今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『アイガーグレッチャーに向かう登山電車からのスナップ・ユングフラウの氷河』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂高から難関ジャンダルムを超え西穂高にトライする麻莉亜』。そして、ウィーン王宮庭園に立つ『モーツアルト記念像』です。さすがに、モーツアルトは別格で市立公園ではなく王宮公園に鎮座されています。なかなか凛々しい青年姿ではあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■ともあれ外に出た清左衛門は、その夜かつて見たことがないような稲妻を見たのだった。南西の空の隅に、ひと塊の雲があり、稲妻はそこから出ていた。稲妻が光ると、天も地も一瞬むらさき色に明るく染まる。それで稲妻を発する雲の在りかも見て取れるのだが、一瞬ののちには天も地ものっぺりした闇につつまれる。そして音はしなかった。

 

ふたたびはげしく稲妻が走り、四方の木立も家々も明るいむらさき色に染まる。それははじめて見るうつくしい夜景だった。清左衛門は、自分の家にもどってからも、そのまま家に入るのが惜しくて戸口の前で稲妻にうかび上がる夜の景色を見ていた。

 

その時後ろから母の声がした。帰りがおそいのを案じて外に出て来たらしい母は、すぐに稲妻に気づいたらしく、そのまま清左衛門の横に来てならぶときれいな稲光とつぶやいた。そしてつけ加えた。

『稲はあの先で穂が出来るのですよ。だから稲光が多い年は豊作だと言います。おぼえておきなさい』

 

――あの時・・・。

と清左衛門は思い返していた。おれは10歳かそこら、そして母も若かったのだ。家も今の家に比べれば小さかった、と思っていると襖の外の嫁の里江の声がした。

 

『どうした? 入れ』

急な風雨を心配して様子を見に来たかと思いながら清左衛門が声をかけると、里江が襖を開けた。そしてたしかに戸が閉まっているかどうかを点検する目で部屋を眺めたが、用はそれではなかったらしくすぐに、お客さまですと言った。

 

『客?』

清左衛門はおどろいて言った。

『今頃、どなたかな』

『船越喜四郎さまです』

 

■■<青木理カウンター・ジャーナリズム『冤罪への教訓・下』>検察・警察が公権力を駆使して収取される証拠類は、私達の共有財だというのに、現実には検察・警察が独占し、被告人の無罪を指し示す証拠があっても隠されてしまう。

 

この悪癖も近年の冤罪事件にほぼ共通していて、袴田さんの場合も再審=裁判のやり直しを求める過程でようやく示された証拠によって冤罪が立証された。その再審自体も刑事訴訟法などの定めがほとんどなく、日弁連などが訴えている再審法の整備も焦眉の課題。

 

さらに言えば、この国の死刑制度をめぐる現状も根底から再考すべき対象だろう。ひで子さんによれば、袴田さんの精神状態に異変が生じたのは死刑判決の確定後、拘置所で隣房だった死刑囚の刑が執行され、日々恐怖に苛まれはじめてからのことだった。

 

それも無理はない。そもそも死刑制度はすでに世界の7割超の国・地域が廃止、あるいは事実上廃止し、当日告知・当日執行などという残酷な習慣を維持しているのは、少なくとも民主主義を標榜している国には一例もない。明治期から変わらなぬ絞首刑という執行方法にせよ、何もブラックボックスに隠された死刑制度や死刑確定囚の処遇などもすべて同様。

 

いずれにせよ、恐ろしく後進的な刑事司法が生み出した痛烈な過ちの教訓を形に変えるのは政治の役割だが、肝心の政治にその機運は呆れるほど乏しい。

 

少し前の法相は『票にもならない』と自らの立場を冷笑し、逆に政権は検察トップ人事に介入して検察権力を牛耳ろうと謀り、直近では組織的な裏金作りという違法行為への掣肘セイチュウを加えられて右顧左眄ウコサベン。

 

詰まるところ、恐ろしく後進的な刑事司法は恐らく後進的な政治によって温存されているということか、それが過ちの教訓だとするなら、惨めにすぎるけれども。(青木理筆)

 

◆さてはこの刑事司法類、明治に刑事法律など諸般に渡り整備した、『江藤新平』なる者の手によるのだろうなあ。江藤新平は、自らが整備した刑法により、惨殺の刑に処せられているが、なあ。袴田さんの冤罪は本当にひどい捏造事件ではある。検察・警察の辞書には『反省』という言葉がないのであろうなあ。困ったことではあるなあ。

 

本当に。あの東京の機械商社のトップ3人が冤罪で長期にわたり拘束され、1人は十分な治療が受けられず亡くなっている。こんなバカげたことを是正しようとする気持ちも意思もない、現在の内閣、また政権与党なのであるなあ。本当に、困ったもんだねえ、岸田君よ!

 

■■<身の丈超える交通網・上『空港・高速道、バブル後2倍』>福島県中部の玉川村にある福島空港。6月中旬の平日の午後に足を運ぶと、利用客はまばらだった。とりわけ国際線カウンターは人影がない。2011年の東日本大震災以降、中国・上海や韓国・ソウルと結んでいた路線は運休が続く。海外との行き来は台湾便が週2回あるだけだ。

 

1993年の開設で県が管理している。98年に滑走路を大型ジェット機に対応できる2,500mに延ばした。ピークの99年度は9路線が就航し、75万7千人が利用した。

 

今残るのは札幌、大阪の2路線だけで利用客は22万9千人まで落ち込んだ。離着陸するのは70席規模の小型機ばかり。拡大したインフラを十分に生かし切れていない。県は毎年6億円前後の赤字を補填するほか、乗客や航空会社への手厚い補助を続ける。

 

担当の空港流通課は『需要が減るとは想定していなかった』と説明する。甘かったのは否めない。97年時点で国立社会保障・人口問題研究所は県の人口が00年代後半には減少に転じるとの推計を公表していた。

 

現在ジェット機が離着陸できる2千m超の滑走をを持つ空港は全国66カ所。バブル崩壊前の88年の2倍に増えた。茨城、静岡の2空港は日本の人口がピークを過ぎた09年度に開業した。

 

ほとんどの地方管理空港は企業会計に準ずる経営データを明らかにしていない問題もある。関西学院大学の上村敏之教授は『どの空港を維持すべきか議論するためにも、詳細な収支や経済効果などの情報公開が重要だ』と指摘する。

 

◆お役所仕事、人気取り政策の終着駅だねえ。この福島空港、将来どうなるのだろうか。札幌のドーム球場と並んで、どん詰まりの経営状態になるのだろうかねえ。困ったもんだ、お役所仕事には。

 

■■<海外移籍が目立つサンフレ、『川村、野津田に続き大橋も』>川村拓夢が『レッドブル・ザルツブルグ』に、野津田岳人がBGパトゥム・ユナイテッドFC(タイ)に移籍したかと思ったら、今度はチーム得点王の大橋祐紀が『ブラックバーン』(英2部)に。大橋は今季湘南から移籍してきたばかりで、リーグ戦11得点を含む計16得点のエースストライカーになった。

 

かねてから、海外移籍を希望していたとのことであり、また年齢が27歳ということで、海外移籍は最後のチャンスととらえたようだ。サッカー選手の年齢寿命は短いからねえ。本人の希望であればチームにとって大打撃だが仕方ないだろう。大橋は半年間だけの短いサンフレ在籍であったが、その短い期間を満ちたる潮のごとく、怒涛に活躍してくれた。感謝、感謝である。

 

サンフレにとっては、シーズン途中での移籍で痛手ではあるが、残る若手の成長のチャンスにもなる。18歳でスタメン出場を果たしている中島浩二司などには、本当に飛躍のチャンスであり、実績をあげれば海外飛躍にも結び付く。

 

◆川村拓夢が移籍した、オーストリアの『レッドブル・ザルツブルグ』の親会社、レッドブルが、J3大宮を買収したとの報道がある。

 

オーストリアの大手飲料メーカー、レッドブルがNTT東日本からサッカーJリーグ3部(J3)の大宮を買収することで大筋合意した。両社は近く最終契約を結び、8月にも正式に発表する見通し。

 

レッドブルはオーストリア1部のザルツブルクなど欧州にもサッカークラブを持ち、自動車レースの最高峰F1にも強豪チームを保有している。Jリーグ参入で日本での知名度を高める狙いがあるとみられる。

 

Jリーグには外資系企業によるクラブ運営に制限はなく、イングランド・プレミアリーグの強豪マンチェスター・シティーなどを傘下に持つシティー・フットボール・グループがJリーグ1部(J1)横浜Mの株式約20%を持つ。

 

さいたま市を拠点にする大宮はJリーグ2部(J2)復帰を目指し、今季はここまでJ3首位を快走している。

 

◆いよいよ、スポーツビジネスの雄『レッドブル』が日本のサッカー界にも参入だ。とても面白いことだと思う。大宮にとっては、レッドブルが買収した意図に達すべく、まさにレッドブル・ザルツブルグに肩を並べる強豪になる使命を帯びているなあ。

 

■■<照ノ富士、隆の勝との優勝決定戦を制し『名古屋場所V! 10回目の優勝』> 名古屋場所は、劇的な展開の末に幕を閉じた。横綱・照ノ富士(伊勢ヶ濱)が、前頭六枚目・隆の勝(常盤山)を優勝決定戦で下し、自身3場所ぶり10回目となる幕内優勝を果たした。なお、2桁優勝達成は白鵬以来史上15人目。

 

場所を通して照ノ富士は強い横綱の姿を示し続けた。しかし、同時に苦しい思いも経験した。十一日目に関脇・大の里(二所ノ関)に敗れ、優勝をかけた十四日目の前頭六枚目・隆の勝(常盤山)との取組で黒星を喫し、賜杯の行方は千秋楽まで持ち越された。唯一星の差ひとつで追う隆の勝が大の里を目の前で下し、結びの一番は絶対に負けられない戦いとなったが、大関・琴櫻(佐渡ヶ嶽)に上手出し投げで敗れた。賜杯の行方は優勝決定戦に持ち込まれた。

 

勢いがあるのは隆の勝と思われたが、優勝決定戦で照ノ富士は横綱の威厳を示した。相撲ファンを大きく沸かせる相撲となったが、最後は横綱がしっかりと寄り切った。

 

今場所の照ノ富士は、大きな体を活かしながらの安定した強さで観客を魅了した。初日から勢いを見せ、小結・大栄翔(追手風)や関脇・霧島(音羽山)、大関・貴景勝(常盤山)といった強力な相手を次々と撃破し、横綱の威厳を見せつけた。照ノ富士にとって、今回の優勝は横綱としての存在感を相撲ファンに再確認させるものとなった。

 

◆怪我で序二段にまで降格し、そこから怪我を克服し横綱を手にした。苦しさから6度も引退を親方に申し出、その度に伊勢ケ浜親方、女将さんに諭され努力を重ねた。まさに『努力に勝る天才なし』を地でいった形。まさに、人生の手本にするにふさわしい努力家・照ノ富士ではあるな。まだまだガンバレ、照ノ富士!