映画「エンテベ空港の7日間」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 1976年6月27日。イスラエルのテルアビブ発パリ行きのエールフランス139便。乗客は239名で、そのうち83名がイスラエル人だった。同機が経由地であるギリシャのアテネ空港を飛び立った直後、銃と手りゅう弾で武装した男女4人組によってハイジャックされる。同機は急遽、南へ方向転換し、リビアのベンガジ空港に到着。ここで燃料補給を終え、向かった先は、”人食い大統領”の異名をとる、かのアミン大統領の待つウガンダ・エンテベ空港だった…。これは事実に基づく物語。

 

 ハイジャック犯の正体は、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のパレスチナ人メンバー2人と、ドイツ極左テログループ「革命細胞」のメンバー、ヴィルフリード・ボーゼとブリギッテ・クールマンのジョイントチーム。その要求は、身代金500万ドルと世界各地に収監されている50人以上の同志の解放だった。

 

 事件の報は即日、イスラエル首相のイツハク・ラビンにも伝えられた。テロリストとは一切交渉しない―。建前はそうでも、人質殺害予告のリミットが迫り、なおかつ、その家族らが官邸に押し寄せるに及んで、犯人側との交渉を発表する。ただ、穏健派であるラビンに、ことあるごとに対立する強硬派のシモン・ペレス国防大臣は、水面下において、特殊部隊による人質救出作戦を準備していた。事件発生から7日目、その名も「サンダーボルト作戦」が発動される…。

 

 本作の冒頭とラストに、男女十数人が、弧を描くように並んだ椅子の上で繰り広げる、前衛的なダンスショーの場面が流れる。スポーツ観戦での”ウェーブ”よろしく、左端から右端へと同じ動作を時間差で伝えていくもので、その一糸乱れぬ動作は、まるで一つの機械のよう。特殊部隊に招集される青年ジーヴの恋人が所属するチームなのだが、パっと見では、その意味するところを理解できない。本作パンフによれば、その衣装は、超正統派ユダヤ教徒を表しているという。最後には、全員が着ている衣装を床に脱ぎ捨てるが、パジーリャ監督は、「古い信念に違反する新しい概念に心を開きながら、伝統から解放されていく」と述べ、これを「イスラエルとパレスチナの拡大する抗争のシンボルだとみなした」のだそうだ。

 

 さて、ハイジャック犯は、パレスチナ人テログループとドイツの極左グループが手を組んだのだったが、パレスチナの大義を世界にアピールするという志は同じでも、辿ってきた人生やイスラエルに対する憎悪の度合いはあまりに違いすぎた。ボーゼは人質に手荒に接することに「自分はナチじゃない」と抵抗し、パレスチナ人から「甘い」とたしなめられる。冷酷非情に見えるメガネっ娘、ブリギッテも恋人である同志の反対を押し切って犯行に及んだことへの後ろめたさや、「無意味な人生が怖い」と口走るなど微妙な心境をのぞかせる。

 

 この事件を終結に導いたラビン首相は、翌年、首相を辞するが、16年後の1992年に返り咲く。その際、国防大臣として、ともにサンダーボルト作戦を指揮したシモン・ペレスを外務大臣に起用。二人は、93年、米クリントン政権の仲介で、パレスチナ解放運動の指導者であるPLOのアラファト議長とイスラエル・パレスチナ間の和平合意(オスロ合意)を結ぶに至り、中東和平の機運を盛り上げたが、ラビンはその後、極右の青年に暗殺された。

 

 なお、サンダーボルト作戦の決行で、人質が3人と、イスラエル特殊部隊の指揮官1人が犠牲となったが、その指揮官とは、ネタニヤフ中佐で、右派政党リクード党首にして、現イスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフの実兄である。

 

 本作は、実話ベースということもあるが、ハイジャックというセンセーショナルなモチーフにしては、息詰まるような緊張感がウリというわけではない。いくつもの登場人物の視点と伏線をからませ、一様でない人間の心情世界を浮き彫りにする。ただ、中東問題は複雑怪奇なようで、その根源を辿れば、愛の怨みに行きつく。上っ面の近視眼的な観点にとらわれず、本質を見よとのメッセージとも受け取れた。

 

(出演)

ロザムンド・パイク、ダニエル・ブリュール、エディ・マーサン、リオル・アシュケナージ、ドゥニ・メノーシュ、ベン・シュネッツァー

(監督)ジョゼ・パジーリャ