日常的なモンダイを解決するための・・・
瞑想するということ
煩瑣な問いではなく・・・
ジブンとは何か、ニンゲンとは何か、地球とは何か、宇宙とは・・・と続くような大いなる問いを立てること、それは決して
答えを求めるためにするのではない
んだよね、そこが煩瑣な問いとは決定的に違うところ。
別の言い方をすれば、日常的な問いというのは答えを出さなくてはマズイもの。
それに対して、大いなる問いというのは答えなんて出なくて良い、というより
決定的な答えなどない性質のもの
なんだね。
ということは、瞑想というのは何かを解決するために行うのではないということ。
敢えて言うなら、ジブンという存在を
もう一段上へと導くため
に行うんだよ。
あとはそれが必要かどうかということ。
ジブンが今のままで良い、上も下もない、進歩も退歩もない、今のままで十分だというなら瞑想なんて必要としないだろう。でもね、ここでハッキリと言っておくけど、瞑想なしの人生では
人間として生まれてきた甲斐はない
とね。