五龍姫のお墓に行ってきました。
戦国武将「毛利元就」の娘は八代五龍城主宍戸隆家に嫁ぎました。
名水「千貫水」はこの隆家が命名したと言われています。
甲田町上甲立にあります宍戸隆家夫妻の墓、ここに五龍姫も葬られているとばかり思っていましたが、、そうではありませんでした、夫妻の墓とされお墓は実は後妻
とのことでした、、、ならば?探し気にかけていましたが解りませんでした、毛利元就の娘であり城主の妻、ないなんておかしいですよ
気になっていました。
あったようです、文献にきちんと書いてあるわけではありませんが地域の古老の言い伝えとか。。。。
千貫水とお酒を用意して「井原市駅」に向かいました、待ち合わせ場所です。五龍城から30㌔は離れた町です。こんな遠い所に、、ちょっと五龍が可哀そうになりました。
案内してくださる「Т」さんの後を車で追い田圃の畔を通り竹林へと入りました。竹の葉が落ち積りフカフカと歩き辛い斜面を登りました。
夫と Тさんが立ち止まっています、足元を見ました「これです」石ころ?五輪塔の一つ一つのパーツがバラバラに散乱していました。
エッ
こんな
。。言葉が出ませんでした。哀れな姿です。
五輪塔を積んでも猪がきて荒らすのです、Тさんも仕方ない諦め気分でした。
丁寧に積み姿を整えてくれました。
竹の葉の中に埋まっていた石を起こしたら何かが掘ってあるようでした。
手でゴミを綺麗に払ったら合掌した優しい仏様でした。
それを、五輪塔の前に夫が置いてくれました。
夫とТさんが色々いきさつ、由来を話していますその間、持って来た「千貫水」で五輪塔を洗い清めてあげました。
その昔、夫である宍戸隆家と共に千貫水を愛飲したであろうと想像し、また今のこのような状態を想ったら不覚にも目頭が熱くなった私でした。
Тさんから頂いた郷土誌によるとこう書かれている。
宍戸隆家と五龍の息子「元秀」は人並みすぐれた人物、毛利氏にとって難しい人物になるだろう。元就は思ったと言う。
それを恐れた毛利元就は孫とはいえど容赦なし、元秀を精神病扱いにして元就の妹が嫁いでいる「井原氏」に幽閉した。
元秀の母、五龍は元就の娘であるが、元就に抗議もできず息子、元秀を哀れに思いしばしば見舞った。五龍姫も一生をここ井原、「見張」の地で終えた。
戦国時代 女性、子供は戦いを有利にするためならば一つの駒にすぎなかったのか?
名もなきこのようなお墓にも物語がある。
私達は先人の歴史に感謝をし、時々でいい思いやり手を合わせて上げたいものだ。
年末の押し迫ったこの日、訪れる事が出来、ほんとによかったです。
合掌。



