釧路炭鉱マン秘話
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2006-06-15 20:00:00

拾った石炭と石炭小屋の思い出

テーマ:炉ばたでれっきの風景

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴ 炉ばた=でれっき=の風景(第33号)
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                   2006.6.15 発行(毎月15日30日発行)


いらっしゃい。久しぶりだね。
おや、ご一緒のお客さんは初めての顔だね、お友達かい?

うちは何でもウマくて安いから、
どんどん注文してちょうだい。
これからもごひいきにね。

だけどさ、ようやく桜も散ってツツジの季節になったっていうのに
今年は一向に暖かくなんないね。
どうなってるんだろうね、まったく。

もう6月半ばだっていうのにさ、店どころか
家でさえ昼間っからストーブ焚いてるんだよ。

ただでさえ今年は灯油が高くなってるのに参っちゃうよね。
自宅も店と同じように、灯油ストーブはやめて
昔の石炭ストーブを引っ張り出して焚こうかなと思ってるのさ。

おっと、いけない。
グチっぽくなっちゃったね、ごめんよ。

今日は何にする?
阿寒からエゾシカ肉のいいのが入ってるけど
焼き肉かステーキってのはどうだい?
ブームのジンギスカンにしてもうまいよ・・・・・。


ここは、北海道は釧路市にある炉ばた「でれっき」。
夏でも肌寒い夜には、地元釧路産の石炭をストーブで焚いているこのお店には
毎日いろんな土地から、いろんなお客様がやってきます。

さて、今回はどんな面白い話が聞けることでしょう・・・・・・。


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おや、店の奥の小上がりで楽しげに話し込んでいる2人組の女性は
地元のOLさんでしょうか、
きっとお仕事帰りなんでしょうね?

箸が転がっても可笑しいというお年頃ではないようですが、
お友達同士でしょうか、それとも職場の同僚でしょうか?
えらく楽しげに笑い合っているようですよ。

何か、ちょっと気になりますね。
それじゃ、ちょっと失礼して
いつものように盗み聞きをしちゃいましょう!

何を話しているのかな?
どれどれ・・・・


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このお店、初めて来たけど何だか雰囲気いいわよね。
最近はやりの「昭和レトロ」っていうの?
石炭ストーブやランプなんかあったりしてさ、
北国の居酒屋ってムード満点よね。


あ、それ違う違う。

雰囲気づくりやブームでこんな内装なんじゃなくって、
単にマスターが古臭くってケチだから
古い物が捨てられなくって使ってるだけなのよ。


なーんだ、そうなの。
でも、物を大切にするっていうのも最近じゃ
エコロジーとか地球に優しいってブームになってるんだから、
やっぱり時代の先端を行ってるってことじゃない。


うーん、やっぱり違う気がする。
先頭を走ってるというより、
ビリを走っているうちに周回遅れになって
先頭が後ろから迫ってきたって感じじゃないかな?


うまいこと言うわね、あんたって。
でもやっぱり石炭ストーブって風情があっていいわね。
あたしの母さんの実家なんてストーブだけじゃなくって
お風呂まで石炭で沸かしててさ、
たまに泊まりに行った時なんてすごく楽しみだったんだ。

今みたいにスイッチひとつで温度調節できるわけじゃないから
お湯が冷めてくると「ぬるいよ~」って叫んで石炭をくべてもらってさ、
そのうち熱くなったら「もういいよ~」って止めてもらうのよ。
お風呂に入っていると必ず誰かが外から
「お湯大丈夫~?」って声をかけてくれるから。


う~ん、まさに「昭和レトロ」、
歴史の生き証人って感じだわね。
でもうちだっておばあちゃんから聞いた話だけど、
昔はずいぶん貧乏だったから、石炭列車が通る線路のカーブのところでね、
振動でこぼれ落ちた石炭を拾って持ち帰って燃料にしてたって言ってたわ。
うちだけじゃなくって近所の人たち皆んなで拾ってたんだって。


そらごらんなさい、やっぱり似たようなもんじゃないの。
あたしんちなんか小学校に上がるころまでは家で石炭ストーブを使ってたからさ、
地下に石炭を置いてあったんだけど、
よく悪い事をしたらそこに入れられたものよ。

今年父さんが亡くなって実家の片付けをしててね、
20何年ぶりかにそこを見たらさ、すごく小さくてびっくりしたの。
むかしは暗くて広いところだと思ってたからね。


ふ~ん、そうなんだ。
やっぱりスゴイわね、あんたんちって。


でももうやめましょ、こんな話って。
いい年したオヤジ同士の昔話か貧乏自慢みたいでイヤだわ。
だいたい私たちはまだ嫁入り前なんだからさ、
こんな話を彼氏に聞かれたら百年の恋も冷めるってもんよ。


たしかに引かれそうよねー。
分かった、止めましょう。
そうと決まったら急にお腹が空いてきたわ、
マスターがさっき言ってたエゾシカのお肉って食べてみたくない?
低カロリーで美容にもいいんだってテレビでやってたわよ。


賛成!
マスター、エゾシカのジンギスカン2人前、
大盛りでおねがーい!!

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うーん、やっぱり年頃の女性でも
おしゃべりの後は色気より食い気ということなんでしょうね。
大きなお世話かもしれませんが
お二人の寿退社はもう少し先のことなのかもしれません。


さて、話題にのぼった阿寒産のエゾシカ肉ですが
ここ最近、増えすぎた彼らによる農作物の被害や車との衝突事故、
さらには山林の木の皮まで食べてしまうことから
多くの木が立ち枯れてしまうという被害が起きているために
かつての保護政策から一転、
害獣駆除ということで全道各地でエゾシカの駆除がはじめられ、
その有効利用のために肉が出回るようになりました。


釧路管内では特に昨年釧路市と合併した旧阿寒町での被害が多く
狩猟が規制される国立公園があることから、
冬になると周辺の町村にいたシカたちがみんな
阿寒の森に集まって来るとまでいわれていました。

そこで阿寒町では商工会青年部の若者たちが中心となって
エゾシカ料理の新メニューを考案すると同時に、
国立公園内のシカたちをエサでおびき寄せて捕獲し、
一年中出荷できる大きな牧場や解体処理場、加工場を作って
「阿寒もみじ肉」として全国のレストランや居酒屋に出荷できる体制を作り上げてい
ます。


そもそもエゾシカの肉はジンギスカンで話題の羊肉以上に
低カロリーで高タンパクなヘルシーフードだということから
古くからフランスなどでは高級食材として扱われてきたほど。

牧場でのエサ代や加工・流通コストが割高なため
まだ価格は国産の牛肉並みとのですが、
流通量が増えてコストが下がればまだまだ安くなりそうですし
地元の飲食店ではラーメンやハンバーガーなどを気軽な値段で味わうこともできます。

処理方法や鮮度で狩猟物とは一線を画す「阿寒もみじ」のエゾシカ肉、
皆さんもどこかで見かけたなら是非一度お試しくださいね。

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2006-05-30 21:30:00

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.14

テーマ:「くしろ炭鉱マン物語」 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第32号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                  2006.5.30 発行(毎月15日・30日発行)

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.14 
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今や国内で唯一残った坑内掘り炭鉱として採炭を続ける「釧路コールマイン」同様、
読者の皆様の暖かいご支援によって支えられているメルマガ「くしろ炭鉱マン物語」。


第14回目の今回は、将来的な石炭業の衰退が予測されていた昭和40年代、
多角経営を目指して次々と設立された太平洋炭鉱の子会社を渡り歩き、
卓抜した手腕によっていくつもの会社を軌道に乗せた「経営者」でもある
寺田俊秀さんにお話をうかがいました。

太平洋炭鉱本社から手腕を見込まれて畑違いの子会社へと出向し、
生まれたばかりの会社が自力で利益を上げるまで育て上げる。
ともに働いた「ヤマの仲間たち」とはあまりに異なる仕事を成し遂げた
寺田さんの、異色の「炭鉱マン」人生をご紹介いたしましょう。   


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 ◎第14回 元・太平洋建設コンサルタント社長  寺田さん(76)


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   ┃  実業団からバレーボール選手として転職  
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私は昭和4年、当時まだ釧路市の中心街であった南大通1丁目で生まれました。
釧路市のシンボルとなっている幣舞橋のたもと、ロータリーのすぐ脇です。

実家は家長である伯父が印刷所を経営していましたが、
父は当時の国鉄に奉職していました。
そんなこともあって私も旧制中学を卒業するとすぐ、
国鉄の鉄道管理局に勤めはじめました。
戦後の混乱がようやく収まりを見せはじめた昭和22年のことです。

しかし、学生時代から続けていたバレーボールの選手として誘いを受け
一年足らずで転職した先が太平洋炭鉱だったのです。


当時は企業によるスポーツ活動が盛んで、
市の大会や実業団対抗試合などのために
各企業がこぞって有力選手をかき集めていた時代でした。

特に太平洋炭鉱では野球と陸上競技、バレーボールに力を入れており
私たちも会社と市を代表して全国大会にまで行くことができました。
ライバルの国鉄や製紙工場と並んで太平洋炭鉱が
釧路のスポーツ界のイニシアチブを取っていたと言えるでしょう。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 通勤族の労務屋として磨かれたバランス感覚  
   ┗…………………………………………………………┛

もちろん、いくらスポーツ選手として引き抜かれたとはいえ会社員なのですから、
毎日朝から終業時間までは普通の仕事をこなさなければなりません。
私が配属されたのは労務課で、おもに労使関係の事務局のような部署でした。


地方都市における炭鉱というのは特殊な社会で、
会社の周りには自社で運営する病院から学校、
スーパーマーケットや銭湯、ホテルまであるわけですから、
社員とその家族は下手をすると
社外の人間とまったく接触せずに暮らすこともできてしまいます。

当然、社員のほとんどは「炭住」と呼ばれていた社宅か、
炭鉱の近くで格安に分譲された土地に家を建てて住んでいましたから
たとえ実家が市内の離れた場所にあっても、
わざわざ通勤してくる社員は「通勤族」と呼ばれる、
きわめて珍しい存在でした。

ましてや当時はバスの便のよくない時代でしたから、
私は入社して何年も、南大通の自宅から5キロほど離れた会社まで、
毎日歩いて通勤しました。
スポーツ選手でしたからちっとも苦にはなりませんでしたし、
むしろトレーニングになるぐらいのつもりで通っていました。


炭鉱のように閉鎖された社会では、仕事であれプライベートであれ
外部との接触は限られてしまうことが多いのですが、
私は仕事上、経営者と労働者、さらに関係官庁との間に立って
調整を図ることが多かったですし、
家でも炭鉱外部の人と接しているのが普通でしたから、
ほかの社員よりわりと客観的に
会社や仕事を見ることができたのではないでしょうか。

それが後日、関連会社の運営に携わるようになってからも
役立ったのではないかと思います。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 営業マンとして出向、やがて子会社の社長に    
   ┗…………………………………………………………┛

太平洋炭鉱の本社では、入社以来16年間
労務畑一本で過ごしましたが、転機は昭和38年にやってきました。

当時の経営者が斜陽化する石炭産業の将来への布石として
石炭採掘のほかにも、採算を得ることのできる別会社を用意するべきと
「50・50(フィフティ・フィフティ)計画」という
新しいプロジェクトを立ち上げたのです。


これは新規参入しても利益が期待できる新しい子会社を設立し、
グループ全体の利潤のうち、本業の太平洋炭鉱の割合を50%
子会社全体の割合を合計で50%にまでしようというものでした。

これにより、社員の持ち家制度を促進するための
不動産売買を扱う「太平洋興発」や「太平洋製作所」、
「太平洋建設工業」「太平洋レミコン」などが相前後してできました。


一時は小さなものまで含めると25~26社にもなりましたが、
いくつかの会社は採算ラインを確保することができずに消えていきました。

所詮、あまりに畑違いな業種に関しては、大企業特有の
「武家の商法」といいますか、世間知らずな部分や見通しの悪さ
緊迫感の欠如といった要因があったのではないかと思います。


そんなこともあってか、比較的「炭鉱一色」に染まっていなかった
(からではないかと想像している)私は昭和38年に本社から
セメントや生コンを扱う「太平洋建設工業」に、
46年には不動産の営業マンとして「太平洋興発」に出向となりました。

スポーツで磨かれたチームワークの感覚が生きたのでしょうか、
それとも生来の外向的な性格が性にあったのでしょうか、
やがて新しく設立された総合コンサルティング会社
「太平洋コンサルタント」の体表取締役として、
経営のすべてををまかされることになりました。


   ┏…………………………………………………┓  
   ┃ 「太平洋グループ」全体での45年間   
   ┗…………………………………………………┛

結局、私が太平洋炭鉱に勤務したのは16年間だけでしたが、
関連企業とはいえ社名の頭に「太平洋」の付いた企業に在籍した期間は
通算で45年にも及びました。

坑内や採炭の現場で働くことはありませんでしたが
私もまた「炭鉱マン」の一員であり、太平洋炭鉱のOBであることに
変わりはありません。

退職後もさらに建設コンサルタントの他社で10年あまりお世話になり、
一昨年ようやく半世紀以上にも及んだサラリーマン生活に終止符を打ちました。

現在は太平洋炭鉱の管理職OB会のメンバーとして
会員に向けての会報などを編集・発行していますが、
たとえ会社を離れて何十年経とうとも
私たちから太平洋炭鉱OBとしての誇りと愛着が消えることは
決して、ないでしょう。

2006-05-15 20:00:00

【爪の中の石炭粉】炉ばた=でれっき=の風景 第31号

テーマ:炉ばたでれっきの風景

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴ 炉ばた=でれっき=の風景(第31号)
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                   2006.5.15 発行(毎月15日30日発行)

いらっしゃい。
お客さん、初めて見る顔だね。観光旅行かい?

やっぱり釧路は寒いっしょ?
これでもだいぶ温かくなったんだけどね、
なんせまだ桜も咲いてないんだから、やんなるしょ?

まだまだ朝晩にゃストーブが欠かせないしね、
店は石炭だからいいけど、家は灯油ストーブだからね、
灯油がえらく高くなっちまってさ、参るわホントに。

おっと、おしゃべりばっかりしてごめんなさいね、
何にするかい? まずは生ビール?

今日は活きのいいツブが入ってるけど、どう?
刺身も最高だけど、煮ても焼いてもウマイよ!


ここは、北海道は釧路市にある炉ばた「でれっき」。
夏でも肌寒い夜には、地元で採れた石炭をストーブで焚くこのお店には
毎日いろんな土地から、いろんなお客様がやってきます。

さて、今回はどんな面白い話が聞けることでしょう・・・・・・。


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おや、カウンターの隅で仲良さげに語り合っているカップルは
地元の人でしょうか、それとも観光客かしら?

あまりキョロキョロしていないところを見ると
近くの街から遊びに来ているのかも知れませんね。
そんなに厚着もしていないようですし・・・。

だって本州あたりからの観光客だったら
それはそれはガッチリと厚着をしてる人が多いんだから。

多分、「凍えるほど寒い」とか書いてある
ガイドブックの情報を鵜呑みにしてるんだろうけど、
これでも私たちにとってはけっこう温かい方なんだけどな・・・。

ま、いいか。
それじゃ、ちょっと失礼して
いつものように盗み聞きをしちゃいましょう!

何を話しているのかな?
どれどれ・・・・


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やっぱり釧路ね!
おなじ魚でも近所のスーパーで買った魚とは全然違うわ!

そりゃそうさ。
漁船から水揚げされたその日のうちに市場やスーパーの
店頭に並んでるって、こないだテレビでやってたぞ。

へー、そうなんだ。
だったら美味しいはずよね。
いいなぁ、釧路の人は。
一年中、いつでもこんなに美味しい魚が安く食べられて。

安いかどうかは分からんけどね。
意外に大量に仕入れる全国チェーンのスーパーの方が
遠くの地方でも安く買えるかも知れないよ。

えー、うちの近所のスーパーは安くないし
こんなに活きだって良くないよ?

だからー、
何百店も支店のある大手スーパーだけだって!
一度にたくさん買ってくれるからさ、
漁協や漁師さんだって安く卸すんだろう?
商売っていうのは、そういうもんさ。

そういえばさ、
アンタの実家って何かお店をやってたって言ってたわね?

ああ、昔ね。
母親の実家が田舎で燃料店をやってたんだって。
おれが小学校に上がる頃に廃業しちまったけど、
よく母さんから配達の苦労話を聞かされたっけ。

燃料店って、灯油やプロパンガスなんかを売ってたの?

いや、釧路で採れた石炭を仕入れて売ってたんだ。
夏でも飲食店で使う木炭や練炭は売ってたらしいけど、
やっぱり冬になるとメチャクチャ忙しかったって。
当たり前だよな。

小さな子供でも、親の手伝いをするのが普通な時代だったから
母さんたちも皆な前掛けを着けてさ、
自転車の荷台に石炭を積んで配達に行かされたんだって。

一日手伝いをすると、指の爪の間にまで石炭の粉が入って
真っ黒くなっちゃうもんだから、
近所の銭湯のしまい風呂に行って一生懸命洗ったとか、
大晦日なんかは皆夜中まで起きているから
買いに来るお客さんのために夜中まで店を空けてたとかさ、
ずいぶん色んな苦労話を聞かされたっけ。

中でも自転車で配達に出かける時なんか、
子供だとまだ体重が軽いから、
石炭を荷台に積んだ時に前輪が浮き上がりそうになるのを
必死でおさえて山道を走るのが一番大変だったって。

当時の母親の家族写真を見せてもらったらさ、
店の前で子供たちが揃いの店名入りの前掛けをかけてな、
一列にずらっと並んで立ってるんだ。

俺が子供の頃でも大分扱い量は減ってたけど、
それでも石炭の販売はまだしてたみたい。
今じゃその一帯も再開発で様子がまったく変わっちゃったけど、
いつも店先で遊んで楽しかったのを、よく思い出すんだ。

ふーん、ずいぶん昔の話に聞こえるけど、
アンタの年齢を考えると、そうでもないのよね。
やっぱり北海道の炭鉱町だからなのかしら。
都会で生まれ育ったアタシには想像もできない話だわ。とっても。

なーにを、エラそうに。
だからこそ食べ物も自然も豊富なんだぞ。
お前だってこんな街に住みたいって言ってたじゃないか。

それもそうね。
少しぐらい寒くっても、やっぱり食べ物が美味しいのは魅力的よね。
マスター、こっちにもオススメのツブの刺身ちょうだい!!


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やっぱり仲のいいカップルというのは
何を見ても、聞いても、食べても幸せなんでしょうね。
ちょっぴりうらやましいな。
きっと大好きな人と食べる食事は美味しいことでしょう。


さて、話題にのぼったツブですが
毎年4月末頃から始まる釧路沿岸のツブ漁は今がまさに最盛期。
冬の足音が聞こえる十月下旬まで、
およそ半年ほどの操業が続きます。

一口にツブ貝といってもその種類は非常に多く、
釧路を中心とする道東の沿岸で
食用にされるものだけでもざっと二十以上。
正確な分類は研究者でも難しいほどだだとか。

釧路周辺の店頭で普通に売られている生のツブは
こぶしより大きな真ツブと小型で筋の入った灯台ツブ、
それに短い毛の生えた毛ツブの三種類。

ほかにも浅瀬で捕れる砂ツブ(または磯ツブ)や
主に厚岸などで漁獲される青ツブなどがあり、
北海道内でも釧路にしかないツブ焼き専門店の店頭で
たまらなくいい匂いをさせているのは、この青ツブです。

つぼ焼きにすればサザエに、
刺し身にすればアワビにも負けないほどの
おいしさが知られるようになったツブは、
最近では全国各地のスーパーや回転寿司店でも
見かけるようになってきました。

釧路では昔から殻付きのまま焼いたり
煮物、刺身などにして食べてきたツブですが、
一番奥の内臓(俗にいうワタ、またはアブラ)を食べると
頭痛や吐き気に襲われることもあるため、
家庭で調理する場合は最初に取り除いた方がいいでしょう。

地元の漁師さんは「真ツブも灯台ツブも刺身に向くけど
固いと感じたなら、熱湯でさっと湯引きすると柔らかくなる。
天ぷらやかき揚げにしてもウマイぞ」いいます。

道外にお住まいの皆さんも
お店でこのツブ貝を見かけたなら、
ぜひ一度トライしてみてください。
本当にオイシイんですよ!!


 
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2006-05-09 10:00:00

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.13 

テーマ:「くしろ炭鉱マン物語」 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第30号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                  2006.5.9 発行(毎月15日・30日発行)

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◆炉ばた=でれっき=の風景 (第30号)   2006.5.9

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第13回目の今回は、構造的な石炭業界の斜陽化と
国の政策によるスクラップ&ビルドが進む時期に太平洋炭鉱に入社され
やがて働く仲間の暮らしを守ろうと最年少で労働組合の専従職員となり、
閉山時における最後の書記長として炭鉱の最期を看取った
橋本豊行さんにお話をうかがいました。

閉山後は、一人でも多くの仲間を新会社に残すため再就職を辞退し、
解散となった労働組合の残務整理を終えた後は
新たに発足した「退職者・離職者協議会」の会長として、
今も「ヤマの仲間たち」のために日夜奔走を続ける橋本さんの、
「もうひとつの炭鉱マン」としての生き様をご紹介いたしましょう。   


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 ◎第13回 元・太平洋炭鉱労働組合委員長  橋本 さん(52)


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 豊かな暮らしに憧れ、炭鉱附属の専門学校へ   
   ┗…………………………………………………………┛


私は昭和29年、当時まだ非常に景気のよかった太平洋炭鉱のお膝元である
釧路市春採に生まれました。

父親は炭鉱マンではなく郵便局に勤めていましたが、
近くに炭鉱の社宅がたくさんあり、
小学校の同級生にも炭鉱労働者の子供がおおぜいいました。


当時はまだまだ日本は貧しかったのですが、
景気のよかった炭鉱の人たちの暮らしぶりは
郵便局員のそれよりはるかに羽振りがよく、
当時ではとても高価で手の出なかったカラーテレビを見せてもらいに
よく炭鉱家庭の同級生の家に遊びに行ったものです。

そんな彼らの暮らしが羨ましかった私は、
将来の仕事は会社員や公務員よりも、
絶対に太平洋炭鉱に就職するんだと子供心に決めていました。


実際、中学を卒業してからは当時太平洋炭鉱が
技術者の育成のために設立した「鉱山鉱業専門学校」に進学しました。
私は6期生でしたが、3年間の勉強を終えて卒業した
わずか数年後には廃校となってしまった短命な学校でした。

もともと幹部社員を養成するための会社附属の学校でしたから
卒業生が入社できるのは当然でしたが、
すでに国内炭鉱の閉山が相次いでいる時期でしたから
卒業生以外の一般の新入社員はいませんでした。
昭和47年のことでした。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃  厳しい労働に見合った待遇を求めて    
   ┗…………………………………………………………┛


豊かな生活を夢見て入社した太平洋炭鉱だったのですが、
すでにスクラップ&ビルド、つまり
緩やかな閉山準備が始まっている会社だったのですから
先輩に「こんな時期に入ってくるなんて馬鹿だ」と
よく言われたものでした。

それでも直後に起こった石油ショックによって石炭の価格が上がり、
一時的にせよ会社の業績はよくなりましたが、
やはり長期的に見るとほんの一時的なものに過ぎませんでした。

入社後は掘進係りに配属され、ここで10年あまりみっちりと
仕事のイロハを叩き込まれましたが、
このころから労働組合には積極的に関わるようになりました。


特に危険の多い坑内作業の現場では、労使の間で交わされた
安全対策や労働条件が守られているかをチェックする
「職場保安員」を置くことになっており、
組合から任命された保安員は現場では作業せず、
さまざまな確認やチェックに専念するというものでした。

入社から10年目、28歳の時に私はこの職場保安員になりました。
最年少での就任でした。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃  職場保安員を経て、組合の専従職員となる    
   ┗…………………………………………………………┛

労働組合の専従職員という身分は、
会社に籍は置くものの「休職扱い」ということで給料が出ません。
代わりに組合員が毎月納める組合費の中から賃金をもらう訳ですが、
その分、選挙や信任を受けなければなりません。

やがて私は専従職員の選挙に当選し、晴れて労組の専従職員となりました。
入社から20年ほどが経っていましたが、それでもやはり最年少で、
組合としては若い血を入れようということだっただと思います。

労働運動がまだ活発だった私の入社時には
専従の組合員が12、3名、組合が一般から雇った
「書記」と呼ばれる非組合員の職員が7名ほどもいたものですが、
閉山の直前にはどちらもほぼ半数ほどに減っていました。

専従職員にも現場と同じく担当部署があり、
私も組織労働部長や保安生産部長という担当を経て
閉山時には書記長になっていました。


   ┏…………………………………………………┓  
   ┃  閉山、そして組合の残務処理と解散   
   ┗…………………………………………………┛

2002年の太平洋炭鉱閉山から2年後、
我が国の労働運動史に輝かしい足跡を残し
華やかな実績と同時に一時代を築いた太平洋炭鉱労組も長い残務整理を終えて、
その59年の歴史に幕を下ろしました。

同時に、日本炭鉱労働組合(炭労)も解散となり、 
54年の活動にピリオドを打ちました。

かつては国内に300を超える組合と約30万人にも及ぶ組合員を抱え、
戦後の日本労働運動をけん引した炭労の最後の組織が太平洋炭鉱でした。
 

かろうじて炭鉱としての採炭業務は
新しく設立された「釧路コールマイン株式会社」に引き継がれましたが、
閉山時に約1500名いた職員は3分の1になり
新会社での労働組合も設立が見送られました。


現在私は、新たに発足した
「太平洋退職者・離職者協議会」の会長に就任し、
ともに働いた仲間と先輩たちの力になれればと微力を尽くしていますが、
やはり関係者のこれからの生活はもちろん、
日本の石炭産業の将来を考えた時、
一抹の不安と寂しさを憶えずにはいられません。

2006-04-16 10:30:53

DVD「走れ!釧路の運炭列車」4月21日発売開始!

テーマ:お知らせ

DVD「走れ!釧路の運炭列車」が

4月21日発売開始!


初回予約先着100名様に

車票と石炭ストラップかキーホルダーのおまけ付です。


価格は税込みで3360円


ハイビジョン撮影44分の大作でおまけ映像15分もついています。


百聞は一見にしかず。

まずは http://www.946sekitan.com/

にある DVDの内容の一部を動画でごらんいただけます。

をクリックしちゃおう!


予約注文も同じhttp://www.946sekitan.com/ でできちゃいます!

2006-04-16 10:28:12

炉ばた=でれっき=の風景(第29号)

テーマ:炉ばたでれっきの風景

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴ 炉ばた=でれっき=の風景(第29号)
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                   2006.4.15 発行(毎月15日30日発行)


いらっしゃい、まだ外は雪が降ってるの?
ようやく少しは春らしくなってきたと思ったのに、
やっぱりまだまだまだみたいだね。

最近は地球温暖化とやらで
少しずつ暖かくなってると思ったんだけど、
釧路でゴールデンウィーク前に花見をするのは
無理みたいだね。

気温が低いと海も時化(しけ)るらしくってさ、
あまりイキのいい魚が市場になかったんだけどね
最近出回るようになった釧路産のサラダ昆布があるけど
食うかい? うんめぇーぞぉ!


ここは、北海道は釧路市にある炉ばた「でれっき」。
今でも店内では、地元で採れた石炭をストーブで焚くこのお店には
毎日いろんな土地から、いろんなお客様がやってきます。

さて、今回はどんな面白い話が聞けることでしょう・・・・・・。


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おや、店の真ん中にデンと置かれているストーブのそばで
どこか懐かしげなまなざしで語り合っている
二人連れの若い男性のお客さん・・・。

ぴしっとしたリクルートスーツは着ているものの、
どこかまだ着こなしが板に付いていないところを見ると
どうやら社会人になったばかりのフレッシュマンのようですね。

きっと「こんなはずじゃなかった」とか
「学生に戻りたい」なんて
五月病なりかけのグチをこぼしてるんじゃないですか?

それじゃ、ちょいと失礼して
いつものように盗み聞きをしちゃいましょうか!
どれどれ・・・・


+:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:++:


釧路が寒い町なのは知ってたけどさー
もうすぐゴールデンウィークだっていうのに雪は降るわ
店の中じゃ石炭ストーブは焚いてるわって、
どうなってんだろうね、まったく。

そう言うなよ。
これでも俺の大好きな古里なんだぞ、この街は。
お前だって確か空知かどこかの出身だったろう?
同じ北海道じゃないか。

違うもーん。
同じ北海道ったって俺の古里じゃ、ちゃんと米も取れるし
野菜やフルーツだって本州なみに取れるんだから、
こんな不毛の土地とは訳が違うもん。

違うもんって、お前、ガキかよ。
そりゃあ確かに釧路はさ、気象台のある主要地点の中じゃ
富士山頂の次に年平均気温が低いってぐらい寒い土地だけどさ、
その分、釧路湿原や阿寒湖みたいに
市内に2つも国立公園があるんだぞ。
どうだスゲーだろ!

お前だって充分ガキみたいだぞ・・・。
確かにな、世界遺産になった知床だって
寒くて厳しくて人が住まなかったからこそ
あんなに豊かな自然が残ったんだろうからな・・・。

分かりゃあいいんだ、分かりゃあ。
反省したんなら、許してやらんでもないぞ。

何だよ、エラそうに。
やっぱり見直すの止めよかな・・・。

でもな、ストーブ見てて思い出したんだけどさ、
俺の親父の実家はさ、同じ空知でも
かなり片田舎の小さな町だったんだ。
その親父がよく俺に話して聞かせてくれたことには、
親父が幼いころは、冬の暖房はまだ石炭ストーブだったんだって。

今でもそこで牧場をやってるばあちゃんから、
よくそのストーブの前で色んな昔話を聞いたって言ってたな。
今じゃそこそこ大きな街に住んでるから、
すっかり遠い昔話になっちまったみたいだけどな。
やっぱり田舎や古里があるのっていいよな・・・。


俺は根っからの釧路っ子だからさ、
この街の外で暮らしたこともないしさ、
中学の修学旅行で初めて田んぼを見て感激したぐらいだもんな。

今じゃ日本でただ一つの坑内掘り炭坑だとかいう太平洋炭鉱・・・
あっ、今は釧路コールマインか、が実家の近くだったから、
小学生の頃から近くにあったズリ山で遊んでたしさ、
社会見学とかで丘の上にあった石炭資料館に行ったこともあったっけ。

今でも覚えてるのは、中に本物そっくりの
暗くて長~いトンネルみたいなのがあってな、
実際はその中で作業していたと聞いてさ、
「海の下なのに怖くないのかなぁ?」って思ったのを覚えてるよ。

そもそも死んだじいちゃんは昔別保の炭鉱で働いてたため、
肺を悪くして死んじゃったんだって親父から聞かされたことがあるよ。
今じゃ全部機械化されて、ずい分作業も安全になったらしいけど
昔は本当に命がけだったんだなぁって思うよな。

今じゃその別保の炭鉱もとっくに無くなってしまったけどさ、
まだまだ釧路の人には色々な思い出が残っているのさ。
俺みたいに若くても、な。


ふーん、そうなんだ。
俺もこの街に就職したからには、もう少し
炭鉱や石炭について知ってなくちゃ恥ずかしいのかな?

そりゃあ、そうさ。
この俺が何でも教えてやるから
何でも遠慮なく聞きたまえ。 エヘン。

って、急にエラそうだぞお前。
やっぱり教わるのは止めだ。
マスター!
オススメの昆布サラダ、こっちにもちょうだい!!

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うーん、やっぱり学生時代の友人同士って
気が置けない感じでいいですね。

いくつになっても会った瞬間に
学生時代に戻ってしまうってところでしょうか?


最近、釧路の東部漁協が売り出して話題になったサラダ昆布は、
昆布が成長しきる前の若芽の状態で収穫し、
食べやすいよう細切りにしたものです。

昆布を茹でてそのままパック詰めされたもので、
さっと水洗いしただけで、すぐに食べられるのも便利。

コリコリした歯触りがまた絶品なのです。

これも最近人気の沖縄料理みたいに
豚肉と一緒に炒めても最高ですし、
野菜と和えたり揚げてもOKです。

だしを取るためよりも、そのまま食べるには
最も適しているというのが釧路特産のナガコンブ。
皆さんももっとたくさん昆布を食べて、
健康的に長生きを目指しませんか?


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2006-04-16 10:23:08

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.12 

テーマ:「くしろ炭鉱マン物語」 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第28号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                  2006.3.30 発行(毎月15日・30日発行)

◆炉ばた=でれっき=の風景 (第28号)   2006.3.30

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.12 
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今や国内でも唯一残った坑内掘り炭鉱として採炭を続ける「釧路コールマイン」同様、
読者の皆様の暖かいご支援によって支えられているメルマガ「くしろ炭鉱マン物語」。


第12回目の今回は、戦前の入社以来一貫して労務・人事畑を歩み続け、
その人望から多くの社員やその家族に仲人を頼まれるなど
坑外での喜怒哀楽を誰よりも数多く体験されてきた佐藤友信さんです。

同じく炭坑マンであった兄を戦争で失ったことから、
二十代から遺族会の役員として活動を続けてこられたほか、
退職後も町内会長や老人クラブ会長として地域社会に貢献。
誰からも頼られ、信頼されてきた佐藤さんの半生を伺いました。   


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 ◎第12回 元・太平洋炭鉱研修センター  佐藤 さん(78)

   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 炭坑一家の息子として炭住に生まれる   
   ┗……………………………………………………┛

私が生まれたのは昭和3年の元旦、
「炭住」と呼ばれていた太平洋炭鉱の長屋でした。
父親が「仕繰り」担当の坑内作業員だったからです。

やがて中学校へと進みましたが、
あまり勉強が好きではなかった私はほどなく学校を辞め、
15歳の時に父や兄と同じ太平洋炭鉱へ勤め始めました。

いちおう読み書きができるということから
帳面付けなどの事務仕事が私に与えられた仕事でした。

しかし、すぐに国の命令による配置換えにより
太平洋炭鉱の職員はわずかな保安要員を残して大半の作業員が
九州の三井三池炭坑へと異動を命じられました。
昭和18年のことです。

私も初めての坑内作業を命じられ、
石炭を運ぶトロッコ用の線路の整備などに当たりましたが
やはり釧路で坑内員だった兄は戦闘機乗りになるのだといって
海軍の航空隊に志願して認められ、わずかな訓練でパイロットになっていました。

九州にいたのはわずか一年半ほどで、
すぐに敗戦により釧路へと戻ることができましたが
特効隊員であった兄が釧路へ戻ることはありませんでした。
私が17歳、兄は20歳の夏でした。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 庶務係として、労務畑一本で過ごした18年   
   ┗…………………………………………………………┛

再び太平洋炭鉱に戻ってからも、私の仕事は相変わらず庶務係で、
一般に「労務屋」と呼ばれる人事担当を18年ほど続けました。

普通、作業員が結婚をする時などには
直属の上司に仲人を頼むのが普通なのですが、
同じ部署でも番方や班などのチーム編成は1、2年ほどで替わることが多いため、
すぐに替わってしまう上司に頼むよりはと、
労務担当の長かった私に仲人を頼む作業員がたくさんいました。

特に弁舌が立つわけでもなかったのですが、
何かと作業員から頼み事をされることの多い部署でしたから
頼みやすかったのでしょう。

退職後の十数年間まで含めると50組ほどの仲人を引き受けましたが、
その後に離婚した夫婦が3組しかいないのが嬉しいですね。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 女優の山田五十鈴がロケで自宅に長逗留   
   ┗…………………………………………………………┛


労務という仕事は、おもに事務所での地味なデスクワークですから
毎日さほど変化のない単調な仕事の連続ですが、
昭和29年のある日、忘れられない出来事がありました。

北海道の炭鉱を舞台とした映画「女一人大地を行く」のロケで
有名女優の山田五十鈴がやってきたばかりでなく、
1ヶ月半にも及ぶロケの期間中、あろうことかその山田五十鈴が
私の自宅に滞在し続けたのです。

たまたま私の住宅が、当時では数少ない風呂付きだったことが
宿舎に選ばれた理由でしたが、それはそれは光栄に感じたものです。


兄を戦争で亡くした父は、釧路での遺族会の役員を務めていましたが、
昭和30年に定年退職して間もなく病気で倒れてしまったため、
代わりに私が代理として働いているうちに、役員にされてしまいました。
まだ20代でしたから、ずいぶんと重宝がられたものです。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃  子会社へ出向、さらに休職しての政治活動も    
   ┗…………………………………………………………┛


やがて昭和45年には、選炭工場脇の高台にオープンした子会社のレジャーランド
「太平洋スカイランド」に出向となりました。
折からのレジャーブームに乗った、プールやレストラン、ボーリング場、
ホテルなどが合わさった、釧路市内では初の総合的な娯楽施設でした。

営業部長として客の呼べるさまざまな新企画を練るのが仕事でしたが、
案外、性に合ったと見えて、在職中でもっとも楽しい職場でした。    


スカイランドへの出向は6年ほどでしたが、
本社へ戻ると今度は労組に頼まれて会社を休職し、
労組出身の社会党代議士の後援会活動に丸三年ほど専従してしまいました。

職場へ復帰すると、会社から社員教育のための
マニュアルの作成を命ぜられたことから
しばらくは「係員教本」の完成に全力を注ぎました。

このマニュアルは、新入社員のための研修センターで
教科書として使用されることになり、
作成した関係から私がそのままセンターの講師に任命されました。
これが私の在職中の最後の職場でした。


思えば、兄の供養にと父の跡を継いだ遺族会の仕事はもう50年になりますし、
40代から引き受けた町内会長も30年以上にもなります。

退職後もしばらくは炭坑時代の仲間や関係者の仲人を引き受けましたが、
最近は仲人よりも葬儀委員長を頼まれることの方が増えてしまいました。
顔なじみの先輩や同僚が徐々に減っていくのは、
なんとも寂しい限りです。  


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この記事は2006.3.30 に発行されたものです。

2006-04-16 10:21:31

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.11 

テーマ:「くしろ炭鉱マン物語」 

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                    2006.3.3 発行(毎月15日・30日発行)

◆炉ばた=でれっき=の風景 (第26号)   2006.3.3

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.11 
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今や国内でも唯一残った坑内掘り炭鉱として採炭を続ける「釧路コールマイン」同様、
読者の皆様の暖かいご支援によって支えられています「くしろ炭鉱マン物語」。

第11回目の今回は、鉱業所のある釧路の出身にして現地採用、
しかも最終学歴が高校卒業という「ノンキャリア組」でありながら
持ち前の才能と努力で現場のトップである鉱業所長にまで
登りつめた高崎隆さんです。

しかも、入社直後から参加した「山岳部」に退職するまで現役として参加、
60歳を過ぎてから南北両アメリカ大陸の最高峰の登頂に成功するなど、
アルピニストとしても輝かしい足跡を刻んだ高崎さんの半世紀に及ぶ
炭坑マン人生、山男人生をうかがいました。


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 ◎第11回 元・太平洋炭鉱 釧路鉱業所長 高崎 さん(74)

   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 炭坑近くの農家に生まれて   
   ┗……………………………………………………┛

昭和6年、わたしは現在の釧路コールマインの選炭工場や
ズリ山にもほど近い農家の息子として生まれました。

現在でこそ武佐地区は住宅街になっていますが、
当時は広大な湿地と牧草地しかない荒涼とした風景が広がる
寂しい土地でした。

太平洋に面した海岸線には、昔から昆布漁を行っている
漁師さんたちの集落はありましたが、
近くには他に産業らしい産業はありませんでしたから、
わたしが高校を卒業して太平洋炭鉱に入社したのは
当然といえば当然のなりゆきでした。

敗戦の痛手がようやく薄らいできた昭和25年のことでした。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 釧路出身、高卒作業員として初の鉱業所長へ   
   ┗…………………………………………………………┛


坑内作業員としての採用でしたから、
最初から掘進や採炭の現場で真っ黒になって一生懸命働きましたし、
25歳の時に職員である3等級になってからも区長や係長、課長と昇進はしましたが、
ずっと第一線の現場での仕事は続いていました。

その後も、順調すぎるほど順調に昇進することができ、
やがて坑長、技師長を経て55歳の時には取締役である鉱業所次長に、
さらに6年後には釧路鉱業所の最高責任者である所長に任命されました。

それまでの所長といえば、本社のある東京で採用になった東大出身者とか
技術系ではあっても国立大学の工学部卒のエリート社員がなるものと
相場が決まっていましたから、
地元採用で現場上がりの、しかも高卒のわたしが所長になったときには
それこそ社内の誰もが驚いたものです。
しかし、誰より一番驚いたのは当のわたし自身だったかも知れません。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 山岳部の設立に参加、山の魅力のとりこに   
   ┗…………………………………………………………┛


入社して3年目の昭和28年、会社内に山岳会が設立されました。
「太平洋炭鉱山岳会」の誕生です。
わたしには元々山登りの趣味はありませんでしたが、
先輩に誘われて参加してみたところ
すぐにその奥深い魅力にとりつかれてしまいました。

会社自体も戦後の復興期で増産に次ぐ増産を続けていましたが
仕事を一生懸命にこなした後の山登りは、また格別の爽快感がありました。
かたや海底下はるか深くの穴の奥、
かたや雲より高い山の上という違いはありますが、
どちらも人間の支配が及ばない大自然の世界という共通点があったのかも知れません。

最初は会単独で北海道の山岳連盟に加盟して
当時盛んに行われていた競技会や国体にもずいぶん参加しました。
やがて市内の他の山岳会と合同で釧路山岳連盟を作り、
最盛期には70人以上の会員がいました。

しばらく知床や大雪など北海道内外の山を
年に10回ほどのペースで登っているだけでしたが、
転機が訪れたのはソ連が崩壊した1991年のことでした。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 初の海外遠征、やがて南北米大陸最高峰登頂へ   
   ┗…………………………………………………………┛


以前は外国人の登山など考えられなかったソ連が
改革・開放の動きから許可しそうだという話が入ってきたのです。

すぐに申請を出して許可が下りたのは、カムチャツカ半島にある
ユーラシア大陸の最高峰火山・クリチェフスカヤ(4813m)でした。

サハリンで大やけどを負ったコースチャ少年の医療協力や
釧路市とサハリン州の都市との友好関係など、
さまざまな要因が絡んでの、とてもラッキーな遠征となりました。

その興奮と余韻が冷め切らない1993年には
今度は北米大陸の最高峰であるアラスカのマッキンリー(6194m)へ登りました。
クリチェフスカヤは札幌の山岳会との合同チームでしたが、
この時は太平洋炭鉱山岳部の単独チームでのアタックとなりました。

残念ながらこの登山はメンバーの高山病により失敗しましたが
2年後の1995年に再度アタックして登頂に成功、リベンジを果たしました。

すでに年齢も60歳を過ぎ、会社でも所長の職に就いていましたが
30~40歳代の会員と一緒に登頂したマッキンリーからの眺望は忘れられません。

さらに相談役として第一線を退いた1998年には南米大陸の最高峰である
アルゼンチンのアコンカグア(6959m)にアタックして登頂に成功。
これで南北アメリカ両大陸の最高峰をきわめることができ、
まさに感無量の喜びに包まれたのは言うまでもありません。


しかし会社の経営環境の悪化により、翌年には山岳会が解散、
太平洋炭鉱自体も2001年には閉山となってしまいました。
どちらも自然や国際情勢という、抗いがたいものが相手だっただけに
従うしかなかったというのが、今のわたしの正直な感想です。



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この記事は2006.3.3 に発行されたものです。

2006-04-16 10:20:05

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.10

テーマ:「くしろ炭鉱マン物語」 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第24号)
┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ 炭鉱マンしか知らない、坑内のおもしろ話
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                   2006.1.30 発行(毎月15日・30日発行)

 今や日本全国でも唯一の坑内掘り炭鉱として採炭を続ける「釧路コールマイン」同様、
 全国の石炭ファン(?)やメルマガ読者の皆さんの暖かいご声援によって
 当「くしろ炭鉱マン物語」も足かけ2年、vol.10(24号目)を迎えることができました。

 これもひとえに当メルマガをご愛読くださった皆さんのおかげです。
 本当にありがとうございます。
 そして、これからもよろしくお願いいたします。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.10  
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 さて、
 記念すべき第10回目の今回は、戦時中に13歳で炭坑夫の道を志し、
 単身釧路にやってきて以来、石炭坑道の設計と測量一筋に40年、
 課長代理での退職後も「太平洋炭鉱管理職OB会」の副会長として
 現在もさまざまな活動を続ける布施光男さんです。

 現役を離れて20年を経た現在も
 「太平洋炭鉱は世界一の炭鉱であり、私の人生のすべてでした」と
 断言して憚らない布施さんに、
 炭鉱とともに歩まれた半生を伺いました。


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 ◎第10回 元・太平洋炭鉱計画課長代理 布施さん(78)


   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 13歳で道南の今金町から単身で釧路市へ
   ┗……………………………………………………┛

 私は昭和2年、函館市からそう遠くない道南の今金町で、
 4人きょうだいの長男として生まれました。

 開戦直前の昭和16年、高等小学校の2年生の時に
 釧路にいた親類の薦めで単身釧路市に移り住み、
 そこの家の世話になって釧路の学校へ通うことになりました。

 戦時中で景気の良かった太平洋炭鉱への就職を薦められたのがきっかけですが
 田舎の学校を出た者よりも、地元の卒業生の方が有利だからというのが、
 卒業の1年前に転校してきた理由です。

 とはいえ、まだ13歳といえば母の恋しい子供ですから
 転校してしばらくは古里の家族や友だちを思い出し、
 ひそかに枕を濡らしたことも一度ならずありました。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 勤めてすぐに九州へ。負傷、敗戦、再び釧路へ
   ┗…………………………………………………………┛

 アメリカとの戦争が激しくなった昭和17年
 高等小学校を卒業した私は、希望通り太平洋炭鉱へ就職することができ
 坑内に新しい坑道を掘るための測量係に配属されました。

 ところが、昭和19年になると戦況が日増しに厳しくなっていったため、
 国の命令で九州の大牟田にある三井三池炭鉱に異動となったのです。

 当時から、大財閥の経営する三池炭鉱は国内でも最大の炭鉱でしたが、
 むしろ機械化は太平洋より遅れており、坑夫たちは裸にふんどし一丁で
 ツルハシを振るって石炭を採掘していました。


 私はすでに釧路で測量の経験を積んでいましたが、
 まだ17歳の血気盛んな軍国少年のことでしたから
 お国のために、たとえ一かけらの石炭でも増産することが使命と考え
 未経験の採炭係を志願しました。

 ところが採炭の作業を始めて間もなく坑道が落盤、
 大きな岩に頭を直撃された私は意識を失い
 頭蓋骨が陥没し16針を縫う大怪我を負ってしまいました。


 さすが天下の三井の炭鉱病院は大きなものでしたが、
 医師も薬も不足していた戦時中のこと、
 完全に癒着しなかった私の頭蓋骨は、今も
 押すとフニャフニャへこむ部分が残ってしまいました。

 それでもまだ若くて元気だった私は20日ほどで退院し、
 さすがに今度は体力の不要な有害ガスの検定係に配置転換されましたが、
 結局、ほどなく敗戦を迎え、再び釧路へ戻ることになりました。


   ┏………………………………………………………┓  
   ┃ 製図の腕を認められ、坑道設計の計画立案へ
   ┗………………………………………………………┛

 敗戦の時には私も18歳になっていましたから、
 古里から両親と兄弟を呼び寄せ、
 まさに一家の大黒柱として働きに働きました。

 戦後の復興期ということもあり、増産に次ぐ増産の時代でしたし
 焦土と化した国土の再興は自分たち
 若者の双肩にかかっているという自負と気概があったからです。

 太平洋炭鉱に戻ると再び測量係員として働きましたが、
 上司から「お前は図面書きに向いている」と言われ
 身分は坑内作業員のまま、おもに地上の事務所で
 新しい坑道の設計図などを作製するのがおもな仕事でした。

 やがて採掘計画係という部署で新坑道の計画立案を任されるようになり、
 区長から係長へと昇進するにつれ、
 炭鉱全体の骨格構造を計画するようになっていきました。


 この仕事は掘進から採炭といった現場の状況はもちろん、
 会社全体の予算まで把握していなくてはできない部署でしたので
 本当に毎日やりがいに満ちた仕事の連続でした。

 このころには私も結婚して家庭を持ち長男も生まれていましたが、
 毎日数時間の残業や休日出勤は当然と思っていましたので
 家族には苦労や不自由をさせたと、今でも申し訳なく思います。


   ┏…………………………………………………………┓  
   ┃ 太平洋炭鉱は自分の誇りであり、人生のすべて
   ┗…………………………………………………………┛


 結局、定年の直前に計画課長代理として管理職の一員にはなりましたが
 40年間の炭鉱生活を通じ、一貫して
 測量~採掘計画という仕事を全うすることができました。

 私はこの仕事を天職と信じ、自分の職責と会社そのものに
 限りない誇りと愛着を抱き続けてきました。

 男子の本懐が天職に巡り会うこととするならば、
 私はこの上なく幸福な人間であり、
 そんな人生を歩ませてくれた太平洋炭鉱という会社に
 いくら感謝しても、しきれないほどの恩を感じています。

 世界に誇る高い技術力と未採掘の資源、豊富な経験を有しながら
 豊かになったが故の国際競争力によって閉山を余儀なくされたのは
 返す返すも残念でなりません。

 せめて後を継いだ「釧路コールマイン」だけでも
 太平洋炭鉱の意思と伝統を絶やすことなく、
 たとえ仕事や役割が変わっていこうとも
 末永くこの地で採炭し続けてほしいと願って止みません。


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いかがでしたか?
 現代の礎を築いた時代に
 まさに身を粉にして「働く」
 その厳しさや 誇りとがひしひしと伝わってきますね。
 言葉が、我々に伝わってきますね。
 さて次号はどなたがお話してくれるのでしょう。
 どうぞお楽しみに!


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この記事は2006.1.30 に発行されたものです。

2006-04-16 10:17:14

「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.9 

テーマ:「くしろ炭鉱マン物語」 

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┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  炉ばた=でれっき=番外編(第22号)
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                  2006.1.1 発行(毎月15日・30日発行)

  炉ばた「でれっき」には
 炭鉱マンのお客様がよくお見えになります。
 炉ばた=でれっき=番外編では、
 「くしろ炭鉱マン物語」 ~我らコールマイナー(炭坑夫)~と題して
 炭鉱マンだけが知っている、坑内のおもしろ裏話をお届けしています。

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┣■┫ 「くしろ炭鉱マン物語」 我らコールマイナー(炭坑夫) Vol.9  
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今や国内で唯一残された炭鉱として操業を続ける「釧路コールマイン」同様、
読者の皆さんの暖かいご声援によって支えられてきました「くしろ炭鉱マン物語」。
今年一年ご愛読いただきまして、本当にありがとうございました。

第9回目の今回は、祖父の代から親子3代にわたって太平洋炭鉱の作業員を勤められた
生粋の炭鉱マン・田中義昭さんにお話を伺いました。

最前線の坑内作業員を経て労働組合の役員、さらには出向先の子会社においても
辣腕の営業マンとして活躍された田中さんの、異彩に満ちた半生をご紹介します。


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 ◎第9回 元・太平洋炭鉱 掘進係・労働組合  田中 さん(65)

   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 3代続く炭鉱暮らし、祖父は友子の親方   
   ┗……………………………………………………┛

昭和15年、わたしは現在の釧路町別保にあった
太平洋炭鉱別保坑の炭住(炭坑住宅)の長屋で生まれました。

大正時代から炭鉱夫を勤めていた祖父は太平洋炭鉱の前身である
木村組炭鉱の時代か ら
現在の春採坑で採炭をおこなっており、
別保坑との合併によってこちらへ移ったのだそうです。
もちろん、父親も別保坑で採炭作業に従事していました。

当時は戦時増産による好景気で、どこの炭鉱でも非常に活気に満ちていたほか
人手不足の状態が続いていたため、友子の親方として名の知られていた祖父は
新しい作業員を集めに空知から満州まで出かけて行ったそうです。

その間、炭鉱へは祖父のかわりに祖母が出ていました。
当時は女性の坑内作業も普通に行われていたのです。

よく祖父は晩酌などで機嫌が良いときに「俺が一声かければ
日本中から200人や300人の子分がすぐに駆けつけるんだぞ」と笑っていました。

まだ子供だったわたしは「ふーん」と話半分に聞いていましたが、
確かに毎年正月になると何十人もの人たちが新年の挨拶にやってきましたし、
祖父に連れられて夕張へ行った時などは
炭住街の入口の両側にズラリと人々が並んで出迎えてくれたのには驚きました。

絵柄は忘れましたが、祖父の背中には二の腕にかけて鮮やかな刺青がありましたし
たんすの引き出しには立派な長ドスがいつもしまってあったとかないとか・・・。

そんな祖父が亡くなった時には、本当に全国各地から200人あまりも
「昔、世話になった」という人たちが参列してくれました。


   ┏……………………………………………………┓  
   ┃   別保坑の閉山により春採坑へ  
   ┗……………………………………………………┛


昭和20年の敗戦後も別保の炭住にいたわたしは
そのまま父とともに別保坑で炭坑夫になるつもりでいましたが
昭和24年にこの別保坑は閉山となってしまったため、家族で
春採坑の炭住へと移りました。

中学を卒業後、多少ほかの仕事にも就きましたが
結局昭和34年、19才の時に太平洋炭鉱へ入りました。

最初は採炭係としての採用でしたが、すぐに掘進係へ異動になりました。
それまで人手でおこなっていた採炭作業が、
機械化により人員が余ったためです。

結局、そのまま10年あまりを掘進係として過ごしました。


   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 作業員の投票による組合役員に立候補
   ┗……………………………………………………┛


昭和45年、30才の時に労働組合の専従員選挙に立候補しました。
採炭や掘進など、各職場の代表として立候補し
全作業員の投票によって決まるのが組合の専従員です。

社内での代表を選ぶといっても各立候補者がそれぞれに公約を掲げ、
立ち会い演説会なども行われる本格的なものでした。

かつては炭鉱の付近に社員のための専用映画館が何軒かあり、
この映画館で上映する1本目と2本目の幕合いなどで演説会が行われたほか、
印刷屋に注文したポスターを炭住街に貼ったり
選挙カーを仕立てて回ることもあったといいます。

さすがにわたしの頃にはそこまで本格的ではありませんでしたが、
始業時に坑内作業員が現場に向かう人車乗り場の前に立っての演説は行いました。

幸い、初めての選挙では当選することができましたが、
組合専従員の任期は1年限りのため
こうした選挙を毎年ゝ繰り返さなくてはなりませんでした。


   ┏……………………………………………………┓  
   ┃  9度目の選挙に落選、再び掘進の現場へ
   ┗……………………………………………………┛


昭和53年、わたしは9度目の選挙に落選してしまいました。
原因はわたしの実績が一般受けする待遇の改善などより
福利厚生に力を注ぎすぎたためと思っています。

すぐに職場は元の掘進係へ戻りましたが、勉強して昇進試験を受け
3等級の主任、建築現場でいう現場監督の立場になりました。

そのまま現場に残り、経験と昇進試験をクリアしていけば
やがて区長から係長というのが坑内作業員としての出世コースなのですが、
主任に昇進してほどなく、突然、子会社への出向を命じられました。

坑内で使用する機械の保守点検や施設の営繕を担当する会社で
まったく未経験の営業部長というポストに就いたのでした。


   ┏……………………………………………………┓  
   ┃ 畑違いの営業活動にやり甲斐を見いだす
   ┗……………………………………………………┛

社員はみな炭鉱の関係者でしたから
親会社の与えてくれる仕事さえしていればよかったのでしょうが、
パートの職員は、炭鉱の退職者を中心に800人もいました。

さらに、太平洋炭鉱そのものが会社の生き残りを賭けて
さまざまな新規事業に取り組み始めていた時期でしたから、
新しい仕事を求めてどんな畑違いの仕事でも取ってきました。

もともと誰とでもすぐに友達になれる得な性格でしたし
組合時代に、交渉のテクニックが身に付いていたのでしょう。
就任時に1億3000万円ほどだった売り上げは、退任時には9億円になっていました。

自分でもセールスや営業マンとしての能力があるとは思っていませんでしたし、
出向を命じた本社自体が、誰より驚いたのでしょう。
決して順調なことばかりではありませんでしたが、
炭鉱の外の世界を知ることができましたし
多くの新しい友人もできるなど、得難い経験ができたと今では感謝しています。



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この記事は2006.1.1 に発行されたものです。

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