北野天満宮の国宝である、菅原道真の生涯や没後の災い、怨霊による影響を描いた絵巻を何というか?
答えはブログの1番下に↓↓
北野天満宮の国宝である、菅原道真の生涯や没後の災い、怨霊による影響を描いた絵巻を何というか?
著作権の配慮で少し文章変えてます、
京都検定って
こんな感じで
知らんわ!!
って問題多いんです。笑
北野天満宮と菅原道真の関係
菅原道真ご本人に関しては、
また別で取り上げる予定です。
といったように、
神社の名前でわかるパターンがあります。
菅原道真は醍醐天皇の時代に右大臣にもなった
大変重要な人物でしたが、
藤原時平によって
あずかり知らない罪を着せられ、
太宰府へ左遷。
刑死ではないが
衣食住ままならぬところまで追い込まれ
亡くなりました。
事件はここから起こります。
比叡山僧侶のもとへ道真が現れました。
そして「怨みを晴らす」と告げたと伝わる。
こちらをご覧ください。
道真亡き後、さまざまな怪死事件が相次ぎ
人々は「道真の祟りだ」と噂するようになる。
醍醐天皇も事態を重くみて
道真を右大臣に戻すと詔を出し、
収束をはかります。
しかし
平安京内裏清涼殿
に雷が落ちる
天皇の日常生活居所。
場は混乱する。
落雷は紫宸殿まで響き渡った。
亡くなったのは
大納言・藤原清貫(きよつら)
右中弁・平希世(まれよ)
右兵衛佐・美努忠包、紀蔭連、安曇宗仁
警備にあたっていた近衛兵も2名死亡
大混乱
醍醐天皇もあまりの惨状に体調を崩し
3ヶ月後に崩御
藤原清貫が道真左遷に関与していた事もあり
道真の怨霊が雷神を操り雷を落としたのだと恐れられるようになる。
道真の没後、約45年。
道真の祟り鎮めるため
京都に道真を祀る社を建立。
北野天満宮です
道真は怨霊から神となりました。
その道真の生涯から、没後の顛末を描いた
国宝の絵巻。
それが問題の答え
『北野天神縁起絵巻』
です。
やばい、筆がとまりませんので
ここまでにしときまーす!!笑