高橋信次先生はよく
「心に思っていることは相手に伝わるのだ。よくない感情をもっている人と会うとなんとなく嫌われているなとか。分かってしまう。」
「憎しみ。恨み。怒り。妬み。嫉妬。このような心を持っていてその相手に近ずくとその人も反応してしまうことがある。だから心で思っても駄目なんです。」
といわれておられましたが。信次先生ご自身の人の心を読むということは感じるレベルではなく全てを見通される悟りでのことですから。我々が時たま感じることとは全然違います。
そのことで和尚さんが言われていたことを思い出します。
「研修会や講演会などに信次先生とご一緒すると宿やホテルに宿泊するとき他の人は信次先生と同じ部屋に寝ることを嫌がるのでいつも私がご一緒させていただいた。
なぜかというとみんな心の中を読まれてしまうから恐いんです。
でも私はもう全て信次先生に自分の命まで預けているつもりですから観られても仕方がない。
どこにいようとも信次先生がその気になれば分かってしまわれるのですから。」
とよく言われておられました。
和尚さんも観音寺での研修会のおりに
「自分も人の心を読むことは出来ますが、そんなことをしても何もならないからしません。
心を読むなら自分の心をみるほうが大切だから」
和尚さんは 如心 の境地といわれてました。仏教用語では 他心通 ともいいます。
信次先生はそのような表現を飛び越えた悟りの境地になられておられたと思います。
「自分の心を知ると他の人の心も分かる」
と信次先生は言われました。
「悟りという文字を見てみなさい。吾が忄と書いてあると言われ神を知覚したいならば人間を知ること。人間を知りたいならば己の心を知ることであるなぜなら心の奥で皆神の意識に繋がっているからだ。」
と説かれています。
誰でも1度や2度は他の人の心で考えていることが伝わってきたことがあると思います。
特に敵意を抱いた感情はつたわりやすい。
そのような心を持たないように心したいものです。
このブログを書き始めのころに兄の霊能のことで長野の松川インターを降りて行った教祖の妹の敵愾心に満ちた心が伝わってきたと書きました。
その目を未だ記憶しています。冷たい慈悲や愛とは無縁の目でした。
目というものも昔の人はよく
「目は口ほどにものを言い」
と言われていたように心の状態が顔と同じように目に表れるものです。
慈悲と愛。暖かい目をもった人々が多くなると良いですね。