除夜の鐘はこれの数だけ突かれると言われている。
その数108つ。
煩悩
我が身を振り返りながら解体していこう。
辞書にはこうある。
「心や身体をまどわし、けがす全ての精神作用」
心や身体をまどわす?
まどわせるって何だろうか。「感覚、判断、考えを乱れさせる」または
「誤った道に誘い入れる」だって。要は、ボクらを混乱させ、基本的に
良くない方向へと導くってことだよね。
けがすはどうだろう?「きたなくする、よごす」これはこの通りかな。
ならば、煩悩とは、
ボクらを混乱させ、汚す全ての心の働き
ということだ。
仏教では、すべてのヒトに108つあるなんて言うけど、これは分け方
の違いで、色んなパターンがあるんだけど、とにかくいっぱいあるよと
言ってる。それは分かる。でもさ、どうしてそんなにいっぱいあるかを
明らかにしないと、それが悪いものだとは言えないし、ボクらを混乱さ
せ、汚すものだとも言えないはず。
じゃあ、煩悩はどうしてあるのか?
この質問には、宗教の独善性を持ち出して答えてしまうと、バランスの
取れた解答は得られない。仏教的な善を、プラトンのイデア(完璧な世
界)のように置いてしまっては、科学もイエスもそっぽを向いちゃうか
らね。プラトンも過去の遺物だし。
ボクらの解体はもっとずっとヒトに優しい。
煩悩があってこそニンゲン。ここまではその後の仏教も言っている。
煩悩という別のものがあるんじゃなく、煩悩とニンゲンはワンセット、
互いが互いを所有したり、汚したりするもんじゃなく、ひとつのものだ
ということ。そういう生き物がニンゲンであるという事実を見通すこと
を悟りだなんて言ってるうちは進歩はないね。そんなことは当たり前で
分かったからってエラくも何にもない。
ニンゲンというイキモノをそのまま捉える
それだけでいい。悟りなんて必要ない。あったら今度はそれが邪魔をす
るんだ、ボクらが真っ直ぐに進めないようにね。