散歩に出た。
清々しい気分。
すべてが吹っ切れたよう!
嬉しかった。
遠くまで歩くと、前に来たのに気が付かなかったお寺にであう。
なんと真言宗豊山派、今年亡くなった叔母と姉の寺と同じ流れのお寺であった。
まさに仏縁。
姉が守り、ここまで連れて来てくれたのだとお参りせずにはいられなかった。
クリスチャンだが、教会の長老はこんな場合も敬意を払い、お参りするという。
姉は死んでも私を見守ってくれている。
叔母は最後に狸の話を面白がってくれたが、くれぐれも化かされないようにと本気で心配した。
山門を見ると、これから茶会らしい人たちが入っていった。
教室に料理の方が習いに来ていた時には、随分懐石の茶事をしたものだと思い出した。
最高の懐石に私も困った!
生徒さんの日本料理の板前さんが何もお礼をとらない。
勉強させてもらえるのだからよいという。
包丁式までする人たちに、どう対応してよいか?
まあ、私は彼らの料理の世界のことは口を挟まず、懐石のルーツを道元さんの残した本をあげて、説明したのだ。
本来、懐石では酒もお寺では出さない。
そこは妥協した。
今日は偶然、席入りと懐石の準備を拝見できた。
ジーパンでスキーセーターではお茶会の跡見もはばかられ本堂に入る。
不思議な花に出会う。
帰ってきて家内に聞いたが知らないという。
お寺だから釣鐘のような花を育てているのかなと思い、感心した。
古い建物と新しい建物が良く調和が取れていた。
流石この空間は空海の教えのようだと思う。
庭もその間が石庭である。
建物も庭も鎌倉時代の様式が覗えた。
庭の中に釈尊説法の跡という石碑があったが、意味が分からない。
お釈迦様のお話を最初の住職がしたのであろうと推測した。
まさか、お釈迦様がここへ来るというのはない。
この辺りは、林芙美子さんたち小説家がたくさん住んでいた。
石段を上がるとたくさんの石仏が置かれていた。
昔から石仏は美術館でも大好きで見て歩いた。
ここのは、何とも可愛い観音様である。
仁王さんの周りにたくさん観音様がいる石像を昔見たことがある。
ノートに写し取ったほど面白かった。
石仏はインドのもの、古い時代はお釈迦様の教えを石に像を彫ることで広めたという。
最後の石物は初めて見た。
天に陽の太陽と陰の太極である月を頂いて、踊っているように見えた。
真言密教流石と思う。
叔母の家の法事に来る僧侶は、お経を唱えながら印を結ぶが、それを人には見せない。
秘法だという。
空海は天文学も人文地理も学んだ天才。
川をダムにし、荒れ地を生まれかえらせた。
こんな日本人が、あんな昔にいたのだと胸を張れる。
中国への航海は命がけの時代。
伝説だが、命がけで辿り着いた異国には空海が来るのを感じて待っていた師の僧侶がいたという。
九州九州九九州 仏教伝来 万々歳
細川幽斉の言葉という。