ライターは「コンセプト」の曖昧な仕事に気をつけて | ほぐしてつむぐ日々

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編集者・シンガーソングライター・All About恋愛ガイドの藤嶋のブログ。親子の確執における自己分析・パートナーシップについても書いています

真名井神社

 

就職情報誌『とらばーゆ』の編集をしていたころ、ライターさんが企画を持ち込んでくださったことがあります。でも、残念ながら編集経験のないライターさんに共通していたのは「コンセプト」の重要性をご存じないということでした。その企画書には明確なコンセプトが書かれていることが少なかったのです。

広告出身の自称・編集者さんの元で働いたときも、そう。「どういう意図があるのか」を考える前に、先に「形」から入ってしまう。

「ここにタイトルがあって、ここに画像があって……」。それは企画ではない。ただのレイアウトです。「レイアウトする」ことは「作業」であり、「編集」ではない。

企画を立てる、ということは、そこに必ず「目的」がある。
そして、すべての「企画」には必ず「目的」に達成するための「意図」がある。

だれになにを伝えるのか。
どんな目的のために記事を作るのか。
それによって読み手、作り手、双方にどんなメリットがあるのか。

これが最も重要です。

 

コンセプトが書かれた「企画構成案」は建築でいうところの「設計図」。同じ設計図を手にするから、多くの人が関わっても、一つの素敵な家ができあがるわけです。関係者がそれぞれ、別の「脳内設計図」をしかも曖昧に描いていれば、もめることになります。

 

 


設計図である「企画構成案」を決めてからWebディレクター(紙媒体なら編集者)がライターに仕事を発注します。ディレクターはそれを「指揮」する役割です。ライターがちゃんと意図を持って取材し、記事を書いてくれているかどうかを確認するのです。

 

意図のない原稿は、ただの「報告書」です。プライベートな内容ならただの「日記」です。できごとの報告です。

 

私たちプロの編集者・ライターは、ただ「話を聞いてまとめる」だけではなく、「どんな人に、なにを聞いて、だれに伝えるか」をしっかりと見極め、それによって質問内容も見せ方も、考慮するのが仕事です。

昨年の教訓となった仕事を例に挙げます。二度とこんな仕事をしたくないと思った事例ですが、「取材させていただいた方々」については本当に素敵な方ばかりだったことも最初に明記しておきます。

昨年、とある公に近い団体の仕事を請け負いました。発注時には、「各エリアの団体の代表の方にインタビューをして、そのエリアでどんな活動が行われているのか、どんなことに力を入れているのか、各エリアの良さを紹介したい」という意図を聞きました。

・代表に話を聞く
・代表の方の顔写真を出す

つまり、インタビュー記事ですね。ということは、一人称語りになりますし、口調や雰囲気も出すほうがいいという判断をします。

発注2日後には、取材に行き、数日後、その記事を仕上げ一人称語りの原稿を、この仕事を依頼してきた担当者に読んでいただき、OKが出たので、すべての記事を同じように仕上げました。その月のうちに約40件のうちの20件が終わり、請求書を発行し振り込まれました(期末だったので先方が急いでいた。予算の都合でしょう)。

 

その2ヶ月後、担当者が変わったらしく新しい担当者(最初の発注時に同席していた)から、続きの20件の依頼が来てまたインタビューに行き、20件の原稿を仕上げてからのことです。

「一人称語り」だからか、「もっと真面目な文章に修正してほしい」と言われたのです。納品した数ヶ月も経った原稿のリライト依頼など、常識的に考えてあり得ない話でした。

公の団体の報告書とインタビュー記事は、まったく異なるものです。

報告書は、ただ淡々と綴るものでいい。インタビューは、その人の雰囲気が出ていてもいいものです。ライターがわざわざ聞き取りをして執筆をして顔写真を掲載するのであれば、本来、一人称での語り口調でよいはずですが、慣れないとそれが稚拙に感じられるのかもしれません。

しかも、「原稿確認」をおこなう際、生原稿でチェックしてもらったのもよくなかったと思います。原稿チェックは必ず「仕上がりがわかる状態で全体を見てもらう」のが鉄則だと、編集者としては考えます。私がWebディレクターであれば、そうします。生原稿だけを見せるということは「一部」だけを見てもらっているということ。

 

例えば、活動報告なのだから「報告書的」に仕上げたいということなら、年表のようなものも作成し、「インタビュー記事」と「活動報告年表」と、どちらも出せば「Webページ全体」ですべて伝わりますし、内容が締まります。そういう見せ方もできる。Webディレクターがそういった構成案をしっかりと考えるべきです。

でも、団体のホームページ担当者とWebディレクターがしっかり意図を持っていないので、「800字の原稿」と「人の顔写真」が入る……というただのレイアウトのイメージだけで発注をする、担当者がそれにOKを出す、そこから私が依頼を受けて動く。

 

私のほうでできる範囲で「800字は短いので、活動すべてを書いていては内容が薄くなってしまう」「ゆえに特にがんばった3つをメインに書きましょう」という打ち合わせはできていた。


それでも、結果、あぁでもないこうでもないと、クレームが入り、最初の発注時とは全然話が違ってくる。そのうえに「料金が高い」と言い出される始末。

私たち自営業は、「時間」が命。その仕事では、毎回片道200km前後を車で走らせて移動して一人で3〜4人にインタビューするという仕事だったので、確実に1日潰れてしまいます。その場合、過去、この業界では拘束料というものが支払われていました。ほかの仕事が一切入れられない状態になるからです。

こういった仕事の人間にとっては「時間」という「商品棚」に、いかに「商品(各案件)」をうまく切り分けて、効率よく仕事できるかで、収入が大きく変わってきます。

この仕事を請け負ったおかげで、私は、ほかの仕事が引き受けられない。ほかの仕事を犠牲にして引き受けている状況で、1件20,000円(撮影込)。片道2〜3時間かけて訪ねていき、インタビューに慣れていない方から、一人60分ずつ話を聞き出し、また2〜3時間かけて家に戻る。その日はまったく仕事できないほど疲れます。私にしたらキャリアを考慮すると低めに設定したつもりでした。勉強にもなると考えたからです。

しかも、発注した担当者がOKを出した原稿を、数ヶ月経ってから、原稿チェックに回したところ朱書きがたくさん入って戻ってきたからと、私に対して団体職員3人で取り囲んでクレーム。そのうえ「本人が書いた普通の報告書」のような文章に修正されていく理不尽さ。

それなら、最初から本人が書いたほうがよい。
ライターに発注すべきではない。
顔写真だって、職員同士で撮影すればいいのです。

「インタビュー」を依頼するということは、そこに意図があって然るべき。ただ真面目に箇条書きに近いような報告書的な記事にするのであれば、最初からライターに発注しなければいいのです。写真にまでクレームをつけ始めましたが、それならカメラマンを雇えばよい。取材・執筆・撮影で1件20,000円。この料金では、プロのカメラマンには発注できない。しかもスケジュールが先に決まっている状況で、発注時3月に、今月末までに20本の原稿を仕上げてくれ……というのなら「特急料金」を上乗せされてもおかしくない。

さまざまな環境でがんばる方たちにたくさん話を聞けたことは、私にとっても勉強になり励みになり楽しいことでしたが、後味の悪い終わり方をしました。仮に、彼らが時給1,000円でバイトを雇って、この記事を作成していれば、もっと予算は安く抑えられたはずです。あまりの理不尽さに、本当に悲しくて悔しくてたまりませんでした。

しっかりコンセプトを立てられないウェブ担当者が作成し、そのために私への発注が曖昧になり、了承した担当者からの引き継ぎが曖昧なために、さらに仕事が曖昧になる。数ヶ月もしてから書き直しが来たのは人生初でした。

結局、リライトには追加料金がかかることを伝えて、リライトしないことになりましたが、本当に「ただの作業」の依頼を受けてしまった反省事例です。

ライターがやる意味が、そこにはなかった。

新担当者たちが、
「もっと季節の挨拶から入るとか……」
「この料金なら、もっとこの土地の良さについて話すとか……」
などと口々に話していましたが、それなら800字では納まりませんし、時間も労力も必要です。なにより最初からそれを含めて発注すべきです。

そして、全体の構成を考えるのは「Webディレクター」の仕事ですので、ライターの業務ではありません。最初のWeb担当者とWebディレクターがしっかりとコンセプトを立てていないから、発注してから「もっとこうすればよかった」が出てくるのです。

こういったことは多々あります。

 

最後は言った言わないの水掛け論になってしまい、当初の金額はいただけたものの、あの仕事のために犠牲にした「時間」と「労力」はムダになってしまった印象が否めません。彼らのひとりが「うちなんて、こんなもんです」などと開き直ったときには呆れました。

「数をこなす仕事」は請け負わない。
たとえそれが、ちゃんとした団体であっても。

個人事業主は舐められます。現に、この仕事は、大手の見積もりが高かったから私のところに回ってきた仕事でした。個人だから動けた。でも、文句を言われて終わり。価値を理解されないうえに、ダメ出しされるという理不尽さ。

 

謝罪してくださった方もいらっしゃいましたが、そもそも男3人で、私一人を取り囲む時点で、私は「人としてどうなの?」と思いました。もう気持ちのうえでは受け入れましたし、お金も予定通りに支払われましたし「時効」だろうと思うので書きましたが、決して「やってよかった」とは思えません。

なんでも仕事を引き受けるのが大切な時期もあるでしょう。私のように、娘の学費のことを考えて、「まとまったお金が入る仕事」を選んでしまうこともあるでしょう。

 

だけど、それで「年収」が変わったのかというと、実は、結局、さほど変わりませんでした。疲弊した分、拘束される時間が長い分、執筆を別の日にしなければならないから、結局は効率の悪い仕事だったのです。ゆえに結果的には少ししか年収はアップしていません。

 

どんな仕事を引き受けても、そのとき引き受けた仕事が、そのときの正解だと思います。でも、どんな仕事を受けるにしても、コンセプトをしっかりと擦り合わせることは、重要です。

 

だれに、なにを伝え、情報の発信者、受信者が、どういうメリットがあるのか。文体を含めてすべて確認しましょう。

 

私がこのできごとから学んだのは、「今後の自分の編集(ライター)の仕事についてよく選択せよ」ということです。その後、月間広報誌の編集からも退きました。そして、現在、本当に素晴らしい単行本の「書籍」を編集しています。


※画像は真名井神社。仕事ついでに立ち寄ったときのもの