私達は日々何気なしにいろいろな物や肉体や名声。地位。ハタマタ人間関係にまで執着を持つことが多い。
大抵この執着という想念によった結果は余り良い状態を残さない。
一つには前世から繰り越したカルマも影響していることがある。
静岡の月例会において和尚さんが話された中に観音寺の地所に住んでいた人の話をされた。
美容院を3軒経営されている女性の話。
この女性は非常に容姿が美しかった。有名な女優のような美しさをもっていたそうです。この女性はその容姿に執着が強かった。又物に対しても執着が強い、ある日に寺に遊びにきて和尚さんの奥様に
「私着物を買いますの奥さん一緒に一枚買いませんか、大島でいいものですのよ」
「私はそんな高いものは買えないし、いらないわ」
「安いのよ500万ですから」
この女性が亡くなった観音寺の檀家では無かったが3~4回パワーを入れたがなかなか言うことを聞かない。
その後を継いだ娘さんは反対に顔は男のようであまり頓着するほうでは無かった。
この500万もする着物を誰も貰い手が無くて娘がそれじゃおかあさんが好きだった着物だから着せてあげましょうといって棺の中の本人に被せてやった。
それとは別に5キャラットのダイヤがあったその当時で何千万もする物と和尚さんは言われていました。
そのような小さな物にも執着の念が取り付くことがある。
そのような話の中でツタンカーメンの鏡の話をされた。
この鏡の持ち主は次々死んでしまう。
その持ち主たちが命懸けの執着を持ったから持ち主が替わると大変なことになる。
と言われたが私はそのツタンカーメンの鏡のことは良く知りません。
話が戻りますがその美容院の女性が亡くなって娘が後を就いて家を建て替えたいから、地祭りをしてほしいと言われて和尚さんがいくと。
その土地に亡くなった女性がいるほかにも一緒に沢山土地に執着を持ったのがいる。
和尚さんはその女性は美しいという容姿に執着を持ってしまいほかのことまで執着をひろげてしまった。
なかなかそのような場合は離すのに難しいがやらなきゃならないので良く話して処理したと言われておられました。
人間関係に執着をもつ人も多い恋愛関係がこじれて相手を殺してしまう。
親が子供を道ずれに無理心中する。
いずれも相手のことを自分のものだと執着をもつことに原因がある。
子供は1個の独立した人格をもち親の持ち物ではないことを知れねばならない。
恋人にしてもしかり。夫婦であっても人格は尊重すべしと思う。
私達はこの執着という根本的なものから離れることが非常に難しい。
自分の肉体そのものもいつかはこ世において帰らなきゃいけない。
どんなに美しく立派な体でも。
この世のものは全て借り物だと言われて分かっているつもりでしょうが私も含め皆さんはそれでもあなた方は刃を突きつけられて
「命をくれ」
と言われて平然とどうぞと返事できる人は少ないと思います。
イエス様は自分の命を取られることを知っていて行動予定を変えなかった。
永遠の命を知ってこの世の肉体や物は無常なるものであることを充分、わかっておられた。
信次先生も地獄界に入って行かれた時にお前の手や足を喰わせろと言われて。
「どうぞ食べなさいそれでお腹が一杯になるなら」
イエス様も信次先生も和尚さんもあの世の実相を見てきてよくご存知だから自分自身の肉体に対して執着を持たれていなかった。
だからある面いろいろな憑依霊。地獄霊。に対しても恐怖感を抱かれることなく。
悩める人。苦しい人達を救われた。自分の肉体を賭して。
昔は私の家にも。
うつ病の人や憑依された人がよく訪ねてきた、家内は家族に危険が及ぶのを恐れたし、私自身の心配をして、もうそのような方々は相手しないでほしいと言い出した。
でもその時の私はメクラ蛇に怖じずで。
もし神がもうお前はこの世に必要が無いと言われれば帰されるだろう。
まだやる事があると思われるならば死ぬことは無いと平気だったが段々変な電話が入り。
占って貰いたいとか見てもらいたいとか、拝み屋さんに頼むような人が出てきた。
家内が電話で断って
「家はそのようなことはしてません。」
それからはなるべくそのようなことはしないようにしている。非常時を除いて。
正法の話をしていると時間がどれだけでも続く2回位あったろうか話していて朝になったことがあった。
又正法の話を一生懸命していると体が温かくエネルギーが満ちてくるありがたいことである。