とにかく、前に進もう。

上を向いて歩こう。

愚痴を言うなら、同じ口で歌を歌おう。


って思って、ずっと生きてきた。


俺は、愚痴とは無縁だろう。

愚痴を言うときは、みんなが笑えるように、自虐してでも「愚痴→ネタ」にしよう。


って思ってた。


でも、


ここで、壁にぶち当たってしまった。

「前に進む」とか、「愚痴を言わない」って言う言葉の中に、「諦め」という言葉を発見してしまった。


諦める。


なんて切ない、悲しい言葉だろうか。

この言葉からは、プラスのイメージは思い当たらない。感じられない。

正解・不正解にこだわる俺は、いままで信じてきた「前に進む」って言葉の中に、この隠れた意味を感じ取り、

いま、なんだかとっても憂鬱な気分になっている。


言葉にはすごい力がある。


繋ぎ止める力⇔引き離す力。


この相対する二つの力を、使いこなすこと。振り回されること。

それが人間を人間たらしめる一つの要因なっていることは間違いない。


俺の中のバイアスは言葉の力に頼りすぎていることだろう。

自分を隠したり、相手を傷つけたり。逆に、自分を出したり、相手をねぎらったり。

それらは、無限に広がる日本語の単語一つを変えるだけで、逆の意味にしたり、深みを与えたり出来るものである。


日本語の面白さ、表現の豊かさに気を取られ、俺は自分の感情を出すことを怖れていたのか。

本当の自分の気持ちにまったく気付くことなく、長い間生きて来すぎたセイだろう。


話を戻すと、「諦める」

この言葉からは、「孤立」「無力」「終焉」「無気力」という言葉が次から次に生まれてきてしまう。

俺の最も嫌う言葉である理由はそこにある。


何か、解決の糸口が見つかるまで、この問題については考え抜かなければならないだろう。

「前に進む(GO)」という言葉の中には、「諦めない」という意味も半分含まれているのは絶対に歪まない事実である。