

福岡では初雪も降り、寒さが一段とこたえますが
東京や大阪、福岡など、それぞれの場所で頑張っている先輩方に会える
8日後を励みにFUN部員は今日も元気に活動しています 
錬志会の先輩方も、今を十二分に楽しみFUN部員にエールを送ってくださっていますよ 
福岡のOB会の皆さんも毎週の話し合いやブログ報告で準備を着々と進めてくださっています
当日は先輩方を質問攻めにして、学生の本気と社会人の本気をぶつけ合い、高めあう時間にしていきたいですね ![]()
今この瞬間も熱い、そんな先輩方の様子を今すぐCHECK
※Windows explorerでは正常に表示されるのですがgoogle chromeでは今回のブログの一部分が、赤字で表示されている場合があるかもしれません。
対処法が見つからないので、googleで閲覧している方には見にくいと思いますがご容赦ください。
では、早速今回の近現代史勉強会の内容に入っていきます 
見学者紹介
見学者の方が来て下さいました!
今月の初めにFUNに入部した西南学院大学4年、佐伯拓磨先輩です

maiplaceでも学生スタッフとして大活躍の佐伯先輩が、ぜひ、歴史に触れてみたいということで
入部してすぐ見学に来て下さいました!
熱意をもった見学者の存在は会場の温度をさらに上げてくださっていました 
書評
九州大学 3年 金山君 「堕落論」 坂口安吾
この著作は、1947年、戦後すぐ出版され当時の若者に支持された著作だといいます
「堕落論」というセンセーショナルなタイトルではありますが、金山君はその中でも人間と制度の関係を取り上げて書評してくれました。
どんなに漏れを防ぎ、不足を補った制度でも人間の心理や性格、
その全てをすくい取ることは不可能であるといいきっています。
「天皇制」といわれるように、それまで国民の自然で自明な感情によって認識されていた天皇の存在も、制度として認識されている現在の状態は危険だと警鐘を鳴らしています。
制度としての枠組みがなくなっても、国民の良心のもと存続しうるのか。
枠組みが外れたときに国民や、国そのものの真価が問われるのではないでしょうか
金山君、ありがとうございました
福岡女子大学4年 山田さん 「坂の上の雲」 司馬遼太郎
現在NHKでもドラマが放送され、maiplaceの偉人講座などでも大きく取り上げられている日露戦争の時代と、
そこに生きた人間達を描いた全8巻からなる大作の第一巻を、山かな先輩が書評してくださいました。
第一巻では共に海軍中将、陸軍大将として日露戦争の勝利に大きく寄与した秋山兄弟などの人間模様が描かれています。
それとともに、佳奈先輩が大きく興味を持った点が、「江戸から明治へ、時代の変革期の渦中にある人々の気持ち」だといいます。 江戸時代には、国よりももっと狭い範囲の藩が自分の所属の大きな部分を占めていました。それが明治になると一気にその範囲が国という範囲にまで拡大し
自分を活かすべき対象も、藩から国に変わりました。
立身出世が即国の成長に繋がる、という怒涛の国家体制の変化に際し、当時の人々はいったい何を感じ、どう行動したのか。
想像以上の変化の中で、ロシアという大国と渡り合えるほどに成長できたのはなぜなのか。
小説の形式で、当時の時代を生きた人間の息づかいを感じるられるのも魅力的ですね
佳奈先輩、書評ありがとうございました

毎週の書評で勉強会を盛り上げてくださっている大月さんが書評してくださいました

「坊ちゃん」、「こころ」など明治期の作家として知らない人はいない夏目漱石は、小説家としての一面と人の心をひきつける講演家としての一面も持っていました。
本書は漱石の講演をまとめたもので、大月さんはその中から「中身と形式」についての内容を紹介してくださいました
私たちは、例えば複数の人物を「どちらがより優れているか」等というようにすぐ結論を出したがる傾向があります。
しかし、物事はそんなに簡単に決められるようなものではなく、ましてや「~制、~主義」等というように簡単に割り切れるものではありません。
名称は不変でも、その中身や詳細な部分は変化していくものであり、
その事実を見ないまま名称だけを頼りに全てを知った気になるのはお門違いなのです。
明治時代早期に、迫りくる共産主義へのアンチテーゼとして意見を表明している漱石の先見の明と共に、その鋭い指摘が印象的だった大月さんの書評でした
ありがとうございました
学生講義
福岡女子大学3年 畑井美里 さん 「三十六.特攻の思想(特攻の思想 草柳大蔵・文春文庫)」
今回の学生講義は精緻で明確な内容と意見で毎回聴く者をうなづかせるような講義をしてくれる畑井さんでした![]()

「特攻の思想」という一種精神論や感情的な部分に引っ張られやすい内容でも、筋道だてて論理的に説明している姿勢が印象的な学生講義でした![]()
それでは内容を見ていきましょう
今回の文献では、「特攻隊の生みの親」ともいわれる大西瀧二郎の自決から始まり、特攻隊をうんだ日本の思想の源流に迫っていきました。
死によってでしか任務を遂行できない、ある種以上とも言えるような「特攻隊」はなぜ生み出されたのでしょうか。
大東亜戦争後半期、昭和十九年ごろになると、
ミットウェ―海戦敗退をはじめ南洋の防御壁、サイパン島も陥落し、兵力・物資も底をつき始めた日本は、
その後の講和に望みをつなぐため
、決戦の地をフィリピンに定めました。
その地区の陣頭指揮に海軍中将大西瀧二郎は派遣されました。 日本の苦しい戦況を理解していた大西さんは、盲目的に特攻を組織したのではなかったのです。
あくまで日本再生の「条件づくり」のため戦地に赴き、特攻隊の前身である神風隊(じんぷうたい)を組織して、レイテ島沖で奇襲作戦を成功させます
つまり、結成当初は戦闘勝利が特攻隊の主目的だったわけです。
しかし、戦況が悪化の一途をたどっていっても大西さんは特攻隊の突撃を止めることはしませんでした。 その真意を畑井さんはレジメでこう表現しています。
文献からの引用
ここで青年が立たなければ、日本は滅びますよ。しかし、青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ。
当初の目的は戦闘の部分的勝利のための攻撃手段。だったわけですが、
勝たぬまでも負けない、そして最終的には
負けたとしても、特攻が出たという事実があれば日本の滅亡はない
と変化しています。つまり、大西さんは、
特攻隊での勝利よりも、攻撃存続そのものに意味を見出していた
ことになります。
確かに、肉弾で敵に体当たりする戦法そのものは軌道を逸していたかもしれません。しかし、大西さん自身もそれは承知していました。
多くの若者達が、しかも自分が育てた者たちが散っていく中、その姿を見送ることはどれだけ苦しかったかと思います。 しかし、大西さん、当時の日本にはそうせざるを得なかった理由があったのです。
畑井さんはその理由を大西さん自身の国家観に求めています。 日本はその国体護持、つまり皇室を失わないために降伏を決意しました。大西さんの言動では
『皇室があるから国民がいる』というよりも、『国民がいるから皇室がある』という思いが感じられるといいます。 畑井さんはそんな大西さんの胸の内を
日本人が終戦を迎える最後の最後まで奮闘を続けたという事実が、敗戦後の日本復興の糧になると信じていたからではないだろうか。
例え日本が敗戦後皇室という国体を奪われたとしても、最後まで戦い、耐え抜いた日本人がいれば日本は滅びない。
特攻隊が組織として結成される以前にも国への思いから同じような特攻攻撃を行う日本人はいました。しかし、個人的な攻撃で終わってしまっては『そういう人もいた』
というように、日本人の思想というよりも、個人の精神の問題として処理されてしまうのではないか。そうではなく、日本人全体の精神の問題として、一丸の闘魂を表明しなければならない。
のです。 国内の意識の統一がとれず、『降伏』という一言を発した瞬間に大きな混乱が生じかねなかった当時、いかににうまく、綺麗に負ける状態をつくるか、
というのが至上命題でした。
降伏の考えが若い搭乗員達に知られてしまえば、負けるために死んでいくという大きな矛盾を抱えさせ、自分の使命を納得させることはできない
若者の死に意義を持たせるために、それまでに死んでいった特攻隊員の死を犬死にさせないために、若者を美しく散らせるために
特攻を制度化した者として、胸中には大きな葛藤と悩みを抱えながらその責任を果たそうとしていたのです。
だれも、自分の教え子や大切な人をむざむざ死なせることをよしとする人はいません。
しかし、日本という大きなものの前に、『暴将』の汚名を甘んじて受け入れ、個人の枠を超えたところにある使命を精いっぱい果たそうとした大西さんの苦しみに心が痛みます。
しかし、だからこそ今の日本があり、美しい国柄は保たれたといえるのではないでしょうか。何よりも、公の前に自分の欲を省みない大西さん自身が日本の美しい国柄を体現しているのではないでしょうか。
畑井さんは、特攻という方法はやはり無謀であり、当時としてはやむをえないが、すべきではなかったのではないか、と意見を表明してくれました。
しかし、そうでもしなければ守れなかった日本の国柄というものがあったのであり、その行動を『かわいそう』とか『戦争の犠牲者だ』と一蹴してしまっていては日本の国民性やその美しさが保たれたとは言えません。
皇室は今でも日本と国民を温かく見守り続けてくださっていますが、日本人の魂が残っていなくてはどうなるのでしょうか。
畑井さんは、レジメを
私欲を滅し、空に散っていった特攻隊員の方々、戦争を終わらせ日本の復興に希望を残した大西の存在を胸に、私たちが日本人としての闘魂をも燃やし続けなくてはならない と締めくくっています。
大西さんや特攻隊員の方々は、自分が死んでも後世には自分が影として、残るだろうとぎりぎりのところで望みを託して散って行きました。
個人の行動として、歴史の中に埋もれさせるよりも、歴史に刻み込むためにも特攻の制度化は必要だった
死者は記憶にある限り生きているとしたら、それが忘れられてしまったら?美しいものが、『醜いものだ、恐ろしいものだ』と形が変わってしまったらどうなるのでしょうか。
この思いに心打たれる器がまだ自分たちにあるのならば、それを受け継いでいくのが私たちの使命であり、畑井さんの力強い言葉や講義の様子から、受け継いでいこうと強く感じました
畑井さん、意志のこもった感動的な学生講義を本当にありがとうございました
小島さん講義
「特攻の思想」著者の草柳さんはなぜこれを執筆されたのでしょうか。
現在の日本人には、特攻で散って行った若者を「犠牲者だ」とラベリングし、特攻に関わった上官たちを「悪の権化」であるかのように言い表す風潮が少なからずあります。
しかし、当時の人たちの生きざま、死にざま、思想に迫らずに私たちがそれらの行為を断罪する事が果たしてできるでしょうか。 特攻隊の若者たちは、自分たちの命が、国や家族の為に生かされると思って命を飛び立っていったはずです。
寿命の長さ以上に「このために死ぬ」と決意して潔く散っていった人たちに対して
理性的に評価を下したり、精神分析にかけたりするのは無知で失礼なこと
であって、当時の情勢や人間の思い及ばない精神的な要素を考えから除外しているのではないでしょうか。
そもそも公のために自分を生かそうと心を決めた人間の境地というのは死の危険をみじんも持っていない現代のわれわれがいくら想像してみたところでいきつけない境地だと思いますし、
理性では考えきれない部分を受け止めきれるような、信じ切れるような器の大きさを持つべきだと思います。
人間の感情やそれぞれの美しい事象にイデオロギーをあてはめて一般化してしまうのは本当に悪趣味なことではないでしょうか。
確かに、心に葛藤を抱え込んだまま飛び立った特攻隊もいれば、無慈悲な上官もいたと思います。
今では想像しきれないような環境や感情がそれそれの人の心の中にあったのだと思います。 しかし、
あと一歩で破滅だ、というほどの極限の状況の中で国の中核を守り抜いて負けた日本国民の姿を想像すれば、それぞれに『被害者、加害者』などの枠を設けて責任論を振り回すことは不必要だ
と小島さんはおっしゃってくださいました。
その歴史には「かわいそうな特攻隊員」がいたのでもなく、「無慈悲な上官」がいたのでもなく、
六十五年前の国難に際してどうにか自己を生かそうとした「日本人」の姿があるだけ
だと思います。
ただただ当時の状況や、それぞれの立場の方々が抱えた葛藤がどれだけのものかを想像すれば、それに対して冷めたあしらいが出来る人はいないのではないでしょうか。 日本人には独特の死生観があり、『美しく破滅する』その死の瞬間を、自分自身の究極の生の表現方法と捉えていました。
戦争は、その思想、独自の文化の実行の場だと言い換えることもできます。 特攻で潔く散った若者たちも、歴史上のこの思想の体現者の系譜に連なるものとして自分自身の生の意義を見出し、この栄光に命をささげたのだ。と小島さんは語ってくださいました。
確かに、軍事上の戦法で考えれば常軌を逸した行動かもしれません。
しかし、外道の戦法をあえてなさしめ、それによって国を保ち、死を生かそうとしたところに特攻の思想は存在します。
特攻隊の遺書を読んで涙を流さない日本人がいないように、散っていく桜に心を動かされない日本人がいないように、この内容に心を動かされたということは、私たちはつまり日本人なのだなということを痛切に感じました
近現代史写真館
近現代史エッセイ
「今の若者は大きな責任を背負っている」
今回は佐藤が社長さんへの取材活動を通して感じたことと歴史との繋がりについて皆さんと考えていけたらと思います。
先日、中尾先輩の紹介で、『お仏壇のはせがわ』の会長さんである長谷川裕一さんに、富田君と中尾先輩、中村先輩と取材に行ってきました。 目に見えないものや、全てのものを平等に思いやる日本の伝統文化を、お仏壇を媒介にして次代につなげようと、会長さんは懸命にお仕事をされていました。
富田君も近現代ブログで触れているように、歴史と私たちとの繋がりを、会長さんのお話や、姿そのものから感じられるようなそんな取材でした。
その中で、特に印象に残った会長さんの言葉があります。それは、
「君たちはこれからの人間だ。これからをつくっていく人間なんだ。僕は君たちに、本当に期待をしているんだよ。これからの日本をつくっていってほしい」
という激励のお言葉でした。私は、それまでの会長さんのお話の内容もあり、
ただ会長さんが個人的にその言葉をかけてくれたというわけではなく、
会長さんが大切にしている先人の方、大東亜戦争で戦った方、日本の文化を継承してきたすべての人たちからその言葉をかけていただいているような感覚
を持ったからです。
会長さんの姿、立ち居振る舞いが「日本人」を体現していて、会長さんの姿から過去に活きた日本人の姿が透けて見えたような感覚になりました。
実力も何もない自分たちに、痛切なほどの使命を持ってそれを託そうとしてくれている人がいる。
近現代を学ぶからこそ自覚できる使命がある。
自分たちがこんなにも期待されている。本当にうれしく、感動しました。
それと共に大きな使命感と自分が引き受けるべき責任の大きさを感じました。
近現代を学んでいて、ともすれば「このように考えている人間はもう本当にわずかなのではないだろうか」
「自分一人で変えていけるのだろうか」と考えてしまうことはあることだと思います。私も悩んだ時期がありました。
しかし、社会で大きな志をもち、先人の遺志を引き継いで様々な形で表現されている方は必ずいます。
そして、その方達はそれらの想いを断たせたり、自分だけで終わらせたくないと絶対に思っているはずです。
実際に今第一線で、この福岡の地から、日本を想う使命に燃える方がいる。その方からこんなにも情熱を持って私たちは本当に大きな使命を引き継ごうとしているのだと感じました。
そうして、引き継いでいかなければ!と自分のこれからの使命をはっきりと自覚した瞬間でもありました。
取材を終えて、冷たい雨が降っていたのですが、取材メンバーの心は熱く燃えたぎっていました
近現代を知って、先人から大きな遺志を引き継いだ学生としての責任を自覚して、今の学生生活で、未来の社会人生活で、それぞれの場所で表現していきましょう
最後まで読んでくださってありがとうございました










