ピクニック:ウィリアム・ホールデンの神がかりの演技 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

ピクニック:ウィリアム・ホールデンの神がかりの演技


ピクニック
Picnic


監督:ジョシュア・ローガン
原作:ウィリアム・インジ
脚本:ダニエル・タラダッシュ
製作:フレッド・コールマー
出演:ウィリアム・ホールデン、キム・ノヴァク、ロザリンド・ラッセル
音楽:ジョージ・ダニング
撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ
編集:ウィリアム・A・ライオン、チャールズ・ネルソ
1955年 アメリカ映画


あれは、1990年頃だったと思う。出張で訪れたサンフランシスコの書店を巡ってやっと買ったのが、ウィリアム・インジの"Four Plays(4つの戯曲)"だ。当時は「アマゾン」なんて無かったからね。


今やDVD化された映画以外で、インジの作品に触れることは難しい。数多くの戯曲や脚本を書いたウィリアム・インジだが、今や活字として入手できるのは、インジを研究する学者以外の者にとって、1958年に出版されたこの作品集だけだろう。


ウィリアム・インジと言って、今どれだけの人が、その名を覚えているだろうか。折につけ、私と同年代の米国の友人にも聞いてみることがある。そこそこの教養を身につけた友人に聞いてもインジの名を覚えている人は少ない。『草原の輝き』『バス停留所』そしてこの『ピクニック』という映画の名前を挙げると、はじめて「ああ、そういえば」ということになるのだが。


少し感傷的になるが、私とインジの出逢いも語っておこう。1974(昭和49)年、大学二年の教養部の英語の授業だった。テキストは"Bus Stop"だ。当時の私は、映画好きを自称するガキだった。もちろん、テレビの洋画劇場で『草原の輝き』も『バス停留所』も『ピクニック』も見ていたが、すべて分厚い色眼鏡を通して勝手な思い込みで観ていたと言っても過言ではない。つまり『草原の輝き』は「青春映画」、『バス停留所』は「恋愛コメディー」、『ピクニック』は広大な中西部を舞台にした「ある日の出来事」だ。したがって、"Bus Stop"も「なんだ、マリリン・モンローとドン・マレーの恋愛コメディーか」と高をくくっていたのだ。そして安下宿の一室で、翌日の授業の予習のために軽い気持ちで読み始めた"Bus Stop"に衝撃を受けることになる。


"Bus Stop"とは、教養のないどさ回りの歌手(マリリン・モンロー)とこれまた教養のないカウボーイ(ドン・マレー)との、長距離バスの停留所(休憩所)における恋のさや当てを描いている。これが、おもての貌だ。その、どこにでもありそうな日常会話の積み重ねの中から、ウィリアム・インジは、とんでもない人間の深奥へと踏み込んでいくのだ。活字の上で会話を追っていくだけで、息苦しくなってくる。二十歳前のガキだった私が、人生の重みに気づかされた夜だった。テネシー・ウイリアムズは、インジを評して「われわれの日常生活の中に潜む強烈なミステリーをあばき出す……」と書いている。まさに、同業者ゆえの至言だろう。


そして、今回の『ピクニック』。なんという、ノンビリとした平和な語感をもつ題名だろう。インジの生まれ育ったカンザス州の小さな町が舞台だ。一面の小麦畑が広がる中西部の大平原に暮らす人びと。9月の第1月曜日の"Labor Day(労働者の日)"とその翌朝の丸一日だけの物語。その祝日に、町中の人が集う楽しい「大ピクニック」。しかし、その中で数人の登場人物によって描き出されるのは、人間の底知れぬ悲しさ、弱さ、孤独、醜さだ。「人間というものを、うわべだけでとらえるととんでもないことになるぞ」「どのような人にも計り知れない深奥がある」そして「それでも、人間には限りない可能性があり、強さがある」。これが、ウィリアム・インジのすべての作品に共通するメッセージだろう。


ウィリアム・ホールデンという、ハンサムではあるものの、どこか間の抜けたと言うか、感受性が研ぎ澄まされていないというか、それでいてある意味では極めてアメリカ的な大らかさでもある俳優にとって、この配役は映画の神様が差配したものだ。インジは、『ピクニック』を書きながら、ウィリアム・ホールデンをイメージできたであろうか。この時、ウィリアム・ホールデンはすでに三十代後半にさしかかっていたのだ。大学の運動部で活躍したものの、人生を甘く見て転落し、同級生を頼ってカンザスの田舎町まで流れ流れてたどり着き、なんとかコネを利用して人生を切り抜けようとする「若者」を演じるには、ちょっと無理がある。しかも、この映画が製作された1955年と言えば、ウィリアム・ホールデンはすでに押しも押されぬスターになっていた。人生の酸いも辛いも噛み分けた分別盛りの中年を演じてもおかしくない年齢だったのだ。


そのウィリアム・ホールデンが、神がかった演技を見せてくれる。ふたりのウイリアム、原作の戯曲を書いたウィリアム・インジと、主役のハル・カーターを演じたウィリアム・ホールデンによって、この『ピクニック』は、人類という動物が人間としての営みを続ける限り、ギリシャ神話や聖書のエピソードと同列に語られ、記憶され続けるだろう。人間を愚かな生き物と断ずるのではなく、かけがえのない存在として愛おしむ神の視線を、ウィリアム・ホールデンとウィリアム・インジは教えてくれるのだ。


あれから四十余年。もう私に残された人生の時間は長くない。それでも、『ピクニック』は私の人間観の礎の一部を形づくって揺るがない。ウィリアム・インジは、還暦を迎えた1973年に自らの命を絶ってしまったのだが……。

 

ピクニック [DVD] ピクニック [DVD]
936円
Amazon