しま:さて、今日は唐とその近隣隣接諸国について確認していこう!
生徒:確か、朝鮮半島を統一した新羅は、唐の言うことをなんでもきくと言ってましたよね!?ということは…冊封体制ですか?
しま:その通り!渤海と新羅と南詔は、冊封関係の国です。これらは独立国ですが、唐との関係性で言えば君臣関係になる。ではまず、渤海から見ていこう!
生徒:ちょうど朝鮮半島西北部の渤海湾あたりにできた国なんですね。
しま:その通り。渤海[698年~926年]の建国者は大祚栄で、都は上京竜泉府。この都、長安そっくりですよ。ってことは平城京ともそっくりです。ちなみに民族は、ツングース系の靺鞨人。高句麗と一緒のツングース系。ここから何が分かるかな?
生徒:わかった!668年に滅ぼされた高句麗の遺民が逃げてきて、渤海を建国したんだ!
しま:素晴らしい!唐にならって繁栄し“海東の盛国”と呼ばれていました。次は、雲南省にできた国、南詔[7世紀~902年]です。彼らはチベット=ビルマ系のロロ人。漢字を公用語にし、仏教を奨励するなどバリバリ唐文化を受容している。で、南詔が滅んだあと、ここに大理国[937~1254年]というのが登場するんだけど、これはタイ人の王朝なんだ。これがモンゴルの<フビライ>により滅亡させられると、再びタイ人が南下してスコータイ朝をつくるから知っておこう。はい次!羈縻政策の国々ね!
生徒:羈縻ってなんでしたっけ?
しま:牛や馬をつなぎとめておくロープみたいなもの。つまり、ある程度の自由はあるけど管理されてるみたいな。自治を与えて間接統治ってこと。これが、東突厥・西突厥とウイグルね。ウイグル[744年~840年]の宗教は、マニ教。この後起こる安史の乱では唐を援助したことも忘れちゃいけない。しかし、このウイグルも、キルギスの圧迫によって840年頃から四散していき、中央アジアでイスラーム化します。はい、じゃあ問題。9世紀頃に中央アジアで流行っていた宗教は??
生徒:イスラーム教!
しま:正解です。イスラーム教のことを回教と言うのは、ウイグル人のことを漢字で回紇と書くからなんですよ。以上!
生徒:はい、先生!吐蕃とはどういう関係だったのですか?
しま:吐蕃[7~9世紀]は、特別!ソンツェン゠ガンポによってラサを都に建てられた吐蕃は、全然唐の言うことを聞こうとしない。そこで2代の太宗は、友好関係を築くべく<文成公主>を降嫁させたんだったよね。
生徒:和蕃公主というやつですね。
しま:です。でも結局は、吐蕃との関係は一時的なもので、安史の乱の混乱に乗じて長安を占領してきたりする。あとは、大乗仏教に民間宗教のボン教を合わせたチベット仏教が誕生したことを覚えておけば、吐蕃はOK!
生徒:はい!
しま:短かったので最後にセンター試験(今の共通テスト)の問題を解いてみよう!
☆センター過去問
次の文は、8世紀半ばの唐とその周辺諸国の状況を示している。正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
① 吐蕃は、唐と激しく対立したため、仏教の導入を拒否した。
② 南詔は、西方に進出してガズナ朝を滅ぼした。
③ ウイグルは、その後、キルギスに攻められて衰えた。
④ 渤海は、骨品制と称される身分制度を施行した。
生徒:なんかいまいちしっくりこない問題ですね
しま:そうだね…①は仏教の導入を拒否ってのが違う。チベット仏教は仏教だからね。②も違う。ガズナ朝を滅ぼしたのはゴール朝だ。③が正解。④の骨品制だけど、これは新羅の身分制度だったね。

