「平成29年 春の九段界隈のできごと」
日比恆明氏 (弁理士)
写真1
今年は例年になく早い4月の初日に九段方面に出掛けました。例年は4日か5日に出掛けるので既に散り始めの頃となり、地面には花びらが散乱している時期でした。今年の散策では満開どころか二分咲の花見となりました。
気象庁は今年の開花宣言を3月21日としました。19日、20日の気温は19度まで上昇し、この気温の影響でつぼみが開花したようです。これにより、順調に桜花が咲並び、3月末には満開になるか、と予想したのですが、そうはならなかったのです。
その後に気温は下降し、26日、27日には8度となって寒さが戻ってきました。これにより開花が大幅に遅れてしまったようです。3月末になっても満開とならず、どの桜木も二分か三分咲といった風情でした。おまけに、私が出掛けた4月1日は小雨の降る寒い日となり、傘をさす手がかじかむような気温となり、とても花見を楽しむような気分にはなりませんでした。
写真2
さて、例年、東京の開花宣言は、靖国神社にある「標本木」を観察することにより判断されてます。開花の判断基準は「標準木に桜花が数輪咲いた状態が観察できた」ことなのだそうです。また、満開の判断基準は「標準木の桜花が8割り咲いた状態が観察できた」ことなのだそうです。この判断は目視で行われるため、かなりアバウトなところがあります。桜の開花が1日や2日早かったり遅かったりしても、社会生活や経済には影響がないため、どうでもいいことかも知れません。
写真3
写真1は今年の標本木を撮影したもので、開花が遅く、かつ、小雨のために記念撮影する参拝者も少なく寂しいものでした。写真2は、昨年4月2日に撮影したもので、鈴なりの人でした。2つの写真を比べると判るのですが、今年は標本木の回りには仮設の柵が設置されてました。標本木に近づかないように防御しているようで、これには少々興ざめの趣きがあります。
なお、標本木を基準として開花、満開を判断する、ということには少々疑問があります。例年、標本木の開花が、市ヶ谷付近に植えられた他の桜木よりも早いのです。それは、標準木が特別な扱いであるからではないか、と考えられます。
標準木の根本は玉砂利で保護されていて、根本の土には肥料が特別配給されているのが原因なのです。境内には多数の桜木が植えられているのですが、標準木だけは特別に「元気」なのです。日頃の手入れが良く、万全の栄養を供給されているのですから、標準木の方でも期待に答えて桜花を早く咲かせるのでしょう。標準木の回りにある桜木に比べると、桜花の咲ぶりが力強いのがよく分かります。
写真4
この日も例年通りに千鳥ケ淵に出掛けました。土手にある桜木は一分咲きといったところでしょうか。3年前に同じ場所で撮影したのが写真4です。桜花が咲かないと、何と平凡な風景になってしまうのだ、ということが実感できました。
九段界隈は千代田区の管轄になります。地元にある千代田区観光協会では春の行楽に合わせて毎年「千代田さくら祭り」を開催し、観光客を誘致しています。この「千代田さくら祭り」は九段付近、千鳥ケ淵にある花見だけを取り上げているのではなく、区内全域の観光案内をする極めて大がかりなものです。
丸の内から九段下、神保町、秋葉原を巡行する無料バスを運行させたり、神田川にクルーズ船を浮かべたり、あちこちでイベントを開催させるものです。予算的にも、人員的にも規模が大きく、半年前より計画が練られたものなようです。桜の時期に合わせて、都内、県外から1日100万人以上の観光客が集中するのですから、準備も大変なことが予想されます。
観光協会は毎年「さくら祭り」を開催しているため、観光客をどのように接待するかの経験が豊富であり、毎年新しい工夫をしているようです。年々システム的になり、観光客への対応が洗練されています。写真5は仮設の観光案内所で、九段界隈には2箇所に設置されてました。
以前はテントでの設置でしたが、最近はプレハブの小屋になっています。この案内所では写真6にあるようにガイドブックを無料で配付していました。全カラー印刷で、68ページという豪華なものでした。小屋の奥を見ると、ガイドブックが山積みとなっていて、これから配付する予備が大量に保管されてました。
写真5
写真6
この予備のパンフレットの山もほんの一部のようで、色々と聞き込むと総印刷部数は数十万部ではないかと推測されました。これだけ大量に保管されているのですが、それを配付するには注意を払っているようです。
小屋で待機していた男性に聞くと、「昨年は早く配りすぎたので、会期の終わりには足らなくなってしまった。早く配りすぎても困るし、配り損ねても在庫が溜まってしまうのでどのように調整するのが難しい。『下さい』と言って取りにくる観光客には渡しているが、積極的に『無料のパンフレットがありますよ』とは声を出さないようにしている」と説明してくれました。会期中に過不足の無いように満遍なく配付するのも大変なようでした。
写真7
写真8
観光協会では、今年から無料のガイドを配置したようで、千鳥ケ淵の付近では写真8のような看板を持った人達が待機していました。こちらは、「江戸東京ガイドの会」というボランティアの集団から観光協会に派遣されたようで、定年になった人達が案内していました。ほぼ全員が英語を話せるようで、中国語に堪能なボランティアもいるようです。外人に頼まれると名所を案内しており、写真9のように写真撮影も支援していました。これは中々面白い取り組みでした。海外からの観光客の誘致のためには、このような細かな配慮が必要なのでしょう。
写真9
写真10
さて、靖国神社では昨年の7月から境内(外苑)での屋台の出店を禁止しています。以来、境内での飲食や遊興は一切ご法度となっています。信仰の場であることから、浮かれた気分で参拝に来ては困るからでしょう。これは本筋のことでなのですが、縁日のような華やいだものがなければ気分が高揚しません。
このため、今年の境内には写真10のようにお揃いのテントが並んでました。今まではテキ屋がそれぞれ屋台を並べ、焼き鳥屋、おでん屋などを営業していた場所です。このように統一されたデザインのテントが並んでいると、視覚的に美しいものです。
このテント集団は「千代田のさくらフェスティバル」と称して、千代田区にある商店街連合が主催したものでした。以前にも商店街連合はさくら祭りに出店してましたが、小規模なものでした。今年は連合会の加盟店で有力な老舗28店を揃え、出店することになったようです。
写真11
写真12
出店の配置は写真12にあるように、テントをコの字形に配置し、入口は一か所にしていました。テントの開口部を庭の内側に向け、参道側からは内部が直接見えないような配置となっていました。これは境内での飲食を原則禁止する、という神社側の方針に配慮したものでした。
参拝者には花見の楽しみを味わって欲しいが、飲食しているところを派手に見られたくない、という折衷案で決まったようでした。関係者からの話では、本来ならば神社は飲食店の出店を一切は認めたくないので、商店街連合は相当に根回して開催にこぎつけた、ということでした。それでも、酔っぱらった花見客が続出しないように、開催は3日間だけ、という厳しいものでした。
写真13
写真14
テント集団の中には、千代田区で営業している有名店がそれぞれ銘品を販売していました。屋台でテキ屋が販売しているような、製造元が不明な怪しげな食品ではなく、デパートでも売っているような商品ばかりでした。テントで囲まれたコの字形の区域内では飲食はできるのですが、椅子やシートの用意はありません。全員が立ち食い、立ち飲みとなりました。
今までのように椅子やシートに座っての飲酒となれば、酔っぱらいが増えて宜しくない、という判断からでしょう。適度に飲酒し、適度に楽しむ、という方針であり、ほろ酔い気分が一番なのです。
写真15
この日も午後3時から「靖国神社の桜の花の下で同期の桜を歌う会」が開催されました。
午後になると小雨も止み、傘も差すこともなくなりました。しかし、午前中の雨が祟ったようで、参加者は例年の三分の一程度と低調でした。 この日、壇上に上がった来賓は、英霊にこたえる会会長の寺島泰三氏、国学院大学教授の大原康男氏、二期会所属オペラ歌手の森敬恵(もり としえ)氏、靖国神社宮司の坂明夫氏、梨本降夫氏でした。来賓の顔ぶれはここ3年ほど変わっておらず、そろそろ新しい人材の登板があってもいいのではないか、と期待しています。
大村益次郎の銅像の台座にはコーラスガールが並び、エレクトーンの伴奏に合わせて軍歌の合唱が始まりました。コーラスガールを注意して観察すると、結構お歳を召した方が多いように見かけられました。その昔、銀座の軍歌酒場で歌っていた方で、それから20年以上の歳月を経てきているためでしょう。
写真16
写真17
歌う会の進行の途中からは、参加者が前列に立ち、合唱することになりました。軍服らしき衣類を着た人達が目立つのですが、旧軍人ではありません。志願して軍隊に入隊したとしても、昭和4年3月生まれが最後であるため、軍隊経験者ならば88歳以上のはずです。
彼らは、なぜか軍隊に憧れている戦後生まれの人達なのです。彼らにとってこの日は、官給ではなく自前の軍服を見せるための唯一の記念日かもしれません。また、30歳代と思われる若い女性も何人か見かけられました。女性にも軍歌愛好家がいるようです。
写真18
会場の隅では、軍歌を聞きながらハンカチで顔を覆ってみえる老女をお見かけしました。最初から最後まで、うっすらと涙を流され、ハンカチで拭いてみえました。軍歌を聞いて70数年前のことが思い起こされたようです。尋ねてみると、兄弟には戦死した人はいなかったのですが、親戚関係には特攻で散った人が何人か見えるそうです。彼女にとって、戦争は歴史上での出来事ではなく、実体験の記憶なのです。久しぶりに軍歌を聞き、当時の思い出が生々しく思い浮かんでこられたのではないかと推測されました。
「新宿御苑での花見」
写真19
写真20
翌日の4月2日は快晴となり、ポカポカ陽気となりました。この日は新宿御苑にでかけてみました。苑内には、春を楽しむ家族連れ、恋人同士で溢れていました。皆様お弁当を持参し、芝生の上で食事を楽しまれてました。持参された弁当は、家庭で料理したものからコンビニで購入したものなど千差万別でした。
購入した弁当の中には比較的高価なものも見かけられ、「今日は特別な日」ということで奮発されたのでしょう。こんな風景は、冬を過ごして春となった、という季節の変り目を全身で受け止めたいと考える日本の習慣ではないでしょうか。こんな長閑な時間を過ごせるのも、平和な証拠でしょう。なお、新宿御苑ではいつでも芝生の上を歩くことができますが、こんなに芝生の上に人が溢れるのは春のほんの一瞬の期間しかないのです。
写真21
写真22
新宿御苑の入口では手荷物の検査をしてました。「テロ対策の一環で、爆弾や猛毒の持ち込みを監視するためか」と考えたのですが、これは酒類の持ち込みを排除するためのものでした。苑内の芝生の上で酒盛りをしては困るので、その対策でした。
上野公園では会社員などが酒盛りをしているのが慣習となっていますが、新宿御苑は全く対照的な花見の場なのです。ここは、家族や恋人が集まり、酒の入らない食事を楽しむ極めて健全な公園なのです。