なるようにしかならないセカイの中で・・・
変化は必要か?
ただ為す術なくその流れに身をまかせるだけのボクら・・・
そう考えることはあながち間違っていない。
身の回りのことはジブンで決めているし、その場その場で必要な決断は自
らする。そして、それなりの変化も実感してる・・・まあ、そんな風に思
ってるヒトがほとんどじゃないかと思うんだけど、それは妥当とは言えな
いね。
冷静に見れば、ボクらの決断のほとんどが流れの中で、必要に迫られて為
されていることに気付くんじゃないかな。義務教育が終わるから高校へ、
学力に応じて行ける学校を選択し、そこが終われば同じことの繰り返しで
大学、就職、資本主義の大波の中で決められた行動を粛々とこなすことを
求められ、それに応える日々の積み重ね、そうこうしている間に異性を必
要とし、適当な時期に結婚、出産、大きな借金、それを返済するための労
働と束の間の息抜き・・・やがて病魔に冒され、画一的な医療のもと、死
を迎える。
これがボクらのスガタなんだよ。
そんな人生の積み重ね、集積がボクらのセカイそのものであり、不可避的
になるようになっていくんだ。
自動的な人生と自動的なセカイの相乗効果
だね、この状況を手短に言えばさ。
ここでハッキリと浮かび上がってくるモンダイがある。
それは、「自動的な人生」の質だ。それ次第でこのセカイの今後がほぼ自
動的に決まるんだからね。ホントの変化が必要かどうかということ、その
判断がボクらひとりひとりに委ねられる。
さあ、どうする?
今まで通りを肯定して、変化はやっぱり必要ない? それとも・・・