今日の画像は『奥穂高への道667 奥穂高下山・上高地の自然美 明神附近の猿Ⅲ』、昭和のモンスター『阿久悠全盛期、1977年トップテン曲』、コーセー化粧品ブランド『コスメデコルテに起用された大谷翔平選手』、『セ・リーグ順位表』、『J1順位表』。そして、カタバミの類で早春に早く咲く『キカタバミ』と、春を彩る『サクラソウ』です。

 

9回秋山の逆転サヨナラでヤクルトを破ったカープは同率2位、サンフレは得失点差で3位と順調な戦歴を辿っています。取り戻せ、スポーツ王国広島を、ですねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■私は、『阿久悠』が亡くなってからすっと後になって気付いた。正直言って『阿久悠』って大変な人だったんだねえ、と大いに感動した。ピンクレディの『UFO』や八代亜紀の『雨の慕情』、沢田研二の『勝手にしゃがれ』などレコード大賞・作詩賞などを次々に受賞した。そして、それぞれの賞に最多受賞を記録する快挙を挙げ、『スター誕生』を主宰していたが、私は当時阿久悠をそれほど気にしていなかった。が、作詞賞を受けた、小林旭の『熱き心に』や『津軽海峡 冬景色』を私の持ち歌にして以来、私の心の中での阿久悠の存在はどんどんと大きくなった。5,000曲を超える作詞を遂げ、まさに『昭和のモンスター』とも言える存在である。没後15年、昭和のモンスター『阿久悠』を振り返る。

 

■■作品の新鮮さは買えるが、ヒットの量に於いて他を圧倒するものがないと思われた前年、質も量も完璧に整ったと自信を持った今年と、共に作詩賞を取り損なって、来年は何があれば貰えるのだろうかと思った。

 

ただ、そんな悶々はすぐに消える。落ち込むことでないと自分で消す。昭和46年(1971)12月31日、帝国劇場で僕は『また逢う日まで』で初めてのレコ―ド大賞を受賞し、大賞より作詩賞と言っていたことを忘れたように、尾崎紀世彦と共にVサインをし、心を晴らしたのである。

 

そして、この受賞は僕が思っていたよりもはるかに大きくk、いわゆる世間の目が、『作詞家・阿久悠』を確立させてくれたのである。歌に愛情が注がれ、賞に敬意が払われる夢のような時代であったと言ってもいい。しかし、作詩賞は宿題として残る。

 

次の年、昭和47年(1972)も、さらに絶好調といってもいいくらいで、あらゆるジャンルの作品に挑戦してヒットさせ、テレビの『スター誕生!』もスタートしていたので、顔も知られる存在にもなった。

 

もう、作詩賞のことは心配していなかった。『京都から博多まで』『この愛に生きて』『友達よ泣くんじゃない』『本牧メルヘン』『ふたりは若かった』『あの鐘を鳴らすのはあなた』『どうにもとまらない』『せんせい』『恋唄』と、これだけ多岐にわたる作品があれば、どのような基準で選ばれても大丈夫だと思っていたのである。

 

しかし、その暮れ日本レコード大賞作詩賞は、千家和也の『終着駅』になった。僕が自信を持っていた『あの鐘を鳴らすのはあなた』は和田アキ子の最優秀歌唱賞にまわり、『どうにもとまらない』は都倉俊一の作曲賞の対象曲になり、僕はというと、『ピンポンパン体操』で童謡賞を貰うことになったのである。

 

そのうち年も移り、僕は欲しがるから貰えないのだ。欲しがらなければいい、と思うようになる。審査委員のある長老は『欲しがらなきゃ貰えないよ。あんた、ちっとも欲しがらないんだもの』と言われて、そういうものかと気がついたのである。

 

話は変わるが、これは小説を書き始めて直木賞を欲しいと思った時に似ている。僕は3回候補になっている。1回目は『瀬戸内少年野球団』、2回目が『喝采』と『隣のギャグはよく客食うギャグだ』、3回目が『墨ぬり少年オペラ』である。これも1回目が満々の自信で該当作なしの痛み分けに終わった後、欲しがるか、欲しがらないかで妙な時期を過ごした。

 

作詩賞と直木賞の取れる取れないの始末記の大きな違いは、作詩賞が昭和48年に『ジョニイへの伝言』でd受賞した後、記録的回数で貰い続けたことであり、直木賞はなぜか一応のケリが、取らないままについてしまったということである。欲しいと言うべきであったかも知れない。

 

余談ながら、直木賞の思い出を語ると、3回目の『墨ぬり少年オペラ』の選考結果の連絡を待っている時、自宅のある伊東沖の海底火山噴火のニュースが入り、賞どころの騒ぎでなくなったことを、半分おかしく、半分苦く思い出す。

 

<日本レコード大賞>

日本レコード大賞での大賞受賞曲は作詞家として最多の5曲(1976年から1978年まで3年連続受賞)。

1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦

1976年「北の宿から」都はるみ

1977年「勝手にしやがれ」沢田研二

1978年「UFO」ピンク・レディー

1980年「雨の慕情」八代亜紀

(2014年現在)

 

<日本レコード大賞・作詩賞>

日本レコード大賞の作詩賞受賞は7回で最多記録。

1973年「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス。「じんじんさせて」山本リンダ

1975年「乳母車」菅原洋一

1985年「夏ざかりほの字組」Toshi & Naoko(田原俊彦・研ナオコ)

1986年「熱き心に」小林旭

1990年「花(ブーケ)束」八代亜紀

1994年「花のように鳥のように」桂銀淑

1996年「螢の提灯」坂本冬美

 

■■<トヨタ難路を行くⅣ 『ケイレツ襲う脱炭素の圧力』>『ハイブリッド車HVの方が排出量は少ない』。

 

2月8日、東京の経団連会館。米国防総省出身でトヨタ自動車の研究部門を率いるギル・プラットの口調は熱を帯びていた。ガソリン車を置き換える場合、希少な鉱物の使用が少ないHVは大量に生産でき、電気自動車EVよりも二酸化炭素は減る。力説するプラットの講演に企業首脳らは聞き入った。

 

『世界で多様化された市場を相手にしている』。トヨタの豊田章男社長は需要が急増するEVだけでなく、HVを含めた『全方位』で商品を供給し続ける理由をこう説明してきた。その中にはガソリン車も含まれる。

 

『ガソリン車は絶対になくならない』。ガソリンをエンジンに送る燃料ポンプ大手の愛三工業。野村得之社長は確信している。2022年、デンソーが手掛けるこの事業を買収。数千にも及ぶ製品群を統合する作業は煩雑を極める。ガソリン車の需要が急減すれば骨折り損になりかねないが、『必ず残るから』と社員を鼓舞する。

 

だが、ガソリン車の需要減で脱炭素の圧力は押し寄せる。『全社の売上高は減ったとしても、利益は向上させたい』。フタバ産業の魚住吉博社長は言う。エンジン部品以外のボディーも手掛けるが、マフラーなどは『30年に売り上げが1割減る』と試算する。別のエンジン部品会社首脳は『社員の配置転換も考えなくては』と頭を抱える。

 

縮む市場で供給責任を果たしつつ、収益を確保するためには身を削る努力が欠かせない。『賃上げは御社への納入価格が下がらないことが前提だ』。1月下旬、仕入先の部品会社20社超の首脳を招いたオンライン会議。部品会社社長が自社の賃上げを巡りトヨタの姿勢をけん制すると、出席したトヨタ幹部の表情は曇った。

 

このトヨタ幹部は直前、原材料高に伴う費用の一部肩代わりを念頭に『「トヨタは仕入先に大盤振る舞いをしている」ともっと自覚してほしい』と強調していた。意見対立が浮き彫りになり緊張が走った。収益が減っていく局面では誰もが納得感のある配分は困難だ。

 

『全方位』を維持するにはコストがかかり、『トヨタの供給網はスリム化しないと競争力を失う』と懸念する投資家もいる。ガソリン車を供給しながらEV開発を加速するが、『カーボンゼロ時代』に競合に比肩するにはいくつものハードルを越える必要がある。

 

◆VWがドイツ政府を動かし、エンジン車の生き残りに道を開いた。今後バイオエネルギーの開発が進むにつれ、バイオガソリンを使ったエンジン車の復活が浮上する可能性はあるな。中国ではEVの急速な普及に伴い、充電設備の整備が追い付かず、おいついても充電に時間がかかりすぎる不都合がユーザーの不満を高めているそうだ。どうなるかな、科学の進展は。

 

■■国境すり抜けるマネーはNO 『神戸の富裕一族、52億円申告漏れ』> 関西有数の高級住宅地で暮らす資産家の50代男性や親族ら数人が大阪国税局の税務調査を受け、2020年までの5年間で総額約52億円の申告漏れを指摘されたことが関係者への取材で判明した。タックスヘイブン(租税回避地)に設立された会社で多額の資産を管理し、運用益が過少に申告されていたことも判明。過少申告加算税を含めた追徴税額は計約18億円に上り、全額が納付された模様だ。

 

国税当局は国内外に多額の資産を持つ『富裕層』について、国境を越えた巧妙な課税逃れへの監視を強めている。調査対象とする富裕層の定義は公表されていないが、所有する有価証券や不動産、所得、海外投資額などに一定の基準を設けているとみられる。

 

関係者によると、申告漏れを指摘された男性は神戸市内の高級住宅地で暮らし、不動産関連の会社を経営している。親族の一部は台湾に居住し、男性らは複数の生活拠点を持っている。

 

大阪国税局が富裕層の調査を進める過程で、男性らが亡くなった別の親族から台湾にある上場企業の株式を相続し、国内外で多額の資産を保有していることを把握した。株式を含む資産はタックスヘイブンに親族が設立した資金管理会社にも移され、男性らは配当金などを受け取っていたという。

 

◆『何も話すことない』  また、男性が親族に資産を贈与したにもかかわらず、親族が税務申告をしていなかったことも明らかになった。

 

株式など有価証券1億円以上を保有する国内居住者が海外の親族に贈与や相続をする場合、含み益に課税される。『国外転出時課税制度』と呼ばれ、贈与した人に所得税、資産を受け取った側には贈与税が課される。株式の売却益に税金がかからないタックスヘイブンなどを通じた税逃れを防ぐ目的で15年に導入され、男性らにはこのルールが適用されたとみられる。

 

国税局は、法人税率の低い国や地域への所得移動による節税を防止する『タックスヘイブン対策税制(外国子会社合算税制)』の対象にもなると判断。総額約52億円の申告漏れを確認し、所得税や贈与税を追徴課税した模様だ。

 

男性は毎日新聞の取材に『何もお話しすることはない』と語った。

 

◆『国税当局に危機感』 富裕層の税逃れを黙認すれば、納税を巡る不公平感が国民の間で広がりかねない――。国税当局はこうした危機感から専門の調査チームを中心に監視を進めるとともに、海外の資産情報を集める国際連携にも乗り出している。

 

国税庁は2014年、東京と大阪、名古屋の各国税局に『富裕層プロジェクトチーム(PT)』を新設し、海外に5000万円超の資産を持つ個人に毎年提出を義務付ける『国外財産調書』も導入した。PTの態勢はさらに強化され、現在は全国全ての国税局に設置されている。

 

背景には、富裕層や多国籍企業のタックスヘイブンを使った課税逃れの国際化がある。世界の著名人や有名企業の関わりを暴露した『パナマ文書』でも注目された。ただ、国境を越えるマネーの動きを突き止めるのは一国だけでは難しい。

 

◆『富裕層の監視、国際連携も』 国税庁は18年から世界各国と金融機関の口座情報を自動的に交換する制度に参加し、国内の個人や法人が海外で保有する口座の名義や残高の調査も進めている。そもそもは経済協力開発機構(OECD)が策定した基準に基づく制度で、現在は計152カ国・地域の税務当局が参加している。

 

国税庁によると、22年6月までの1年間で、富裕層が所得税の申告漏れを認定された総額は839億円。441億円だったこの5年前に比べて倍増し、1件当たりの平均追徴税額も1067万円と約3倍になっている。

 

国税関係者は「税の公平性を高めるため、富裕層にしかできない税逃れは今後も海外諸国との連携も進めながら防いでいきたい」と語った。(沼田亮筆)

 

◆この国際課税逃れ対策は、大分まえにNスぺで報道された覚えがある。確か、オランダかどこかの国に設立された国際機関に日本の税務当局者も習得に向かったという内容だった。現在152カ国も参加しているということは、どこ国も富裕層の税金逃れ対策に手を焼いているという証左だねえ。面白い。

 

■■<メガヒットの仕掛け『大谷特需 コーセーの賭け』>若い世代が社会人人生の一歩を踏み出す4月。期待に胸を膨らませながら、不安も大きいことだろう。誰にも始まりがある。成長と共に、常識や世論だけにとらわれない視点や姿勢を身に着けることが時代を動かすヒットになる。

 

WBCでMVPを獲得した『大谷翔平選手』はまさにその究極の代表で、今も興奮が冷めやらない。個人消費も『大谷特需』に沸き、その一つがコーセー化粧品ブランド『コスメデコルテ』だ。

 

とにかくバカ売れしている。例えば主力の美容液『リボソーム』は高島屋日本橋店で、3月1~29日の売上高が前年比で2倍を超えた。コーセーの調べでは、主要百貨店でのリボソーム美容液の男性購入者が通常の7~8倍という。WBCに旋風を巻き起こしていた大谷選手のロッカールームで、コスメデコルテの化粧水とクリームがインスタグラムに載り、一気にブームに火を付けた。

 

偶然が重なったように見えるが、実は広告キャラクターに起用するまでには大きな『賭け』があった。大谷選手が21年秋にメジャーリーグのアメリカンリーグでMVPを受賞する前の話。コーセーではグローバル、ジェンダー、ジェネレーションの『3G』に接点を持つ企業アンバサダーを探していた。すると、社内では韓国の人気グループを推す声が強かった。

 

ユーザーの大半は女性なので妥当な判断だ。しかし小林社長は野球人の枠を超えた誠実さ、雰囲気、美しさを備える大谷選手に関心を寄せる。広告会社経由など、通常ルートではアプローチすら難しい。しかも大谷選手が所属する球団『エンゼルス』のチームカラーは赤。青をコーポレートカラーとするコーセーとは食い違う。

 

それでも小林社長は直感で『3Gの観点から大谷選手がやはり適任』とぶれなかった。コーセーでは宣伝、デザイン、香りの3点を決めるのは経営トップで、専権事項だ。社内の『韓国派』を説得。自らの人脈などを通じて大谷選手サイドに接触して、交渉を開始。ちなみにコーセーの説得文句はこうだ。『大谷選手の肌を守りたい』。22年末に契約が成立した。

 

今回、脚光を浴びたデコルテのリポソームは発売から30年もたつロングセラーだ。美容液の場合、『1滴に1兆個の美肌カプセル』などとうたった21年9月のリニューアルが成功し、全国百貨店での販売首位を15カ月連続で守っている。22年9月に発売したクリームは『いつもより3時間寝た効果を持つ』との宣伝文句が消費者に刺さり、大谷効果で、店頭に行列ができる『メガヒット』になった。

 

興味深いのは、大谷選手が所属するエンゼルスのユニホームを着ず、野球もせず、あくまで美を追求するアスリートとしてCMを製作したことだ。消費者への明確な価値の訴求、トップの賭け、化粧品と野球選手というギャップ。ブームは偶然だけの産物ではない。

 

◆この大谷選手のCMはクールだねえ。野球や、肉体的な長所などには全然触れず、美しいCMで消費者に訴えている。まっこと美しい。

 

それにしてもコーセーはついているねえ。契約は大谷がWBCで活躍する前の、昨年末のことだ。WBCの活躍を見越してのことではあろうが、これほどの大活躍でまさに世界の寵児になるとは、さすがの小林社長も想像は出来なかっただろう。個人にも、企業にも、人生、運命にツキがあることが必要だねえ。素晴らしい!