今日の画像は『奥穂高への道609 奥穂高下山・横尾~上高地』、史上初日本代表監督を8年連続で務める『広島出身の森保一監督』、プレミアリーグで2週連続ベストイレブンに選出された『三苫薫』。そして、北海道の冬『南北分水嶺670キロを踏破した野村良太』です。積雪の分水嶺を宗谷岬から襟裳岬まで、まさに艱難辛苦のトレッキング。神業と言っても差し支えないでしょう。すごい精神力、身体力ではあります。

 

三苫の2週連続のベストイレブン選出は、まっこと日本サッカーの誉です。ブライトン&ホーヴ・アルビオンの日本代表MF三笘薫は、21日に行われたレスター・シティ戦で先発すると、27分に先制ゴールを記録。左サイドでパスを受けると、ボックス左角付近で一気にスピードアップ。縦ではなくカットインすると、大きく持ち出したところから右足一閃。弧を描いたスーパーシュートがゴール右隅に決まりました。

 

海外でも大きな話題となったスーパーゴールには、ロベルト・デ・ゼルビ監督も『素晴らしいゴール』と称賛。また、元イングランド代表FWマイケル・オーウェン氏も『ミトマは金銭的に最も価値のある選手だと思う』、元イタリア代表FWアレッサンドロ・デル・ピエロ氏は『おめでとう、ミトマ!素晴らしいゴールだ』と称えるほどでした。まっこと、森保監督の選手眼に狂いはなかったねえ、森保采配にケチをつけ続ける、闘〇〇君、城〇君、よ。

 

 

 

 

            <宗谷岬を出発>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           <襟裳岬にゴール>

       <米アパラチュアントレイル>

 

 

 

 

 

 

 

■■■2022年カタールW杯は、森保ジャパンはベスト8戦で、惜しくもPK負けはしたものの、リーグ戦で欧州強豪のドイツ、スペイン戦を勝ち抜き、ベスト16に進む快挙を挙げた。その監督森保一は、2018年7月に五輪監督を兼務のまま、日本代表の監督に就任。そして2022年11月、W杯一次リーグで、ニカラグアに惜敗したもの、欧州の雄ドイツ、スペインを下し、決勝トーナメントベスト16に進出。改めてその手腕が世界中で高く評価された。実は、森保一の監督職への就任は、2012年のサンフレッチェ監督就任からひもとかれる。サンフレ監督在職5年のうち、3回も優勝するという快挙を挙げた。その延長線上に日本代表監督就任があった。

 

 

■■12月7日に帰国し、成田市内で記者会見に臨んだ森保監督や代表の選手らが大会を振り返った。

 

森保監督は『ベスト16の壁を超えることは出来なかったが、新しい時代を見せてくれた』。主将の吉田麻也は『今回は苦しい時期を乗り越えて一緒に戦った気持ちが強い。サポーターの一体感はすごくうれしかった』と率直に語る。

 

26人中19人が初のW杯だった今大会。現地での最後のミーティングでは、『感情的になって何を話したか覚えていない』と苦笑しつつ、若手達に『注目度が増える。サッカー人気を高めよう』と声を掛けたと言う。

 

長友祐都、川島永嗣といった4大会連続で名を連ねたベテラン達がチームを支えたことにも感謝した。『彼らがいて、常に良い面を与えてくれた。ブラボーな役割だった』。

 

一方で、日本サッカー協会の反町康治技術委員長は『この結果を残念だというふうに捉えている。ベスト16の壁は高いようで低いとも言えるし、低いようで高い』。選手達からは『主導権を握って勝ちたい』という声もあがっており、今後、技術委員会で今回の戦いぶりを検証すると言う。

 

次期監督候補について問われた田嶋会長は『技術委員会でしっかり議論し、理事会にかけると決めている。なので、僕から出ることはありません。反町さんが進めてくれる』と明言を避けた。

 

◆森保監督が次期監督も継続するかどうかは、衆目を集めるところだろう。ケチをつけて森保追放をするより、今回の戦いの良い面を評価し、日本代表の性格付けをクリアにすべきであろう。結果、森保監督の2期連投が決まった。このことは森保監督にとって、恩師でもあり、恩人でもある『今西和男さん』に最大の恩返しをしたことになるだろう。今西さんも、心の中で大変喜んでおられると思う。

 

■■<サラリーマン川柳『100選』>恒例のサラリーマン川柳、100選が発表された。気に入ったものをいくつかアップする。

 

『パスワード つぶやきながら 入れる父』(はなまる)

『メタバース 四番打者かと 孫に聞く』(阪神ファン)

『サイフより スマホ忘れが 致命傷』(芋は焼酎派)

『現金か ペイペイですか おままごと』(雨蛙)

『また値上げ 節約生活 もう音上げ』(健康奉仕)

 

『運動会 マスクでわからず 他人撮る』(やらかしぱぱ)

『入社して 出社したのは 三年後』(新卒者)

『俺だって チョコでビールの 二糖流』(八十日目)

『店員が 手とり足とり セルフレジ』(三階から目薬)

『令和では 翔平 朗希 村神様』(マリカ

『気にしてる 期限と機嫌 食と妻』(夏舟)

 

『「キレイです」 褒めてくれたの レントゲン』(怪傑もぐり)

『家事仕事 育児の妻は 三刀流』(大谷越え)

『淡い恋 夢が破れる ノーマスク』(川柳脳トレ君)

『焼きサンマ うなぎ上りに 高級魚』(かしれりばーば)

『好きだった 敬老会で 言われても』(万年幹事)

『ITの 推進会議 紙資料』(昭和パパ)

『円安で ドルでください おこづかい』(ゴマちゃん)

『ついてけぬ 物価上昇 子の会話』(カニ)

『婚活も リアルとWebの 二刀流』(獅子丸)

『手を繋ぐ 直前娘が 消毒を』(サカタマン)

 

■■『鬼平の初手柄『真刀徳次郎一網打尽』>池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の主人公として知られる『長谷川平蔵』は実在する。火付け盗賊改となって最初の手柄となったんは、大盗賊『真刀徳次郎と手下』の一網打尽だった。

 

徳次郎の一味は奥州から関東一円にかけて、寺や百姓家、町家など数百カ所で手あたり次第に押し入った。家の者を縛り上げ、逆らう者は切り殺し、金品を強奪する。移動の際は武士の身なりで公儀御用を装い関所を突破していた。徳次郎は28歳で獄門となる。

 

東京狛江市の住宅で90歳の女性が殺された事件はどうやら、全国各地で相次ぐ強盗事件に関連しているようだ。警視庁が別の強盗事件で押収した携帯電話には、狛江市の事件についてのやりとりが残されていた。

 

首謀者である指示役がまずSNSで、集まったメンバーが実行役となり凶悪な事件を起こす。令和の盗賊団のこんなイメージが、浮かび上がってきた。特殊詐欺事件でも指南役と実行役が連携していた。同じ首謀者が、より手荒な犯行に及ぶようになった、との指摘もある。

 

平蔵が老中の松平定信により火付盗賊改に抜擢されたのは、幕府を牛耳っていた田沼意次が失脚して間もなくのことだった。平蔵は定信の仇敵である意次に近い人物と見られていた。それでも盗賊が横行する当時の江戸の治安を立て直すには、平蔵の剛腕に頼らざるを得なかったのかも知れない。

 

防犯の専門家によれば、強盗犯への対象はとにかく家に入れさせないことに尽きる。もちろん在宅時も施錠が絶対に必要だ。事件の報道を受けて、各地のホームセンターでは、防犯グッズを買い求める高齢者の姿が目立ってきた。令和の世も物騒になってきた。

 

■■<強盗指示役『ルフィ』 フィリピンから移送へ>と、全国で相次ぐ強盗事件などを巡り、フィリピンの入管施設に収容されている日本人の男性4人が『ルフィ』などと名乗る指示役の人物の可能性があるとして、日本の警察当局がフィリピン当局に身柄の移送を求めていることが捜査関係者への取材で判明したとある。この4人は別の特殊詐欺事件に関与したとして窃盗容疑などで逮捕状が出ており、日本の警察当局は特殊詐欺事件を調べた上で、一連の強盗事件との関連も捜査する。

 

捜査関係者によると、逮捕状が出ているのは渡辺優樹容疑者や今村磨人容疑者ら4人で、2019年にフィリピン・マニラにあった日本人の特殊詐欺グループの拠点が摘発された事件に関与した疑いが持たれている。

 

この事件では、フィリピン入管当局が19年11月、日本の警察当局からの情報提供を受けて日本人36人を不法滞在の疑いで拘束。特殊詐欺の電話をする『かけ子』だったとされ、警視庁は21年7月までに全員を日本に移送するなど、国内にいたメンバーを含めて計約70人を窃盗容疑などで逮捕した。

 

しかし、今回関与が疑われる4人はフィリピンで逃亡を続けていた。捜査関係者によると、4人は組織内ではフィリピンでかけ子だった36人より立場が上だったといい、指示役だった可能性がある。

 

一方、東京都狛江市で発生した強盗殺人など昨年10月以降に8都県で起きた14件の強盗事件は同一グループが関与した疑いが浮上。SNS(ネット交流サービス)で実行役を募り、匿名性の高い通信アプリを使ってメンバーを入れ替えながら事件を起こす手法は、特殊詐欺の手口と共通するとの指摘があった。

 

さらに、その後の捜査で、このグループの指示役とみられる『ルフィ』を名乗る人物が実行役に電話した際、発信元の国番号がフィリピンを示す『63』だったことが分かった。警察当局が捜査を進めたところ、19年に拠点が摘発された特殊詐欺事件で逮捕状が出ている4人がフィリピンの入管施設に収容されていることが判明。4人がそこから日本にいる実行役に強盗事件の指示を携帯電話で出していた疑いが浮上した。関係者によると、この施設は電話などを自由に使える環境だったとみられる。

 

◆私は、この強盗団や、オレオレ詐欺の者たちがターゲットとするお年寄り住まい、そして多額の現金を自宅に保管している人を、一体どうやって情報確保するのだろうかという点だ。外から見ただけでは、家族、現金、預金などは不明だ。一歩突っ込んだ情報が必要になるのだ。と、私は、銀行員の一部が情報を売却しているのではないかと疑っている。そうでないと、フィリッピンから、強盗目標の家など探すことは出来ないのだから。警視庁もしっかりしておくれな。

 

でも、『ルフィ』の割り出しに、とても短時間で捜査して、フィリピン司法当局とのコンタクトがとれたのは幸いだ。これで日本中を騒がせた、強盗団が一挙に壊滅するのだからなあ。

 

■■<白銀大縦走『野村良太 宗谷~襟裳を歩く』、と『加藤則芳』>先日、NHKBSで録画した番組『白銀大縦走』を視聴した。北海道大学でワンダーフォーゲルに属し、卒業後はは山岳ガイドをしている、『野村良太』により『宗谷岬~襟裳岬』を積雪の銀嶺670キロを歩いたドキュメントである。

 

2022年2月26日に出発し、4月29日にゴールしている。延べ60日。野村がこの冒険トレイルに挑戦したのは、工藤英一が書いた『北の分水嶺を歩く』を読んだから。工藤は、初歩きから17年かけて、襟裳岬から宗谷岬670キロを踏破した。そして著書を著し『願わくば、若き獅子が完走をしてくれることを期待する』らしき文言を付け加えた。それに野村は触発され、『これは俺に向けた言葉だ』とばかりに飛びつき、計画し、実行に移した。

 

北から宗谷丘陵、北見山地、大雪山系、日高山脈の尾根を歩く。その尾根の西へ流れる水は日本海に、東へはオホーツク海へ、東南へは太平洋へと分水嶺から流れ出る。

 

野村は、スタート直後に、ポールを1本折ってしまい、修理しながら歩いた。冬に分水嶺を歩くのには理由がある。この670キロの尾根を歩くトレッキングコースなんてない。したがって、普通だと尾根にはヤブや岩石などが踏破に立ちはだかり、雪のない時期には歩けないところが多くある。積雪の時期だとそれらを覆い隠してくれので、歩けるのだ。勿論、スキーも携行した。

 

2カ月にわたる歩行だから、途中での食料の補給が欠かせない。それには、山小屋へパッキング・デポしておいて、道中でそれをピックアップして補給するシステムを取った。

 

尾根の雪道には、雪庇とよばれる雪の出がある。これに乗ると、雪庇が崩れて、滑落する憂き目に遭う。十分な慎重さと、ある意味度胸がいる。

 

野村良太は、艱難辛苦の末、襟裳に辿り着いた。が、途中で出会った誰もが見たことのない縦走風景は、野村の一生の宝物となった、という筋書きであった。

 

◆ここで私がふと気付いたのが、山小屋にデポした食料のことだ。10年前に、アメリカ東海岸南北に走る『アパラチアントレイル』を歩いた、ネイチャ-ライターである『加藤則芳』のことだ。南のアラバマ州から北のメイン州に至る3,500キロものトレイルだ。

 

結構人気なトレイルで、フルスルーをする人でも年間1,500人は超えるそうだ。パートトレイルをする人も多く、それなりにアメリカでは有名なトレイルであり、そこかしこに宿泊小屋もある。それを、加藤則芳は走破した。その時、食料の補給は、峠、峠に近い町の郵便局に食料小包を郵送し、デポしてもらっておいて、トレッキングの途中で峠から降りて、ピックアップするというものだった。

 

野村良太のトレッキング録画を見ていて、ふとそれを思い出した。加藤則芳は、不幸にも2010年、61歳の時に筋委縮性側索硬化症ALSに罹り、2年後の2013年4月に亡くなった。惜しい人が早死にしたのだ。加藤は、国内外の自然保護やロングトレイルなどをテーマに執筆し、日本における第一人者として、信越トレイルをはじめ三陸復興国立公園など、日本のロングトレイルの普及と、自然保護のために尽力された。

 

その加藤が、アパラチアン・トレイルを走破した時の記述を以下紹介する。

 

◆アパラチア山脈は、南はアラバマ州からジョージア州あたりで盛り上がり、北はメイン州を超えてカナダのラブラドール地方にまで、長大な連なりを見せている。地質学的には老年期に当たり、同じ北アメリカ大陸の西に位置するロッキーやシエラネバダに比べれば、穏やかでたおやかな峯々の連なりになっている。ジョン・ミューア・トレイルは標高4,000m級の山々の山麓を巡るトレイルということもあり、富士山並の峠をいくつも越える。一方、アパラチアン・トレイルは、標高が低く、穏やかな山並みということもあってか、3,500㌔にわたって連なる山脈のそのほとんどの峰を越えて歩く。その延々たるアップダウンの連続は、歩く者の心身を衰弱させる。途中で嫌気が挿し、やめてしまうバックパッカーも多い。

 

記録によると、僕が歩いた2005年、一気に踏破することを目指したバックパッカーは1,768人もいた。その内、410人が目的を達成している。その厳しさを体験した僕の目から見ても、これは驚くべき数字だ。なぜそれほどの人たちがアパラチアン・トレイルを目指そうとするのか、ということに強い興味を抱いていた。全行程を踏破するスルーハイクだけでなく、部分踏破のセクションハイクやフリップ・フロップなど、どの方法であっても、アパラチアン・トレイル管理委員会から与えられる称号がある。ジョン・ミューア・トレイルで出会った夫婦が付けていたワッペン『2000 miler』だ。

 

ヨーロッパ系アメリカ人の多くが、『アパラチアン』という音を聞いただけで、心に響き、疼くものがあると言う。その理由は、アパラチア山脈には、古いヨーロッパ的歴史を否定し、彼らが誇りに思い、自尊し続けるアメリカ合衆国という民主主義国家へと発展していう輝かしい歴史の故郷があり、一方では、その発展の陰で、黒人奴隷制度や、ネイティブ・アメリカンを暴力的に排斥してきた後ろめたい歴史への、心の痛みを伴った複雑な思いがあるからなのだ。(加藤則芳著『メインの森をめざして』平凡社刊)

 

◆とても懐かしい思いを抱かせる、アパラチアンではある。加藤さんのご冥福を心よりお祈りする。