「嫌い」の数だけ、自分を愛せていなかった。 | ほぐしてつむぐ日々

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編集者・シンガーソングライター・All About恋愛ガイドの藤嶋のブログ。親子の確執における自己分析・パートナーシップについても書いています

「毒親」の「毒」というものは、驚くほど強力で簡単に消えないものです。50歳になってもまだいろいろと出てくる。

 

さて、私のこれまでの毒親との向き合い方から、以下のような経緯をたどっているというのが現在の分析。

 

否定(信者) :人の話を聴いても「私の親は『毒親』ってほどでもないかな」「お母さんのことすごく尊敬しているところもあるし」と否定。母に「母が正しい」と刷り込まれコントロールされてきたのもあり盲目的。半分は母を好きで母を否定したくない

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受容(吐露) :「やっぱりうちの母もおかしい」「そうか私は母の影響で『自分』を認められないのだ」と気づく。ここからしばらく“母にどんなことを言われたか”“どれほど辛かったか”にフォーカス。自分の苦しさを語るナラティブライティングが始まる。

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否定(味方) :少し客観的に「それでも母も祖母との関係が大変だったのだから」と母の立場に寄り添おうとする。尊敬する人(親とは仲がいい)から「そんなこと言ったら親がかわいそう」と言われるなどの周囲からの軋轢もあって無理に閉じ込めようとしてしまう

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受容(葛藤) :母を無理に100%好きにならなくてもいいのだとは気づくが、「このイライラ・モヤモヤはなんだろう?」と心身の不調はまだ抱えている。「愚痴・批判・嫌い」もまだ多い。「やっぱり母のせいなんだろうか?」と逆戻りしているように感じる。「統合すべき」「そうすれば自分を愛せる」という回路はわかっているができない

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統合(安定) :「きっかけは母だ」「だけど、このイライラ・モヤモヤを抱え続けているのは自己責任である」と腹で気づく。つまり、根本的には「自分が変わるしかないのだ」と気づく(思考ではなく腹に落とし込むことが重要)

 

人によって過程は異なると思うけれど、今、やっと⑤のところまで登ってきたかなと自己分析している。すべて必要な過程だったと思う。やはり人の成長は「螺旋」だ。振り子のように極を行ったり来たりしながら、前と似ているけれど少し上へと上昇していく。

 

「統合しなければ」と思っていたときには、まだできていなかった。無理に統合しなくても、「ちゃんと元気になりたい」「『自分の思う人生』を生きたい」と、心の底から願うことで、その気づきを得ることができた。

 

 

これまでの私は、心のどこかで「あぁ、できることなら、偶然事故に遭って命を落としてしまえたらなぁ」と思っているところがあった。人生に随分と疲弊していた。能動的に「生きよう」としていない。責任感から「生きなければ」と思っていた。心身を大切に思えていなかった。だから、元気になれなくて当然だ。

 

まぁ、極論「しんどい自分でいたい」「なぜなら人に心配してもらえるから」だったのだろう。ただの承認欲求だ。

 

そう気づいたと同時に「あぁ、自分の『からだ』さんに、ひどいことをしているのだな」と思えて涙が出てきた。本当に申し訳ないことをしてきたのだろうなと。

 

とはいえ、裏切り、いじめ……どんな目に遭おうと、オープンマインドというスタンスは変えずに生きてきたのだから、心身は疲弊していて当然だし、心をガードせずにいつもしっかり相手と向き合おう、自分の心と向き合おうとしてきたので、私の「心」はきっと、疲れていて当然!なのだろうと思う。

 

今後も「『心』を閉じる」ことはしないけれど、きっと、これからは「『心』を守る」ことはしていこうとも思う。そして、『からだ』については、「私はちゃんと生きるから、よろしくね」ということを伝えた。

 

自分が自分を愛する。

 

言うのは簡単。それが大切であることもわかる。でも、やはり「毒親育ち」には難しいという現実がある。

 

それでも毎日、自分の『心』と『身体』に向かって、「今日もありがとう」「私はちゃんと生きるからよろしくね」と声をかけるところから始めるだけでも、心身が大きく変わったのを感じる。いろいろなことに感謝の気持ちが湧いてくる。

 

自分を甘やかすのではなく、自分の心身にフォーカスする。自分の本音に気づいてあげる。自分を見てあげる。自分の身体の声を聴いてあげる。それがいかに大切かを、今、実感している。

 

そうなってくると、もう母の「毒」などどうでもいいと思える。ニュートラルな位置に立つと、「好き」と「嫌い」ではない「どっちでもいい」が増える。

 

「嫌い」の数だけ、きっと、自分を愛せていなかった。

「嫌い」が多いと、世間に対する文句も増える。

「嫌い」が多いと、自分に対する呪い(どうせ私なんか)も増える。

 

「どうせ私なんか」という呪いの言葉は、コントロールタイプの母親からの暴言の抜け殻。その抜け殻に気づく度に、それをそっと外しながら、自分の意思でこれからの人生をしっかり生きていこうと思う。