知能だけでなくやる気や集中力にも遺伝が影響 子育ての努力に意味はあるか | ~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

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知能はどこまで遺伝の影響を受け、どこまで環境の影響を受けるのか──。この問いを突き詰めていくと、「子育ての努力に意味があるのか」という問題に行き着く。はたしてその答えはどうなっているのか。

 

最新刊『無理ゲー社会』で、「知識社会における経済格差は、知能の格差と同義だ」と指摘する作家・橘玲氏が、行動遺伝学の最新知見をもとに、パーソナリティにおける遺伝と環境の影響度合いについて紹介する。

 

【一覧表】やる気、集中力、記憶、計算、学歴… 33項目のパーソナリティにおける遺伝率の影響


  行動遺伝学は一卵性双生児と二卵性双生児のちがいをもとに、身体的特徴から性格や認知能力、身体的・精神的疾患まで、ヒトのさまざまな性質の遺伝と環境の影響を調べる学問分野で、半世紀以上にわたって膨大な研究を積み上げてきた。

 

行動遺伝学を語るときに欠かせないのが、2000年に行動遺伝学者エリック・タークハイマーが発表した「3原則」だ。

 

第1原則:ヒトの行動特性はすべて遺伝的である
第2原則:同じ家族で育てられた影響は遺伝子の影響より小さい
第3原則:複雑なヒトの行動特性のばらつきのかなりの部分が遺伝子や家族では説明できない

 

 行動遺伝学がしばしば「遺伝決定論」だと誤解されるのは、第1原則(遺伝の影響は広範に及んでいる)と第2原則(子育ての影響とされているものの多くは親から子への遺伝である)しか見ていないからだ。

 

より重要なのは第3原則で、「個性(わたしらしさ)には遺伝と子育て以外のなにかが強く影響している」とする。この“なにか(ファクターX)”が「非共有環境」だ。

 

 行動遺伝学では、「こころ」を「遺伝率+共有環境+非共有環境」で説明する。

 

 遺伝率は外見、性格、精神疾患などのさまざまなばらつき(分散)を遺伝要因でどれだけ説明できるかの指標で、身長や体重ではおよそ70~80%になる。

 

共有環境は「きょうだいが同じ影響を受ける環境」のことで、一般には家庭環境(子育て)とされている。非共有環境は、当初は遺伝率と共有環境で説明できない「測定誤差」とされていたが、その値がきわめて大きいために「きょうだいが異なる影響を受ける環境」と定義し直された。

 

 家庭内の非共有環境としては、「家族構成(生まれ順、性差)」「きょうだい関係(きょうだいへの嫉妬)」「子育て(子どもへの愛情のちがい)」などがあるが、きょうだいで親の接し方が異なるのは子どもの遺伝的特性によるかもしれない(手のかからない子どもにはやさしくし、手のかかる子どもはきびしくしつける)。

 

 一方、家族外の非共有環境としては「学校や地元の友だち集団」「教師」「ソーシャルメディア」など一人ひとりが異なる体験をする環境が考えられる。

 

そのなかでももっとも影響力の大きいのがピアグループ(友だち集団)で、発達心理学者のジュディス・リッチ・ハリスは、子どもの人格形成に決定的なのは「友だち集団内の地位争い(キャラづくり)」だと述べて、「子育ての努力に意味はないのか」との論争を巻き起こした(*)。

 

【*参考:ジュディス・リッチ・ハリス『子育ての大誤解 重要なのは親じゃない〔新版〕』ハヤカワ文庫NF】

 

 これは現在に至るまでもっとも説得力のある非共有環境の説明だが、それがずっと無視されてきたのは、ハリスが博士課程を病気で中退した在野の研究者であること以上に、発達心理学や教育心理学にとってきわめて不都合だからだろう。

 

既存の心理学は「幼児期の子育てが子どもの性格をつくる」ことを当然の前提としてきたが、ハリスはそれを真っ向から否定したのだ。

遺伝なのか、環境なのか

 どちらが正しいかは、(認めるかどうかは別として)現在ではほぼ決着がついている。図表4は、総計1455万8903人の双生児を対象とした1958年から2012年までの2748件の研究を2015年にメタ分析したもので、「パーソナリティ(性格)」「能力」「社会行動」「精神疾患」における遺伝率、共有環境、非共有環境の影響を推計したものだ(*)。

 

【*参考:Tinca J C Polderman, Beben Benyamin, Christiaan A de Leeuw, Patrick F Sullivan et.al (2015) Meta-analysis of the heritability of human traits based on fifty years of twin studies, Nature Genetics /ここではCharles Murray (2020)Human Diversity: The Biology of Gender, Race, and Class, Twelve掲載のデータを抜粋した】

 

 メタ分析(メタアナリシス)は、過去に独立に行なわれた複数の研究を統合し、ひとつの研究であるかのように解析する手法で、個別研究よりもはるかに信頼性の高いエビデンスとされる。

 

ひとつの研究結果は、それとは異なる別の研究結果で否定できるが、メタ分析を否定するには学問分野全体を覆さなくてはならない。ここで紹介するのは、行動遺伝学のなかでもっとも大規模なメタ分析のひとつだ。

 

 ざっと眺めてわかるように、ほとんどの項目で遺伝と非共有環境の影響が圧倒的に大きく、共有環境の影響はほとんどないか、きわめて小さい。

 

 心理学や精神医学は、うつや摂食障害、適応障害などの原因を幼少期の子育て(とりわけ母親との愛着関係)に求めるが、共有環境の影響は無視できるほどしかない。

 

計算や認知、言語などの学習にはわずかに共有環境の影響があるが、やる気や集中力は子育てとはまったく関係ないようだ。「仕事と雇用」や「親密な関係」のように、人生に決定的な影響を及ぼす性格特性にも共有関係はまったく影響していない。

 

 近年、知能の遺伝率は幼少期では相対的に低く、思春期に向かうほど遺伝的な影響が増していくことがわかってきた。アメリカで「就学前教育」に大きな注目が集まったのはこのためで、逆にいえば、「学力に関しては、小学校に上がってからはなにをしてもムダ」ということだ(*)。

 

【*参考:ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社】

 例外的に共有環境の影響が大きいのは、「インフォーマル(私的)な社会関係」「子育ての問題」「基礎的な人間関係」だが、これはポジティブな影響ではなく、幼児期の虐待などで友人関係や恋愛関係をうまくつくれなかったり、自分の子育てに問題が生じるからのようだ。

 

子育てはたしかに子どもの人格に影響を及ぼすが、それは「極端な領域でネガティブな差異をつくりだす」のだ。

「頑張れない」を許さない残酷な社会

 わたしたちは暗黙のうちに、いまの社会が知能(学力)によって序列化されていることを受け入れているが、その一方で、社会的・経済的成功を決めるのはIQや学歴だけではなく、「コミュ力(話し方)」や「やり抜く力(GRIT)」、「人間力」だと思ってもいる。

 

 その背景には、「知能だけがすべてではない(すべてであってはならない)」という信念、あるいは願望がある。こうして、「成功に重要なのは知能よりも自己コントロール力だ」「教育で知能を伸ばすことができないとしても、やる気(堅実性パーソナリティ)を高めることはできる」などの主張が登場する。

 

「成功」に対する知能の影響が100だとして、性格のうち堅実性が60、共感力が20、協調性が20の影響をもつとすれば、これらの(成功につながる)パーソナリティの総計も100になる。だとしたら、知能と性格はほぼ同じ比重になり、知能のちがいだけをいたずらに言い立てるのは(控えめにいえば)科学的な正確さを欠くし、(率直にいえば)許されない差別なのだ。

 

 成功にとって努力などの性格特性が重要なのは間違いない。だがここで無視されているのは行動遺伝学の第1原則で、知能だけでなく努力にも遺伝の影響がある。図表4でも、遺伝率は「やる気」が57%、「集中力」が44%で、努力できるかどうかのおよそ半分は遺伝で決まる。

 

 児童精神科医の宮口幸治は、ベストセラーとなった『ケーキを切れない非行少年たち』の続編である『どうしても頑張れない人たち』で、「頑張るひとを応援する」という善意の残酷さについて書いている。宮口が医療少年院などで出会う少年たちは、頑張りたいと思っているかもしれないが、それでも頑張れないのだ。

 

 その原因のすべてが生得的なものだとはいえないが、幼児期の虐待や育児放棄など、本人の意志ではどうしようもないものがほとんどだ。そして宮口は、ほんとうに支援が必要なのは、わたしたちが支援したくないと思うような「頑張れない子どもたち」だという。

 

 知能の影響を否定しようとするひとたちは、意志力のような「成功に役立つ性格」を過大評価し、「頑張る」ことを成功の条件とする。これを逆にいうと、「頑張れない(努力しない)ひと」は支援される資格がないのだ。

 

知能による選別を否定すると、その空白を、性格(頑張っているか、いないか)による選別が埋めることになる。テストの点数で序列化されるのと、性格(人間性)を否定されることの、どちらがより残酷だろうか。

「進化論的リベラル」へ

 わたしたちは無意識のうちに、親(子育て)や教師(教育)が子どもの将来に決定的な影響を与えるはずだと思っている。だがさまざまなデータは、この信念(というより願望)にさしたる根拠がないことを示している。

 

 子ども時代のことを思い出せば誰もが同意するだろうが、親(家庭)の影響が大きいのは幼少期までで、小学校高学年になれば友だちとのつき合いの方が大事になり、思春期を過ぎれば親の説教などどうでもよくなる。

 

重要なのは親や教師からほめられることではなく、友だち集団のなかで注目され、よりよい(より多くの)性愛を獲得することなのだ。

 

 だが大人になると、なぜかこうした体験を忘れてしまうらしく、子育てや教育の影響を(とんでもなく)過大評価するようになる。

 

 近年では教育現場でカウンセリング、チューター制度、学校外活動、ジョブトレーニングなどさまざまな試みが行なわれている。

 

これらはどれも子どもたちの「非共有環境」に介入しようとするもので、行動遺伝学の知見では、子どもの選択・行動は遺伝だけでなく非共有環境が強く影響するのだから、考え方としては間違ってはいない。

 

 ところが、こうした努力はどれも期待ほどの成果をあげていないようだ。その理由は、とても単純な理由で説明できる。子どもたちは「教育」以外のほとんどの時間を他の非共有環境、すなわち友だち集団のなかで過ごしているのだ。

 

 10代の若者がカウンセラーと1時間話したとして、部屋から一歩出れば「友だちの世界」が待っている。だとしたら、ほんのわずかな「介入」にどれほどの効果があるだろうか。

 

 子どもの選択・行動に外部から大きな影響を与えたいのなら、養子に出す、他の地域に引っ越す、転校するなど、非共有環境をまるごと変えるような介入が必要になる。

 

 1990年代にアメリカで行なわれた社会実験では、裕福な地区への引っ越しをともなう経済援助を受けたグループでは、13歳以下だった子どもが20代半ばに達したときの収入が(なんの援助も受けなかった対照群の子どもより)約3分の1以上高くなり、

 

8歳児が受けた利益は生涯収入で30万ドル(約3000万円)と見積もられた。子どもが大学に進む確率は6分の1高く、大学のランクは大幅に上がり、貧しい地域に住む割合やシングルマザーになる確率も低かった(*)。

 

【*参考:Raj Chetty, Nathaniel Hendren & Lawrence F. Katz (2015) The Effects of Exposure to Better Neighborhoods on Children: New Evidence from the Moving to Opportunity Experiment, The American Economic Review /マシュー・O・ジャクソン『ヒューマン・ネットワーク 人づきあいの経済学』早川書房】

 

 子どもの人格形成に環境要因が大きな影響力をもつのは友だち関係の全面的な変化をともなうときで、“ビリギャル”のような事例は、もともと素養のある子どもを発掘する以上の意味はないのだろう。

 行動遺伝学の知見によれば、遺伝率はよい方向でも悪い方向でも「極端」になるほど高くなる。並外れた才能も、世間を震撼させる凶悪犯罪も、いまでは遺伝的な要因が大きいことがわかっている。

 

 だがこれは逆にいえば、平均付近のほとんどのひとにとっては、「氏(遺伝)が半分、育ち(非共有環境)が半分」ということだ。人生のあらゆる場面に遺伝の影が延びているから、自由意志に制約があることは間違いないとしても、だからといって生まれ落ちた瞬間にすべてが決まっているわけではなく、自分の手で運命を(ある程度)切り開いていくことはできるはずだ。

 

 これからの時代に求められているのは、こうした不都合な事実(ファクト)を受け入れたうえで“よりよい社会”を構想する「進化論的リベラル」なのではないだろうか。

 

【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。その他の著書に『上級国民/下級国民』『スピリチュアルズ「わたし」の謎』など。リベラル化する社会の光と影を描いた最新刊『無理ゲー社会』が話題に。

※橘玲・著『無理ゲー社会』(小学館新書)より抜粋して再構成