しま:さぁ、このプリントはお茶漬けのようにさらっといっちゃいましょう。唐が滅んだ後、中国はまたパラパラです。北には五代の王朝交代、南には10の国…この時代を五代十国[907~979年]といいます。厳密に言うと10国の1つ、北漢は北にあるけどね。

 

生徒:五代は全部都が一緒なんですね。開封かー。(ただし後唐は除く)

 

しま:そうそう。(ただし後唐は除く)。では後梁→後唐→後晋→後漢→後周とみていこう。

 

①(後梁) 建)<朱全忠> 武断政治の開始!

 

 

しま:武断政治というのは、武力による実力支配ってこと。だから短命に終わりがち。

 

②(後唐) 都)洛陽(他は全て開封)

 

しま:これ、どうして洛陽かと言うと、建国者のお父さんの李克用って人が、黄巣の乱で朝廷を助けた時に洛陽の管理権をもらってるからなんですね。それで息子も洛陽を拠点にしたというわけ。細かすぎるけどね。

 

③(後晋) …燕雲十六州を契丹族へ割譲

 

しま:建国をする時、契丹族(遼)に援助してもらったので、そのお礼に現在の北京を含む「燕雲十六州」という地域を割譲しました[936年]。これは万里の長城の内側が含まれているのがポイント。

 

④(後漢) 特になし

 

⑤(後周) 960年:後周の武将<趙匡胤>が宋(北宋)を建国

 

しま:そして、979年:2代<太宗>が(北漢)を滅ぼして中国再統一。以上です。

 

生徒:次は十国ですね!

 

しま:十国は、ほとんど出ないですが、北漢が最後、呉越が最長くらい覚えておけばじゅうぶんかな。ちなみに最初にも言ったけど、北漢だけは華北にあるから、それは覚えておこう!

 

 

☆センター過去問

下の文章中の空欄 ア と イ に入れる語の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[14本試]

 

唐では、8世紀に入ると、国家の体制を支える諸制度が動揺し始めた。また、安史の乱をきっかけに、節度使が国内全域に配置されるようになると、なかには中央に租税を送らず、半独立状態を続けるものもあった。その結果、唐は財政危機に陥った。唐が政権を保ち得たのは、両税法と塩の専売制が定着して財政を持ち直し、中央の軍隊が強化拡充されたことによる。しかし、 ア が起こると、唐の支配体制は根底から揺り動かされた。反乱軍から唐に降った節度使の イ により、907年、唐に滅ぼされた。

 

① ア-呉楚七国の乱 イ-張角

② ア-呉楚七国の乱 イ-朱全忠

③ ア-黄巣の乱   イ-張角

④ ア-黄巣の乱   イ-朱全忠

 

 

 

 

 

しま:呉楚七国の乱は紀元前154年に前漢で発生した内乱ですね。諸侯の領土を削減しようとしたことがきっかけでした。張角は後漢時代に太平道を組織し、黄巾の乱を起こした人。よって正解は④です。