「『神田祭』の『神幸祭』を撮影しました。」(日比恆明氏) | 清話会

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【特別リポート】
「『神田祭』の『神幸祭』を撮影しました。」

日比恆明氏 (弁理士)


「神田祭」の行事の中で、平成29年5月13日の「神幸祭」を撮影してきました。
私は東京に住んでから三十年以上経つのですが、恥ずかしながら一度も神田祭に出掛けたことがありません。そこで、各種資料を読みあさり、何とかこのお祭を理解することになりました。

付け焼き刃のような知識であるため、「三代続かなければ江戸っ子ではない」と呼ばれる地元の方々からは笑われてしまうような内容となっているかもしれません。文章中に間違いがあれば、新参者であることでご容赦下さいませ。

【神田祭の歴史】

「神田祭」とは、千代田区の神田明神により2年に一度斎行されるお祭で、京都の祇園祭、大阪の天神祭と並ぶ日本三大祭の一つです。また、「山王祭」、「深川八幡祭」とならび江戸三大祭の一つでもあります。ただ、江戸三大祭には「深川八幡祭」の代わりに「三社祭」が入るのではないか、という説や、「根津権現祭」、「三社祭」、「鳥越祭」が該当するのではないか、という説もありますが、どの書籍にも「神田祭」は日本三大祭に含まれているため、東京で最大のお祭には間違いないことです。

「神田祭」を斎行する「神田明神」は天平二年(730年)に創建され、徳川家康が江戸城に幕府を開くよりもずっと前から鎮座していました。江戸幕府が開かれるよりも前から関東に鎮座していた神田明神が、江戸総鎮守として幕府の庇護を受けたのは徳川家康とのつながりがあります。慶長五年(1600年)の関ケ原の合戦に際して、徳川家康は神田明神で戦勝祈願を行い、その結果天下統一ができました。元和二年(1616年)に神田明神は江戸城からみて表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸城の鬼門守護の神社となりました。

                              地図

神田明神の氏子は日本橋地区と神田地区にある町会で、その数は百八町会となっています。講談などで江戸の下町の数を「大江戸八百八町」と表現することが多いのですが、町会の数とは一致していません。講談などでは江戸の町が広かったことを大げさに表現したからではなかったでしょうか。
 
また、神田明神と同様に江戸城を鎮守する神社には、赤坂に鎮座する日枝神社があります。日枝神社も京橋や日本橋の町会を氏子としています。両神社の氏子区域を大雑把に区分すると、日本橋川から北側の町会が神田明神の氏子であり、南側の町会が日枝神社の氏子となります。どのような理由で区分されたのかは不明ですが、江戸・明治・大正と長い時間の変遷により氏子が集約されたのではないかと推測されます。日本橋川で神田明神と日枝神社の氏子区域が区分されているため、神田祭と山王祭の神輿の巡行は日本橋が境界となっています。
 
さて、今年は神田祭が、昨年は山王祭が斎行されており、両祭は交互に開催されています。その昔は毎年開催されていたようですが、天和元年(1681年)からは幕府の通達により隔年に行われるようになりました。また、江戸時代の神田祭は9月の秋祭りでしたが、明治25年(1892年)からは5月に斎行されるようになりました。
 
今年の神田祭は、5月11日の鳳輦神輿遷座祭から始まり、5月17日の例大祭までの7日間続きます。この間には色々な行事がありますが、メインは13日の神幸祭と14日の神輿宮入りです。氏子の神輿は大小合わせて約二百基があるそうですが、その内の約八十基が宮入りします。

【神幸祭の行列】
 
神幸祭とは、神様がお乗りになった三つの鳳輦と神輿を中心にした行列が日本橋一帯を巡り、氏子である108の町会を祓い清めていく神事のことです。行列の編成は、神職、氏子総代、祭典委員、鳶頭衆、供奉者などの数百人規模で、先頭から最後尾までは500mくらいの長い行列となります。
 
神幸祭の行列は、神田明神を出発し、神田地区、大手町を経て日本橋界隈を廻り、三越より秋葉原へ北上し、外神田を廻りって神田明神に戻るのです。行列の道順である巡行路を地図で眺めると、まるで一筆書きをしたようにジグザグとしたコースとなっていました。氏子の町内を満遍なく巡るにはこのようなコースになったのでしょう。

全行程は約30キロメートルとなり、朝8時に神田明神を出発して、氏子の町会を巡行して神田明神に到着するのが夕刻7時という長い行程なのです。途中で休憩もありますが、全行程を歩き通すのは大変なことでしょう。巡行路の案内図には、5分刻みで行列が到着する時刻が掲載されています。実際に行列が到着する時刻はこの予定時刻とほぼ一致しており、行列の進行が正確なのには驚かされました。


        写真1      


        写真2

行列の先頭では神職が先導し、次いで神幸旗(写真1)が、さらに錦の狩衣を来た天狗が続きます(写真2)。天狗というのは俗名で、「鼻高面」というのが正式の名称です。


       写真3


        写真4
 
続いて、神田明神で11日に御神霊を遷座した鳳輦・神輿が通ります。一番目の鳳輦は「一の宮鳳輦」(写真3)で、神様は大己貴命(おおなむちのみこと)です。大国主命(おおくにぬしのみこと)とも称され、庶民からはだいこく様と呼ばれています。縁結び、夫婦和合、国土開発・経営、医療・医薬の神様です。
 
その次は「二の宮神輿」(写真4)で、神様は少彦名命(すくなひこなのみこと)です。庶民からはえびす様と呼ばれていて、商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様なのです。


       写真5     


       写真6

最後の鳳輦は「三の宮鳳輦」(写真5)で、平将門命(たいらのまさかどのみこと)で、平将門公は平安時代の関東の武将でした。朝廷に反旗を翻した将門公が神田明神に祭られたのは、大手町にある将門公を葬った将門塚と関連があります。中世になって将門塚の周辺では天変地異が発生し、疫病が流行ったことから、延慶2年(1309年)になって神田明神に合祀して供養したからでした。現在も、神幸祭では将門塚を巡行して奉幣の儀が行われています。

「三の宮鳳輦」の後からは、平安時代の衣装をまとった巫女さん、旗持ちなどが並び、その間には宮司さん、千代田区長、中央区長が乗られた馬車、氏子総代が乗られた馬などが続いてます(写真6、7)。行列の最後尾は、お祭特有のお囃子を奏でる太神楽曲芸協会の車となりました(大神楽ではなく、太神楽であることに注意)。

「太神楽」とは傘の上で毬や升を廻したりする曲芸や祭囃子のことです。テレビ番組でご覧になった方も多いと思うのですが、海老一染之介、染太郎が有名でした。「太神楽」は本来は幕府公認の神事芸能でしたが、時代と共に寄席などで芸を披露することになりました。芸能が成立した歴史的背景が全く違うことから、神楽師は「太神楽は、落語や漫才などの大衆芸能とは格が違うんだ。」と自慢されているようです(写真8)。


       写真7     


       写真8

【氏子総代の献饌】

神幸祭では、氏子総代が献饌(けんせん)することになります。「献饌」とは、神様に供物を供え、拝礼するという意味で、行列が氏子総代の家の前に到着すると、宮司が馬車から下車して御祓いすることになります。神幸祭では10か所の氏子総代で献饌が行われていました。日本橋横山町では衣料品問屋の株式会社宮入が総代で、この会社は明治41年創業の町内の老舗です。

店舗前には社長以下社員一同が行列をお待ちしていました(写真9、10)。鳳輦が店舗前に付けられて、神職によって御祓いを受けたあと、全員で献饌をして拝礼が行われました(写真11、12)。お供物には酒、米、塩などがあり、伝統的な五穀豊穣を意味しているのでしょう。


       写真9    


       写真10

【昼御饌】  
 

行列が東日本橋にまで到着すると、日本橋両国旧御仮屋で昼御饌(ひるみけ)という神様に昼食をお供えする神事を行います。現実には御仮屋という建物はなく、東日本橋2丁目の薬研堀不動院にある空き地で執り行います。これはかっての習慣の名残りで、当時は神幸祭が数日にわたって行われていたため、巡行路の途中にある両国米沢町に仮の小屋を建て、仮屋で鳳輦・神輿を一時奉安していたからだそうです。


       写真11


       写真12


       写真13 


       写真14


       写真15

昼御饌では大鳥居信史宮司が祝詞をあげられ、氏子総代全員が拝礼されていました(写真13、14)。御仮屋に奉安された鳳輦・神輿は、中央が「一の宮鳳輦」、右側が「二の宮神輿」、左側が「三の宮鳳輦」となっています(写真15)。
 
御仮屋に鳳輦・神輿を奉安した後、行列一行は近くの日本橋中学校で昼食を取られて1時間ほどの休憩となりました。神田明神を朝8時に主発し、御仮屋に到着したのが午後1時で、4時間を歩き続けたことになります。

【明治座での献饌】

 
日本橋浜町の町会では明治6年創業の株式会社明治座が総代で、明治座前で氏子献饌が行われました(写真16、17)。


       写真16        


       写真17

【雨の神幸祭】
 
今年の神田祭では、12日はほぼ快晴であり、梅雨前の気持ちの良い天気でした。しかし、その夜から天候が思わしくなくなり、13日は朝からシトシトと小雨となり、ほぼ全日雨という天気になってしまいました。一時的に雨が止むこともとなく、撮影には最悪の条件でした。観客の方も出掛けるのを躊躇した人が多かったようで、出足は悪かったようです。写真18は水天宮角の交差点で撮影したもので、これが晴天であれば人混みで大変な賑わいであったことでしょう。


       写真18     


       写真19

【附け祭】

 
神幸祭の一行が水天宮まで到着すると、行列の後尾に附け祭が加わり、行列がさらに長くなります。「附け祭」とは江戸時代から始まった出し物であり、本祭の余興のようなもので、その当時に流行った能や浄瑠璃などを題材にした踊り屋台や山車が出た仮装行列のようなものでした。お祭をみんなで楽しもうという趣向ではないかと思われます。
 
写真19は昔話の「花咲か爺さん」を乗せた山車で、時々山車からは煙が噴出される演出があり、煙が出ると観客からは歓声が上がってました。左側で傘を持つ男性はどう見ても外人のように思えるのですが。


      写真20  


       写真21
 
次は、昔話の「亀に乗った浦島太郎」の山車で(写真20)、移動している間はリードオルガンのような柔らかな音色で浦島太郎の童謡を流していました。すこし間延びしたようなオルガンの音色は心を和ませてくれました。「花咲か爺さん」、「浦島太郎」の山車は江戸時代の附け祭には既に存在していたという記録があり、これらの昔話は相当に古い時代から続いていたのでしょう。

写真21は、マンガでおなじみの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公両津勘吉の山車です。バルーンですがリアルに制作されていて、出版元の集英社が奉納したものでした。


      写真22

【相馬野馬追】
 
日本橋三越本店前に出陣するのは福島県南相馬市から参加した「相馬野馬追騎馬武者(そうまのまおいきばむしゃ)の10騎です(写真22)。福島の国指定重要無形民俗文化財である野馬追が附け祭で行進するのは、神田明神のご祭神平将門公と関連しています。将門公は原野に放してあった野馬を捕らえる軍事訓練である「野馬追」を行っており、その由来で野馬追を奉納しているのだそうです。
 
日頃は自動車しか通らない中央通りに10騎の馬が居並ぶのは全く異次元の世界であり、ほら貝を吹いて出陣の儀式を行っていました。この光景は珍しいので、外人観光客が盛んに写真を撮影していました。騎馬の一団が通り過ぎた後の車道には落とし物があり、競馬場でおなじみの香りがしました。


       写真23  


       写真24


       写真25

【三越前で】
 
三越本店の建物壁面には献灯台が設えてあり、提灯が奉納されていました(写真23)。氏子だけではなく、有名商店や老舗の名前もみかけられました。多くの提灯が掛けられているのは、三越本店が老舗であることと大店であることが理由ではないかと思われます。

また、室町1丁目町会の神酒所が設けられていて、町会の神輿が奉安されてました(写真24)。造作は立派なもので、ここで参拝される人が目立って多い神酒所でした。この三越本店前でも献饌が執り行われるため、日頃は顧客が出入りするライオン口の前では役員一同が鳳輦の到着をお待ちされてました(写真25)。

【撮影で困ったこと】
 
今回の神幸祭の撮影で困ったのは、絵にするカンが働かないことでした。通常、このようなイベントの撮影では事前に下見をしておくのですが、過去に神幸祭を見た経験がないため、行列の流れが不明でした。このため、ネットで神幸祭の画像を検索してみたのですが、各町会の神輿の画像は数多く抽出されましたが、神幸祭の行列を最初から最後まで撮影した画像は検出されず、意外でした。多分、神輿の方がお祭の雰囲気が出やすいので、撮影者された方はこちらを好んで選ばれたのでしょう。
 
また、公道での撮影許可をどこで取得するかに苦労しました。昨年の山王祭では中央通りは警察による交通規制があり、一般客は車道に進入できず、車道では撮影できませんでした。

今年も同じように交通規制があるかと考え、万世橋警察署に問い合わせたのですが撮影許可については何だか的を射ないような回答でした。「まあ、どうにかなるだろう」と勝手に考えて、当日私は車道上で撮影をすることにしたのですが、警察官からは注意されませんでした。

どうも、警察による祭の解釈が違うようで、神幸祭は「お祭の行列が車道を通過する」と考えているようであり、下町連合渡御は「多数の神輿が車道を練り歩く」と考えているようです。このため、下町連合渡御では上下の車線を通行止めとしているのに対して、神幸祭では車道の片側だけを交通規制し、反対車線では車両を通行させていました。
         
【気が付いたこと】
 
神事を文章にするのは初めてなので、今まで見たことのない漢字に接することになりました。特に、「鳳輦」の「輦」、「献饌」の「饌」という漢字は生まれて初めて見るものでした。

しかし、この二つの漢字はJIS第二水準の漢字表には含まれていて、特殊文字ではないのです。これらの漢字は神事以外にも使用されていて、使用頻度が高い漢字であると気がつきました。



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