見るも無残な人生を送っていると・・・
楽に流れずエサに釣られない人生
それを感じないようにしていない?
楽に流されるにしても、エサに釣られて生きるにしても、そこに隠された
みすぼらしくも強欲なスピリットを直視するのはキツイよね。だから、必
然的にボクらの
感性は限定的なものになる
んだよね。
つまり、ジブンというニンゲンの本性は見ない、聞かない、感じないとい
うことだ。そこで築かれた無感覚はボクらの人生のすべてを覆うことにな
る。だから平気で偽善的な振る舞いもするし、カタチだけ整えることで納
得も出来ちゃうし、並の感性を異常ではないこととして良しとしちゃう。
この弊害について考えたことあるかな?
楽を選ぶにして苦を選ぶにしても、そのどちらにしても同様に内包するザ
ンネンさを見ない、知らないことにするというのは途轍もなく大きな失敗
だと思った方が良い。
ほとんどのニンゲンがそうなんだから気にすることなんてない、そんな風
に考えることはまったくもって間違いだよ。ボクらはいつだって自らの人
生を、自らの正当化に懸命になるが故に台無しにしちゃっているんだ。そ
のことを見逃して良いワケがないでしょ。
何とか抜け出そうよ。
楽にも流れない、エサにも釣られない人生はあるから。
それを実現するためには、もう少し考えておく必要のあることがあるね。
そこから進んでいこう。