仏陀の真意とは・・・
無記
答えないのか、答えられないのか?
まあ結論を言えば、どちらも正しいだろうね。
もう一度整理しておくと、「無記」とは、仏教のハナシで、仏陀が
ある問いに対して、回答や言及を避けたことをいうんだけど、仏説
や経典などにその回答を記すことが出来ないことから、漢語で「無
記」と表現したんだよね。
もっと言うなら、仏道の修行に直接関係のないこと、または役に立
たない好奇心や関心についての問いかけに対して、こういった態度
で対したということだね。
具体的に無記とされた問いかけを挙げると、
セカイは永遠なのかそうではないのか
セカイは有限なのか無限なのか
生命と身体は同じモノなのか別のモノなのか
修行を完成した如来は死後も存在するのかしないのか
如来は死後も存在しながらしかも存在しないのか
如来は死後も存在するのでもなく存在しないのでもないのか
下のふたつは仏教についてある程度精通していないと少々分かりに
くいだろうけど、まあ、ここではカンタンに「死後のセカイはある
のかないのか」という問いだと思っておいても良いだろうね。
ともかく、ボクらニンゲンの好奇心、知りたい、知ろうとする性向
を完全に止めることは出来ないけれど、ジブンというニンゲンの成
長、進展、完成に向けて気を吐くのなら、
余所事は最小限にする
ことは大事じゃないかな?
ボクらは永遠に生きるワケじゃない。
とても限られた時間しかその人生に許されていないんだよ。
そのことを理解した上で、何を選択するのか、どんなことにココロ
を砕いて生きるのかを決めても悪くはないよね。
もう少し深めておこう。