者の団体代表等に集まってもらって、意見を言ってもらい、案を提示してよく話し合って決めるという「伝統的な政策形成過程」です。

 

社会経済が右肩上がりであり、経済の果実の分配が主な政策課題だったということもありますし、団体内でどこまで精緻な議論をしているかは別として、例えば「自分たちの所属する団体(例えば業界団体、労働組合など)の代表たちが一生懸命考えて役所とちゃんと話しているんだから大丈夫だろう。」というような安心感みたいなものもあったように思えます。

 

ですから、この「伝統的な政策形成過程」の中で、関係団体(政治学などでは「中間組織」といいます)を通じて広報もマーケティングの機能も実施的にカバーしてきたのです。

 

政策を決めた後も、役所は地方公共団体や関係団体に「通知」という形で政策の内容をお知らせして、関係者への周知をお願いしてきました。(この仕事のやり方は今でも続いています。)

 

 

2. 伝統的な政策形成過程の機能不全と補完システム

 

それ以降は、経済が停滞し税収も下がる中で、高齢化を背景とした社会保障を中心とした行政需要の増大の中で、負の分配をしなくてはならなくなりました。例えば、社会保障の中でもニーズに応じた制度の充実も進めていますが、所得の高い高齢者の医療の窓口負担を引き上げたり、年金の支給開始年齢を引き上げたり、保険料や消費税を引き上げたりといったことをせざるを得ず、そうした負の分配をやってきました。

 

さらに、非正規雇用の方が増えたり、国民の生活や価値観が多様化する中で、有権者も組織化されなくなり、どんどん無党派層が増えていきました。

 

これに輪をかけるように、衆議院では小選挙区比例代表並立制という選挙制度改革が行われ、無党派層の投票行動が政党の議席数に大きく影響を与えるようになりました。(中選挙区なら1位だった人が少し人気がなくなっても3位で当選するようなことがありますが、小選挙区では(比例復活はあるとしても)1人しか当選しません。)

 

 ですから、この頃から審議会に代表されるような、有識者と関係者の団体代表等を集めてよく議論して決めるという「伝統的な政策形成過程」だけでは、国民としては「自分の意見が政策に届いているとは思えない」という気持ちになってきたのだろうと思います。

 

 ただし、この伝統的な政策形成過程は、かつてよりうまく機能しなくなってからも一定の合理性はあるので、引き続き活用されてきました。

 

 そうした中で、やれ「既得権益だ」「抵抗勢力だ」「岩盤規制の打破だ」「脱官僚だ」「政治主導だ」「(企業側ではなく)国民の生活が第一だ」「政権交代だ」「事業仕分けだ」といった言葉が紙面を飾りまくるようになり、実際にそのような言葉を受けたシステムも伝統的な政策形成過程を補完するように整備されてきたように思います。

 

 ただ、例えば規制改革などの政策形成過程の「補完システム」も国民各層をカバーできるわけではありません。

 

 多くの国民は、政策形成過程の外に置かれたままでした。そのフラストレーションにうまく対応したのが、劇場型政治といって人気を博した小泉純一郎総理だったのでしょうし、政権交代を成し遂げた旧民主党だったのでしょう。

 

 また、記憶に新しいところでは、2017年の衆議院解散総選挙の前に、安倍総理が記者会見をして、直接国民に消費税増税と使い道の変更を説明した手法も、政策形成過程の外にいる国民と直接コミュニケーションをとろうする試みだったのだろうと思います。(内容の是非にはここでは言及しません)

 

3. なぜ、役所に広報とマーケティングのプロがいないのか

 

 上記2で述べたように、政策形成過程の外に置かれた一般の方とのコミュニケーションを不十分ながら試行錯誤して取り組んできたのは政治の方でした。

 

役所の役割は、まだ「伝統的な政策形成過程」やその「補完システム」の対応がメインである状況が続いてきたと思います。

 

したがって、役所の中には、直接一般の国民の方に何かを伝えたり、意見や気持ちを理解するといった、言わば広報やマーケティングのプロがいまだに存在しないですし、各局の広報体制の強化や研修の実施などには取り組んでいますが、本当のプロは育成されていません。

 

例えば、事務系キャリアの中で広報を専門に担当するポストは広報室長だけであり、そのポストは将来事務次官になる可能性があるような優秀な人がつきますが、同期の中で1人いるかいないかです。

 

 しかも、これまでの広報の役割は、一般の人に何かを伝えるというよりも、記者クラブの担当記者とのコミュニケーションを円滑にすることにより、正確な報道をしてもらうというところに力点が置かれていました。

 

 そういう意味では、記者クラブの大手メディアの記者の人との付き合い方を学ぶ機会はたくさんありますが、「一般の人に何かを伝えて、行動を変えてもらう。」という意味での広報という仕事、まさに「人生会議」のような仕事に詳しい人はほとんどいないのです。

 

 献血や感染症予防を呼びかけたりする公衆衛生分野の部署では比較的力を入れてきたように思いますが、全省的にはまだまだ広報が重要な仕事とされていないように思います。どうしても、制度の立案が本業という意識が非常に強いと思います。

 

  

4. 効果かつ適切な広報のために

私も本件の報道による情報しか持ち合わせていませんが、バズフィードの報道によれば、委託先の業者の提案を役所の中で検討してGOサインを出したということのようです。

 

(民間業者任せではまずい)

残念ながら、委託先の業者もPRのプロではあるのでしょうが、人生会議のようなセンシティブな話題のプロではないでしょう。だから、間違えることがあるのだと思います。もっといえば、純粋な商業広告でさえ、差別を助長するなど倫理的な問題で炎上することもあります。

 

お金を払って、専門の業者に委託すれば大丈夫ということではないだろうと思います。

 

(役所の中での人材育成は難しい)

役所の中で育成できるかというと、そのようなセンスを高める取組は大いに進めるべきと思いますが、既に極端に人員体制が不足している中で、新しい分野の人材育成を進める余裕はないのではないかと思います。また、僕自身も8年以上ブログやツイッターなどで個人的に発信をしてきて、官僚の中で最も広報というものの重要性を痛感してきている自負がありますが、僕でも広報の正解ってやっぱり分かりません。「これは、まずいだろう。」というのが、だいたい分かるくらいです。

 

 (他の仕事と異なり幹部が適切な判断ができるというものでもない)

 これまで述べてきたように、この手の国民に直接何かを伝えるという広報は、役所が伝統的にやってきた仕事ではないので、他の仕事のように上司や幹部が過去の多くの経験を活かしてより適切な判断ができるというものでもありません。したがって、広報独自の仕事のやり方を考えないといけないのだろうと思います。

 

(業務委託+運営委員会方式の有効性)

 となると、より多くの広報やその分野の専門家や場合によっては当事者と一緒に議論しながら内容を決めていくのが最も効果的と思います。

 

実際に役所の広報事業の委託方式には、単に広報業者に委託してお任せするのではなく、複数の有識者からなる運営委員会を構成して、業者ともコミュニケーションをとりながら広報内容を決めていくという手法が可能です。

 

僕が、退官する前に担当していた「上手な医療のかかり方を広めるための懇談会」という、やはり医療に関する広報のプロジェクトがありましたが、この難しい仕事を役所のリソースだけで効果的にやる自信がなかったので、デーモン閣下を含めてかなり攻めた人選(注:閣下の場合は人間ではないので「魔選」)をして、懇談会で議論を進め、さらに広報の実施についても運営会方式で力を貸していただきました。

 

正直、この手法をとるのは、広報事業の執行に意見調整のプロセスが入るので、かなり業務量が増えます。人生会議も僕の古巣の部局の仕事ですが、本当に人員体制が不足しすぎています。大事な仕事ですから多少コストがかかっても必要な人員体制の確保も必要だろうと思います。

 

 最後に広報が大事な政策ツールと僕が考えていることを図示したもの(あらゆる講演で使っています)を下に添付しておきます。どうしても法規制や予算など強いツールに注目が行きがちですが、政府のツールのベストミックスで望ましい方向に人の行動変容を促していけたらと思います。

 

 

【図】政策とは

 ⇒ 政府独自のリソースを活用して、人々の行動変容を促し、社会課題を解決する営み

法規制          例:労働基準法による長時間労働規制、医薬品製造販売の承認制度、年金制度、医師免許制度
予算        例:保育所整備予算を確保し待機児童を解消、水道・道路などインフラ整備、企業への各種助成金
税制           例:障害者雇用を進める企業への優遇、研究開発の促進、寄付金税制、医療費控除
執行           例:労基法違反の取締り、ハローワーク、麻薬取締、児童虐待を受けた子どもの保護
情報提供         例:感染症情報の提供、母子健康手帳、女性活躍データベース、海外渡航情報
PR             例:がん検診の勧奨、里親募集、クールビズの推進
表彰             例:イクメン企業アワード、現代の名工・技能五輪、グッドカンパニー大賞
海外との協力  例:開発協力、防衛協力、経済連携協定、社会保障協定、トップセールス等企業支援