ジョーシキ的な生き方に・・・
愚かなニンゲン
強い違和感を持つヒトたち・・・
それが求道者やニートのような一団だ。
彼らは違和感の対象となるニンゲンたちと比べて圧倒的に数が少ない。
となると、彼らは愚かではないエリートと考えて良いのだろうか?
答えは否だね。
まずは「ニート」に一括りにしたヒトたち。具体的には引きこもりや犯罪者なども含む、いわゆる社会不適合者といった部類のニンゲンたちだね。彼らはたしかに当たり前の生き方を拒む存在ではある。しかし、そこに見られる抗いの精神は
きわめてジブン本位
なんだよね。ある意味ではごくフツーのニンゲンよりも愚かだと言えるかもしれない。
働きもしない、他者と関わることを忌避する、法律も軽視する・・・そのごくフツーの在り方を拒否するスタンスにある程度の可能性を認めるとしても、やはりフツー人とは違った意味で大きな愚かさを秘めているんだ。
一方「求道者」の方はどうだろう? 具体的には瞑想者や芸術家、宗教家や哲学者、利得のためではない職人などが含まれるんだけど、いわゆる改革者といったニンゲンたちだ。彼らはそういった精神を持ちながら社会的な振る舞いも習得し、それに馴染んだように生きながら違った夢を見る。そこに見られる抗いの精神というのは
一種の欺瞞に陥ることもある
んだよね。そうなるとごくフツーの愚かさとは違って、さらに厄介な事態を巻き起こすことになる。いわゆる支配層とは違って、新しい生き方、感じ方、考え方、行動の仕方を提示することによって、新たなカオスを演出する張本人となってしまうんだ。
とすると・・・