今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンからの下山道』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、プラハ『ヴァーツラフ広場のスナップ』です。

 

『ヴァーツラフ広場』は、プラハのシャンゼリゼとも言われる賑やかな場所です。北西から南東に伸びる、750mの縦長の空間。広場のまわりは古い建物を利用したホテルやオフィスのほか、ブディックやファーストフードの店もあって若者を集めています。南端に国立博物館と聖ヴァーツラフ像があり、そこから北へ下り坂が続きます。

 

カレル王の時代、プラハは大規模な拡大が行われた。その拡大に併せて市場のための広場も設けられ、この広場は当初馬市場と呼ばれていました。この広場がヴァーツラフ広場と改名されたのは、1848年。1918年、ヴァーツラフ像の前でチェコスロバキア独立宣言が読み上げられ、帰国したトマーシュ・マサリクとチェコ軍団は広場を行進しました。

 

1968年、いわゆる『ぷらはのはる』において、広場、なかんずく像の元で人々がデモをし、演説をしました。ソ連の介入によってソ連軍の戦車が広場に入り込む事態になり、抗議するヤン・パラフはヴァーツラフ像の元で焼身自殺をしました。

 

この時のソ連の戦車がヴァーツラフ広場を占拠して、チェコの人々を威嚇した新聞報道写真は今だ私の脳裏に強く刻まれています。東西冷戦が雪解けし、ソ連の衛星国も独立しましたが、突然ウクライナを侵略し、あの18世紀からの野望であった『クリミア半島奪取』の野望を成し遂げようとしています。野蛮国家ロシアなり、ではあるなああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      <プラハの春で広場に進駐したソ連の戦車>

 

 

 

 

 

■■三屋清左衛門は、目ざめるとしばらくは動かず、床の中で重苦しい胸の鼓動を聞いた。胸を圧迫している遠い動悸は、さっきまでみていた夢の名残だった。

 

夜は明けたばかりらしく、隠居部屋の障子には、雨戸の隙間からさしこむ青白い光が映っている。そして部屋の中には寒気が張りつめていた。季節は小正月が過ぎたばかりで、外にはまだ雪が積もっている。寒いのは当然だった。今朝も、夜明けには雪は凍っているだろう。

 

凍る雪の上を照らす、暁の光を思い描いているうちに、胸の動悸は次第に静まって行った。そして清左衛門の気持は、さっきの夢にもどって行った。

 

はじめて見る夢ではなかった。これまでも何度か見た夢である。むろん夢の中の出来事は同じことの繰り返しではなく、出て来る情景もそのつど異なり、登場する人間も一様ではなかった。

 

にもかかわらず、それらの夢は一連のものだった。動かない共通点があった。まず夢の主役は、若い頃の清左衛門と同僚の小木慶三郎であるらしい。相手の顔が見えない時でも、それは小木である気配が濃厚だった。

 

そして夢の中の清左衛門は、常に何事かしきりに慶三郎に弁疏している。そこがその夢の肝要な部分だった。時には何を言いわけしたとも知らないままに、せっぱつまって弁疏している気分だけが、目ざめた後にありありと残っていたことがある。

 

今朝の清左衛門を胸苦しくさせたのも、夢の中の弁疏だった。欺いたのか裏切ったのか、とにかく清左衛門は慶三郎にむかって、必死に言いわけをしている。夢のことながら卑屈とも思える態度だったと思う。しかしその弁疏の中身と、それに対して小木慶三郎が何を言ったかは、夢がさめると同時に言葉も掻き消えて、いつものようにまったく知ることが出来なかった。

 

――やれやれ・・・。

清左衛門は呪縛を解かれたように、床の中で手足をのばした。なぜいつも、あんな夢を見るのだろうかと思った。

 

厳密に言えば、そういう夢を見る理由はわかっている。多分あのことのせいだろうと思う心あたりはあった。若い頃に、ある事柄を通じて清左衛門はたしかに小木慶三郎に負い目を感じた一時期がある。

 

■■<ポイント経済、勝者は誰だ③ 『楽天ポイントを追うドコモ』>携帯電話と電子商取引ECの巨人同士ががっちり握手した。4月、NTTドコモがアマゾンジャパンとポイント事業での提携を発表した説明会。人気の女性タレント2人を特別ゲストとして招待するなど、通常の新サービス発表を上回る気合をにじませた。

 

『皆様がワクワクする買い物体験を提供していく。ぜひご期待ください』。アマゾンのシナジー効果に自信をみせたドコモの井伊社長(65)。その視線が見据えるのは1強・楽天グループの背中だ。

 

携帯契約数シェアで首位のドコモ。屋台骨の通信事業は人口減や官製値下げで低迷する。利用者をつなぎ留め、呼び込むための解が動画配信や金融といった非通信サービスの充実だ。通信と非通信。両者を橋渡しする役割をポイントが担う。

 

携帯4位の楽天はポイントを軸に通信と非通信を組み合わせた経済圏づくりで先頭を走る。MMDが1月、2万5,000人に最も活用するポイントを尋ねたところ、楽天ポイントが34%と最多。2位のドコモのdポイントと20ポイント差をつけた。

 

ドコモが共通ポイントサービスを始めたのは2015年。会員は24年3月に悲願の1億人を超えた。だが、明確な欠点があった。『平たく言うとECが弱い』。田原ウォレットサービス部長(51)は、アマゾンとんお提携の背景をこう説明する。

 

■■<【カープ】強さの証明? 大瀬良大地ノーヒットノーラン祝福の席で起きた…矢野雅哉〝逆ギレ〟事件>地味だが強い。広島は交流戦最終戦となった16日の楽天戦(楽天モバイル)に3―5で敗戦。球団創設20年目にして楽天に初優勝をさらわれたが、赤ヘル軍団も10勝8敗で7年ぶりの勝ち越しを決めた。セ首位で21日からのリーグ戦再開を待つが、新井貴浩監督(47)を中心とするチームの風通しは12球団屈指のレベルになりつつある。

 

4連勝フィニッシュこそ逃したが、チーム防御率2・18は両リーグトップで先制した試合24勝8敗1分け。『守り勝つ野球』こそ最大の武器だが、強みはそれだけではない。他球団の関係者も『広島は雰囲気いいよね』とうらやむ新井監督のマネジメント力だ。

 

それを象徴する出来事が大瀬良大地投手(33)がノーヒットノーランを達成した7日の試合後に起きた。新井政権ではプロ初安打や初勝利を達成した選手の節目に、チームの勝敗に関わらず全員で祝うのが恒例だ。大瀬良の際も首脳陣や選手らがロッカールームに大集結した。

 

新井監督は乾杯の音頭役に『今日のアレ、何? どうしちゃったの!?』と矢野雅哉内野手(25)を指名。矢野はこの試合で三塁走者としてスクイズのサインと勘違いし、三本間で挟まれてアウトになっていた。そんな若武者を指揮官自らイジった格好だ。

 

ただ、当の矢野は『今日はスイマセンでした』とひとまず謝ったものの、続けて『あれだけ粘ったのにアツさん、何で三塁まで来てくれないですか!』。何度も三本間でアウトになるまいと粘りながらも、一走だった36歳の会沢が二塁までしか進めなかったことにツッコミを入れたのだ。イジられ役の〝イジり返し〟で大爆笑に包まれたことは言うまでもない。

 

こうした現象を新井監督の腹心である藤井ヘッドは『要は独りぼっちを作らないこと。長いシーズンで試合の勝ち負けは必ずあるし、勝った試合でも仕事をできた選手、できなかった選手は必ず出てくる。ミスは必ず起きるもので、大事なのは誰かのミスを誰かがカバーする「カバーのし合い」。それをたくさん繰り返せた方が、チーム力は上がると思っている』と解説した。

 

もちろん首脳陣と選手、先輩と後輩の上下関係は存在する。一方でチームを『家族』と例える新井監督が重視するのは、互いの立場に関係なく何でも言い合える関係性。結束力がより強固なものになれば、開幕前の下馬評の低さを覆す快進撃もまだまだ続きそうだ。

 

◆それにしてもあの会沢は足が遅い。普通の選手ならセーフになる深い内野ゴロでも、とてもセーフにはおぼつかないほど、足が遅いのだ。もう会沢もこの歳だから、誰も何も言わないが、ひょんなところで駄馬足をいじられたねえ。面白い。

 

■■<『穏やかで無邪気な18歳の箱根』、70年前のハネムーン>母が勝手に決めた結婚だった。夫28歳、私18歳。70年ほど前、私の高校卒業を待ってのことである。

 

母なりの考えがあったのだと思いたい。3人姉妹の長女で、婿養子を臨んでいた父は反対した。だが母は押し切った。私は板挟みになった気持ちのまま、夫の勤務先が運営する箱根の保養所に1泊の新婚旅行に行った。小田急線の小田原駅で下車。初めて間近に見るお城がそびえており、裏には動物園があった。ほとんど誰もいなくて、動物達と遊び、新婚旅行など頭になかった。『明日も寄りたい』と言ってしかられた。

 

箱根の宿は早川に沿った静かな所にあり、日本間の障子にサワガニが2匹歩いていたのがおかしかった。華美な雰囲気のない、古めかしい宿だった。でも、忘れれない旅であったことには違いない。

 

もう一度行きたいと計画を立てたが、今の箱根方面は予約でいっぱいだ。当時はどこも穏やかで、旅の情緒を満喫できたのに、様変わりのすごさに驚いている。(朝日新聞投書 東京女性87)

 

◆70年前といえば、1954年、昭和28年、朝鮮戦争のまっただ中か、休戦状態なのか、の時代であったのだろう。やっと戦後が落ち着き始めたという時代。動物園に翌日も行きたいとは、まさに18歳の娘さんの感性ではあるねえ。素晴らしい思い出ではあるなあ。