やはり自分は語るべきなのだろうか、愛して止まぬチームの一員であった彼のことを。

 

彼の一番最初の転落の布石となったのは、盟友高田昌明が、アトランタ候補からはずれた事。

キャプテン候補であった高田は、前回バルセロナ予選に出場していたばかりに、レギュレーションの変更により、次のオリンピックには出られなくなった。

前途洋洋たる選手であった高田自身もここで躓き、Jリーグで再び輝くことはなくなってしまったが、キャプテンたる資質を有する選手を失ったアトランタチームは、前園がキャプテンとなり、その肩にすべての重責がかかることになった。

そのプレッシャーの大きさたるや、常人には窺い知れないものがあったろう。

チームは見事にオリンピック出場を果し、ブラジルに勝ってみせるという快挙まで成し遂げた。

だが、3戦目で必要な追加点を取りに行かずに満足してしまった前園を、責められもしないが、彼自身の限界もまたそこに晒していた。

 

そこからは、皆さんも知る、メディアでのブレイクと転落の軌跡。

膝を怪我してからは、満足な状態になったことはないとも言う。

重すぎたプレッシャーからの解放。

その頃の彼に意見する人間などいなかったとも思われる。

 

Jリーグバブル時代の幸せそうな、彼、彼らが大好きだった。その後の前園は、別人だと思ってしまいたい。

 

自分は前園とは面識がない。自分がランドに行き始めた頃、彼はまだ所属していたが、見かけたのは退団会見のときだけである。別れを惜しむファンたちと触れ合う前園を見ながら、これがあの、前園なのかと、眺めていた。精一杯着飾った姿がうら寂しかった。