「取り返しのつかない『尖閣外交』の失態」(花岡信昭氏) | 清話会

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取り返しのつかない「尖閣外交」の失態

花岡信昭氏(拓殖大学大学院教授、産経新聞客員編集員)


*見当違い、勘違いの目立つ仙谷由人官房長官
10月末、ベトナムのハノイで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議の場で、日中首脳会談がセットされるらしい。先のブリュッセルでの「廊下懇談」とは違って、今度は正式会談になる。

これによって、9月7日に発生した中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件以来の日中間の緊張関係は、1カ月半ほどでほぼ完全に収束されることになる。

一連の「尖閣外交」は果たしてこれでよかったのかどうか。国際社会では日本の卑屈な対応ばかりが目立ち、国威の低下は甚だしい。

司令塔となって指揮したのは仙谷由人官房長官とされる。官房長官は内閣の要だから、職責を全うしたことにはなるのだろうが、その方向が見当違い、勘違いの積み重ねでは困ったものだ。

衆院予算委員会で自民党の石原伸晃幹事長から「弱腰外交だ」と迫られた仙谷氏は「柳腰だ」とやり返したが、これも勘違いの最たるものだった。柳腰というのは、しなやかで細い腰の美人を指す形容だ。
清話会 だれが名付けたか、「仙菅大和」「院内菅仙」(説明するまでもないだろうが、戦艦大和、院内感染のもじりで、いずれも悲劇に結び付く)といった4字熟語も飛び交う始末だ。

菅政権を守ろうと、仙谷氏が意識的に「悪役」になっているという見方もある。かつて東大全共闘の闘士、在学中に司法試験に合格し、社会党代議士から民主党へという経歴の仙谷氏だ。「ヒール」役を演じることぐらい朝飯前なのではあろう。

*国家の「スジ」を曲げてしまった船長釈放
一連の経緯の中で最大の失態は、逮捕した漁船船長を那覇地検の判断で処分保留、釈放としたことだ。

これによって、中国で拘束されていたフジタ社員4人の解放は実現したが、国家としての「スジ」は無残にも曲げられてしまった。

地検が日中関係を考慮して司法手続きの段取りを変えるなどというのは、あってはならないことだ。拘留期限を延長した後の決定だっただけに、大きな疑念が残された。

誰が見ても、政治的圧力が働いたのはそれこそ「ミエミエ」だ。大阪地検の不祥事があったため、最高検も政治に抵抗し切れなかったのだろう。

ならば、菅政権としては、堂々と指揮権発動を行ったといえばいい。法的には法務大臣を通じて検事総長を指揮することは認められている。地検の判断に押し付けるのではなく、高度な政治判断として打ち出せばよかった。

*ギリギリまで待てば、局面は変わっていた
この種の外交関係にかかわる事件で、政治決着が行われるのはあり得ることだ。だが、今回はあまりに早すぎた。

徹底したチキンゲームを演じ、尖閣周辺に中国の軍艦が出てくるような場面をつくり出して政治決着に持ち込めば、国際社会も一定の理解を示しただろう。

武力衝突の回避という大義名分が出てくるからだ。そういうぎりぎりの局面まで待てなかったところに、この政権の脆弱さが透けて見える。

邦人4人の拘束、レアアースの事実上の禁輸、日本の中国大使の深夜の呼び出しなど、中国側の反応は常軌を逸していた。

天安門事件の民主活動家に対するノーベル平和賞の発表がもう少し早かったら、日本にとって有利な局面もつくり出せたかもしれない。ノーベル賞の対象者が獄中にいるということで、中国は国際常識が通用しない国であるという事実が世界中に改めて認識されたのである。

*日本は東アジア全体の安全保障に責任を負っている

清話会 日本の対応は東アジア諸国の落胆をも招いた。この地域のほとんどの国々は、中国の軍事増強、南下作戦に脅威を抱いている。空母まで出現するとなったら、西太平洋は中国に完全に制圧されてしまう。

これをなんとか食い止めるのが、日米同盟の大きな役割として期待されていた。沖縄の普天間問題などは、そうした文脈で理解していく必要がある。米軍基地移設でこんな大騒ぎをしていてはいけない。

日米安保体制が強固なものになってはじめて東アジアの多くの国が安心するのである。「尖閣外交」の失敗は、そうした国々の対日意識をも変えようとしている。

国際社会ではもはや「尖閣は日本の領土」と主張してみたところで、ほとんど相手にされないのではないか。固有の領土というからには、血を流してでも守り抜くという覚悟を見せなくてはならない。

一連の対応からは、そうした国家としての意思など見えてこない。なんとか穏便にことをおさめようとして右往左往した情けない国家という印象を一段と強めてしまった。

*タイミングを失したビデオテープの公開
こういう展開となった要因としては、事件のもようを海保側が撮影したビデオテープの公開を政府が渋ってきたことが大きい。このテープは現在、検察当局の手にある。

ようやく13日になって、衆院予算委員会が全会一致で国政調査権によるテープの提出を検察側に求めることを決めたが、時すでに遅しだ。中国側と修復に向かおうという段階で菅政権がテープを公開するわけがない。

このテープについては、中国側漁船が海保巡視船に二回にわたって体当たりしてきた状況が明確に映っているとされる。

あるいは、ネット上では、巡視船が漁船に横付けして海上保安官が乗り移ろうとしたときに漁船が離れたため、海中に転落、これを中国漁船員がモリで突いた、といった話まで飛び交い、「公務執行妨害どころではなく、殺人未遂だ」という指摘まである。

真偽は分からないが、そうしたことが事実だとすれば、日本側としてはさらに公開しにくい状況となってしまう。

中国側では、ぶつかってきたのは巡視船のほうだといった話がまかり通っているのである。

ここは、テープをもっと早い段階で公開し、中国側をぎりぎりまで追いつめておいて、政治決着にふさわしい緊迫した状況をつくり出すべきであった。

*誤った「政治主導」が判断ミスを招く
なんとも稚拙な対応に終始した背景に、民主党政権の「はきちがえた政治主導」を指摘しないわけにはいかない。

脱官僚依存の掛け声は結構だとしても、鳩山政権当時から、完全に対応を間違えた。なにしろ、大臣、副大臣、政務官の政治家だけで会議を行い、官僚は部屋の外へ追い出すというのだから、霞が関側が面従腹背になるのも無理からぬところだ。

官僚側は最低限の情報しか上げなくなる。本来、今回のような周到な配慮が必要な場面では、あらゆる情報を網羅し、外交当局として考えられ得る選択肢をすべて提示して、政治の側が判断するという展開が最も望ましい。

菅政権になって、菅首相も仙谷官房長官も「旧左翼系政党」出身であるため、外交・公安関係の情報が首相官邸に入りにくくなったという指摘もある。これはかつて、旧社会党が加わった細川連立政権当時も言われたことだ。

厚生労働省のような内政専門の官僚組織が横を向く(長妻厚生労働相時代はこれが顕著だったとされる)のであるならば、まだ「害」は少ないが、外交当局がこれをやったら、高度な政治判断を行う基盤が崩れてしまう。

中国大使に民間人を起用したことも外務官僚の不興を買った。中国大使は高級外務官僚のコースのひとつであって、とりわけセンシティブな政治判断が必要な中国大使を民間に「奪われる」のでは、士気が上がらないことおびただしい。

それも中国と商売をしている商社の出身というのでは、その政治判断をはじめから疑われることになってしまう。

*待たれる検察審査会の判断
「尖閣外交」の失態はあらゆる意味合いで、日本政治の脆弱さを天下にさらすことになったのである。

ここへきて、おもしろいといっては何だが、ひとつの動きが出た。日本のジャーナリストらが釈放された漁船船長を公務執行妨害罪で訴える告発状を最高検に提出したのである。

告発状では、「悪質な公務執行妨害罪であり、わが国の主権をも侵害した」「政府は中国の圧力に屈し、事実上、無罪放免とした」「これを放置すれば、二度と不法な中国漁船の逮捕、拘留はできなくなる」などとして、厳重処分を求めている。

受理される可能性は薄いのだろうが、不受理となれば、検察審査会に不服申し立てができる。告発はその申し立ての権利を獲得することをねらったもののようだ。

小沢一郎氏の「政治とカネ」問題で一躍クローズアップされた検察審査会だが、今度はどういう反応を示すか。いずれにしろ、日中首脳間で収拾をはかろうとしても、「尖閣外交」で負った国家のキズはあまりにも深く深刻だ。

【日経BPネット連載・時評コラム拙稿「我々の国家はどこに向かっているのか」10月14日更新】再掲