つよく やさしく しなやかに

編集ライター、AllAbout恋愛コラムニスト藤嶋ひじりのオフィシャルブログ。恋愛・パートナーシップ・子育て・毒親や母娘問題について綴ります。琴線に触れる現象や言葉に気づき、その感覚と対話するのが好き。


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「人生の学び」とは。

 

人が生きていくうえでの学びとは、「起こったできごとの『感情』というフィルターを通して、『自分の悲しみ』に気づき寄り添うこと』と『自分の悪意』に気づき反省すること。

 

……だと、私は思っています。

 

「悲しみに気づき寄り添う」

「悪意に気づき反省する」

 

「人生の学び」として、この2つはセットになっていることが多く、セットになっていない一番厄介な問題は、自分が選んだ環境ではないつながりが原因の場合……つまり「親子関係」だと思われます。まぁ、この親子関係さえも、そのうち「やはり自分が選んだんだろうな」とわかる日が来るものですが。

 

たいていのことは、「なんで、私がこんな目に」ではなくて、「あぁ、意図して起こったことなんだな」と、時間が経てばわかると思います。

 

「悲しかった。よくがんばった私」には気づけるものの、「自分のどこがいけなかったのか」に気づくのは難しい方も多いようです。どちらも重要ですが、「反省」については目を背けたいのもあって、リアルタイムには気づけないことも多々有ります。ここで重要なのは、決して「自分はダメな人間である」という「全否定」ではなく、「私の行いのどこがいけなかったのか」という「反省」であることです。

 

つまり、「出来事を通して、モノゴトの陰陽に気づく」ということが重要なのだろうと推察します。それが「課題をクリアする」ということです。

 

「自分の悲しみに気づいて寄り添う」
「自分の悪意に気づいて手放す」

 

……このどちらもできて初めて、「本当の意味での課題のクリア」になるのだろうと思います。

そのことに気づいたのが10歳前後だったので、当時は、誰にも共有できずに寂しかったのですが、霊能者さんに出会い、30代で答えあわせができたのはラッキーだったかもしれません。今は、似たような話が「宗教」や「成功哲学」などで語られていますよね。

 

さて、今朝、私は中ぐらいの課題(人生の課題には、難易度の大小があります)をまたひとつクリアしました。それは非常に残酷で受け入れ難い、「反省」でした。

  

「前夫が娘たちに虐待をしたきっかけを作ったのは、私である」ということです。

   

私の両親が亡くなったことで、私は、父からの虐待について許す方法を探していました。父が亡くなり、お金が少し入ってきたことで「これを、父からの愛だと思おう」としました。でも、今朝、久しぶりにパニック発作になりかけてわかったのです。

 

「虐待は、お金では解決できない傷である」ということなのだろうと思います。

 

頭では理解しようとしていても、心身は拒否していたのですね。「父が私に体罰を与えているときに、ほんの少しの罪悪感も感じることもないほどの怒りに身を任せていた」ことを思い出したのです。そして、同時に、それは母もいっしょだったと思い出しました。

 

母が、私に異常に激しく怒りをぶつけるようになったのは、父よりも先だったことに気づきました。母が、私に感情をぶつけていたから、母に影響されやすかった父が、私にぶつけ始めたのです。

 

きっかけをつくったのは、母だ。

 

……そう思い出したと同時に、自分もそうだったことに気づきました。

 

前夫の娘たちへの虐待のきっかけをつくったのは、私だ。

 

うすうす気づいてはいましたが、はっきり認識し、あらためて反省しました。

 

「叱る」のと「虐待」とは違います。母は、私にかなりの体罰を与えていましたし、体罰を正当化していました。長女が小さいころ、私が躾けているときに、「もっとちゃんと叩きなさい」と言われたこともあります。私は、母ほどの小さな理由で何度も娘を叩いたことはありませんし、前夫のようなひどい体罰を娘に与えたわけではありません。

 

ただし、よくガミガミと叱っていました。

  

それは、決して、娘たちには背負いきれない、前夫の借金問題や、両親からの虐待や、クラスメイトからのイジメや裏切りなど、おそらく過去の怒りや悲しみをそこに上乗せしてエネルギーとしてぶつけていたのも事実。

  

決して前夫と同じことをしていたわけではありませんし、「行きすぎた」と思ったらいつも、「ごめんね。ママも言い過ぎた」と毎回、謝っていましたので、そこも両親や、前夫とは違います。彼らはまったく謝罪も反省もないので。

  

それでも、反省すべきなんです。気づいたときに反省しなければいけない。そして、反省して「自分の中にある醜い部分」に気づくことで、また人に優しくなれるし、「人間って不完全な生き物である」ということを受け止めることができます。

  

そうやって成長することが、大切なのです。
それが、魂を磨く方法だと思います。

   

両親からの体罰やモラハラを、「お金を残してくれた」ということで、「これを愛として受け取る」ことを選んだ私は、インナーチャイルドが「そんなん無理!」と言ってることに気づきました。

  

今朝、それがパニック発作になって現れました。発作には至りませんでしたが、久しぶりに「爆発しそうなものを胸が抱えている」状態になり、一歩間違えたらパニック発作になるところでした。身体は正直です。

  

「お金という愛」を受け取っても、私の悲しみは消えません。それでも、「私が、前夫の体罰を導いてしまったのだ」という事実に目を向け、しっかり反省すれば、この課題はクリアです。さて、これでまた課題をひとつこなせました。魂磨きは、死ぬまで続きます。あとは、小さな課題がほとんどです。

  

「出来事から何を学ぶべきか」。それに気づくヒントは、今回の私のように「似た出来事」が多いです。夫婦や親子という「合わせ鏡」は最もわかりやすい気づきやすいヒントを見せてくれます。

  

そこから何を学ぶか。
どれだけ反省できるか。

   

それによって、のちの人生の豊かさが大きく変わってくるのだと思います。

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